生子のがん退治

47歳。昨年乳がん左乳房全摘手術と胆嚢全摘手術を連続でやっちまったの。がんなんかにゃ負けねえぞっ!!

旦那

2005-02-06 18:48:39 | Weblog
手術後、結構長い時間、私は「痛い痛い」って泣いてばかりいたようです。涙もボロボロです。自分ではまったく覚えていないんです。痛がる私の手を義妹や父がずっと握ってくれていました。旦那は恥ずかしがって手を出せなかったそうです(笑)。

そうこうしている内に私の妹も病院に来てくれました。こいつは私よりも仕事をとっちゃう奴です。義妹には申し訳なくて・・・。 それからも私はずうっと痛がっている。看護婦さんは「まだ痛がってる。痛がりやさんですね」って笑っていたそうです。その日は、意識がきちんと戻るまで、私はずうっと痛がっていました。意識が戻るまで酸素マスクを付けっぱなしだったので、旦那は面白がって携帯電話で私を撮影していました。あのやろう!その写真は「ひどすぎる」ので、ここには掲載できません(笑)。だって、マスクだけでなく、脇の下から流れ出る血やリンパ液を溜める袋と、おしっこを溜めるカテーテルが付きっぱなしなんですよ。おまけに点滴も付いています。全身ホースや袋だらけなんです。

さて、意識が戻ってからは、今度は現実の痛みが私を襲います。本当に痛い。だって、左のおっぱいを全部取っちゃったんですからね!って今は冗談言えますが、そのときは辛かったですよ。だっておっぱいなくなっちゃったんですよ!肉体的な痛みもそうですが、精神的な痛みが私を襲います。これから先、当たり前だけど自分のおっぱい見なくちゃならない。見れます?そして生活していかなくちゃならない。私は怖くて怖くて・・・。あなただったらどうします?やっぱり怖いですよね。そして、肝心の旦那が、それを見た時、あいつはどう反応するか?そりゃ怖い。

実際の痛みですが、おっぱい切った痕よりも、脇の下のリンパ取った痕の方が痛かったですね。おまけに麻酔を入れた後の喉が気持ち悪くて・・・。吐きそうです。その日は結局、立ち上がることができなかったです。

旦那は最後までいてくれて、ナースセンターの看護婦さんに「僕は神田のビジネスホテルに泊まるので何かあったらここに電話してください」とメモを渡して、今夜泊まる神田のビジネスホテルに向かいました。旦那は手術の前の晩と手術の日の2日間、宿泊する予定だったんですが、結局、手術日だけにしたようです。宿泊費高いからねえ。

私は喉が弱くて、翌日になっても、麻酔で喉が気持ち悪くて、吐きそうだと思っていたら、実際に吐いちゃったんですよ。真夜中に・・・。シーツ汚しちゃってね。看護婦さんを呼んだら不機嫌そうな顔してシーツを取り替えてくれるんですがね。私をベッドに寝かせるんじゃなくて、垂直に座らせたまま、放っておいて、ナースセンターに戻っちゃったんです。今考えれば、あの女めっ!(笑)それから一晩中、私は垂直に座ったまま朝を迎えたんです。寝れます? 朝、旦那が病院に来る午前9時頃まで、私はずうっとそのままの姿勢でした(笑)。旦那は、その話を聞いて、大笑いしていました。