生子のがん退治

47歳。昨年乳がん左乳房全摘手術と胆嚢全摘手術を連続でやっちまったの。がんなんかにゃ負けねえぞっ!!

乳腺内分泌外来説明記録

2005-03-26 17:31:30 | Weblog
乳がんのセカンドオピニオンとして私たちが選んだのは秋葉原にある病院でした。ここには今でも月に1回、ホルモン治療のために通っています。

ここの病院を信じることができたのは、毎回「乳腺内分泌外来説明記録」っていうものをくれることでした。これは主治医が患者に説明する時に使うもので、複写式になっていて、直筆の方を診察後にくれるんです。写真が実物です。何かあればこれが証拠になりますよね?だから安心しました。

1回目はエコー検査でした。がん細胞やカルテなどは、前の病院から許可を得て借りました。その資料とエコー写真を見て診断してくれるのです。再度マンモや細胞針をすることはありませんでした。

1週間後の2回目の診察では、主治医が「乳腺内分泌外来説明記録」に記入しながら説明してくれます。既に印刷してある胸部の絵に「ここに24ミリのがんがあり、ここにも6ミリくらいの小さな腫瘍があるんです」と言いながら、腫瘍の位置を記入していきます。「大きな方はクラス5の乳がんに間違いありません。これはⅡ期のもので、80~90%治ります」って言われて嬉しかった。でも、喜んだのもつかの間のことで「小さな腫瘍は、細胞針をしていませんが、生子さんは多発性がんだと思われます。念のために左の乳房は全摘した方がいいでしょう」と言われて私は目の前が真っ暗になりました。

最初の病院では腫瘍は1個だけの発見だったので「温存手術でいきましょう」って言われたのに・・・って。「本当に“がん”なのかを知りたかっただけなのに、最悪の結果になってしまった」って泣いちゃいましたよ。先生は「すぐに手術のために入院日を決めましょう」って言います。私は「最初の病院の温存手術」の方を選びたかったのに、旦那と私の父が「先生、全摘でやってください」って、あっという間に「全摘手術入院」を決めちゃったんです。

しかし、運命ってのは、いつも「どちらかを選ぶ」ってことで、その先が決まっちゃうんです。私の場合の「その先」は、「全摘手術」を選んだことでどういった結果が出るのでしょうかね。

話が逸れましたね。「乳腺内分泌外来説明記録」のことでした。手術終了までに全部で4枚の記録紙をもらいました。3枚目までが「手術前の診察記録」。4枚目は「手術で取ったがんについての記録と治療法」です。

3枚目は手術前日に行われた手術説明についての記録です。3枚目には「乳がん診察のおさらいと手術方法」が書いてあります。乳がんに気づいたのはいつか、がんの大きさ、腫瘍は良性か悪性か、病期について、肝臓、肺、骨には転移がないことなどが書いてあります。

怖かったのは、手術しても「10%~30%再発の可能性がある」って言われたことです。さらに手術中の「合併症」についての説明が怖かった。「今回の手術で輸血することはないが、万が一輸血した場合の“血液感染”、術後、傷口からの“後出血”、リンパも一部取って検査するので、術後の“リンパ管炎”などの可能性がある」と言われたことです。これらは全部「乳腺内分泌外来説明記録」に記録されています。

術後のことも「全摘手術後の細胞の性格によって、その後の治療法も変わってきます。放射線の照射ということもあるし、ホルモン療法で済む場合もあるし、抗がん剤治療の場合もあります」と言われ・・・怖かった。「抗がん剤」って聞いただけで怖い怖い。足がガクガク震えちゃった。私の母は「放射線」と「抗がん剤」を拒否し続けて亡くなったので、思いは複雑でした。

手術後の4枚目は、がん細胞の大きさと性格についての説明です。24ミリの方は、取ってみたら32ミリあったそうです。6ミリの方は「葉状腫瘍」っていって、悪性のものではなかったそうです。脇の下のリンパ節も5個取って検査したら「転移なし」。がん細胞の性格は「ホルモン受容体は陽性で、グレードは3まであるが、あなたの場合は1、ハーツーも0から3まであって、あなたの場合は1だったので、がんを作る女性ホルモンを抑制するためにホルモン療法を行います。ホルモン治療にはリュープリンとタモキシフェンを使用します」と言うことでした。

なんだかよくわからなかったんですが、「重度ではない」と理解しました。だって、「85%から90%治る」って言うんですもん。

「乳腺内分泌外来説明記録」を改めて見ると、「小さながんも悪性」って書かれていたのに、術後には「葉状腫瘍」って書いてある。悪性じゃなかったのかね? ほんじゃあ全摘手術しなくてもよかったのでは・・・? ま、いいや。気にしない。気にしない。全摘手術を選んだのは旦那や親父・・・うんにゃ、最終的に私が決めたんだからさ。

私はダメだったけど、乳がんだと診断されて迷っている皆さん!! お医者さんに嫌われても構わないから、食い下がって、自分が納得するまで聞いたほうがいいですよ。そして・・・決して後悔してはいけませんよ。


乳がんの本です

2005-03-26 17:26:56 | Weblog
写真は、別冊NHKきょうの健康「乳がん」(日本放送出版協会)です。乳がんの本はいろいろありますが、最近出たこの本が一番わかりやすいですね。

私が乳がんと告知された時に、不安になった旦那が買ってきた本はどれもが“はっきりと書いてある”ことで「死の匂い」がして、とても怖くて読めませんでしたが、この本は安心して読めるものです。私大推薦です!!

私、昼間は船橋のデパートで働いています。乳がん手術して、現在も治療中だってことをついこの間まで、職場の誰にも言いませんでした。だって、「がん」ってイメージ悪いじゃないですか? 「がん」って言えば誰もが「死」をイメージするでしょ? 私だってこうなる前までは、がん患者だった母の苦しみや動けない姿を目の当たりにしているので、乳がんと告知された時には「自分の死」を考えましたよ。それに・・・片方のおっぱいがなくなるんですよ。いくら年をとってても悲しいでしょ? 今じゃちょっとだけ平気ですけどね(笑)。

「がん」だって誰かに言えば「あの人はすぐに死んじゃうんだ」って言われると思ってね・・・。隠すようなことじゃないと思いますよ。だって、そんなこと言うと、私と同様の方々に申し訳ないし・・・。でも誰も聞かないしね。服着ていれば外見は普通だからね。

でもね、やっぱり片方を取っちゃってるから動きは変ですよ。自分で思うだけかな? 人口更年期障害で、関節が痛むのでロボットみたいに「ガシャッガシャッ」ってな感じで動くしね。

職場では、初めは心配でした。左乳房を摘出して「バランスがとれない」ので、ずっと立ちっぱなしの仕事はかなり辛いだろうと思っていたんです。結果は「かなり辛い」です。やっぱり立ちっぱなしの仕事はね。でもね、何も障害がない身体でも立ちっぱなしの仕事は辛いようです。それを克服しようとしてる自分を褒めてあげたいです。

職場の親しい人だけには話したんです。ブログも読んでくれているようです。いつもありがとう。もう平気になっちゃったよ。

あ、そうそう。以前、旦那が職場に来た時に、偶然うちの旦那を見た人が「椎名桔平」に似てるって言うんですよ。ちらっと見ただけでね。ぶはははっ!

それを旦那に伝えると「あ、俺もそうだと思ってたよ。でも似てるのに似てねえっ!って言われると傷つくから、今まで似てるの黙っていたんだ」だってえ!ばっかだねえ!!あいつ。


ホルモン治療

2005-03-26 17:19:44 | Weblog
乳がんの手術後、辛いのは「ホルモン治療」です。といっても、月に一度のリュープリン注射と毎日、タモキシフェンの錠剤を飲むだけです。これを3年間は続けなければならないようです。辛いのは、ホルモン剤の「副作用」と、高額な治療費です。旦那には申し訳ないのですが、月に2万円の治療費がかかってしまいます。でも、抗がん剤の投与を行っている方なら「もっと辛い副作用と高額な治療費」が負担になってしまってるに違いありません。私のは「軽い方」なのです。

ホルモン治療は、女性ホルモンを抑えるためにホルモン剤の投与を行うのですが、それは薬で「人工的に閉経」させてしまうことです。その弊害は「更年期障害」と同じ状態になることです。体中の関節が変形? して凄く痛みます。治療を始めて3ヶ月ぐらいはなんともなかったのですが、胆嚢手術を終えた辺りから乳がん手術を行った方の左肩が凄く痛むようになりました。

今では関節が外れる感じがします。いつも肩を動かしていないと「外れて痛む」ような気がします。それでも治療は続けなければなりません。ホルモン治療を行っていると同時に気をつけなければならないのが「子宮がん」です。ホルモン剤によって子宮がんになる確立が高まるそうです。

私はもともと「子宮筋腫」で、年に一度は検査してもらっています。ですから、乳がんの再発も怖いし子宮がんになるのも怖いのです。ひとつ病気になると連鎖してどこかが悪くなるようです。

それに乳がん手術の後に「リハビリ」が大切なのですが、私はそれを怠ってしまったのです。おっぱいを取った痕からリンパを取った痕までがひどく痛くて左手が上げられなかったので、「痛い痛い」って言って、リハビリをサボったのです。リハビリを怠ったせい(だと思います)で、結局は「五十肩」になってしまったし、体中の関節が痛みます。

今からリハビリをしようにも、あまり肩や手を動かせないので・・・困ったことです。おまけに「太って」きました。本当に困ったことです。昨日、ホルモン注射のため、旦那と一緒に秋葉原の病院に行きました。実は、旦那は今でも病院に一緒に来てくれたりするのです。本当に私は困ったちゃんです。