シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

北朝鮮情勢

2009-03-31 10:07:15 | あれこれ
 北朝鮮による弾道ミサイル発射問題に関して、こちらのSBS Worldニュースで夜10時15分から30分間流れるNHKニュース(NHK7時のニュースと思われる)でも、日本国として、ミサイル防衛(MD)システムによる初の迎撃を行う構えが、連日、報道され、俄かに緊迫した雰囲気が伝えられています。ミサイルが上空を通過するであろう地域の方々はさぞ不安を募らせていることとお察し致します。
 一方で、一連の報道を見ていると、1998年のテポドン1号の頃から比べて、随分、法律と迎撃手段の整備が進んだものだと感心し心強く思います。今回の対応は、勿論、北朝鮮と交戦状態にあるわけではないので、有事の防衛出動ではなく、4年前に自衛隊法に新設された、平時における(弾道ミサイル等に対する)破壊措置として規定されているそうです。
 これは基本的にはミサイルの不具合によって日本領内に落下する事態を想定した緊急避難的なものと言えます。韓国では、イージス駆逐艦「世宗大王」を日本海に派遣する(但し迎撃能力はなく追尾のみ)一方、日本国民が安全を侵される立場に理解を示しつつも、日本の迎撃に対して自制を促しました。確かに、迎撃という事態に至らないことを私も祈りますが、誰も弾道ミサイルが日本を狙ったものとは考えておらず、事故への対応というに過ぎません。そういう意味で、北朝鮮が、日・米が迎撃すれば報復的軍事攻撃を行うと表明したのは、的外れな答弁であるとともに、許されざる恫喝です。在韓米軍司令官は、先般の米下院軍事委員会公聴会で、北朝鮮が攻撃を仕掛けてきた場合には、米国と韓国の連合軍が朝鮮半島有事を想定した「作戦計画5027」を発動することが出来ると証言しました。万が一の事態にならないことを、切に祈ります。
 実際、ロシアも言っているように、弾道ミサイル発射はあくまで北朝鮮と米国との間の二国間問題であるというのが実態でしょう。日本に火の粉が降りかかるとすればとんだ災難です。日本の領土や領海に飛来すると判明すれば、自衛隊が迎撃するわけですが、もし日本を飛び越えて仮に米国に向かう場合は、集団的自衛権の行使にあたるとして迎撃は見送られることになり、アメリカの対日感情を考えると、余り好ましい状況ではありません。まったく傍迷惑な状況に日本は置かれたものです。
 こんな砲艦外交が、いまだに日本の周囲に存在する現実を憂えざるを得ません。

モリケン

2009-03-30 11:05:20 | あれこれ
 29日に投・開票された千葉県知事選で、森田健作さんが初当選されました。今年1月には、自民党の支持基盤が強い保守王国・山形県で、自民党が支援する現職の知事が敗北したばかり。今回は、自民党県議の約半数は森田さんを支援したそうで、支持が割れて自民党としては自主投票を決めたため、自民対民主の対決の構図になったとは言えませんが、民主党はじめ4野党が推薦した対抗馬が敗北したということで、政権交代への第一歩にしたいと考えていた民主党には大きな痛手となりました。
 モリケンと言っても俄かに通じないかも知れませんが、1970年代初頭にはブロマイド売上NO.1にもなった青春ドラマの大スターだったのは皆さんご存知の通り。私の世代にとっては懐かしい元祖「アイドル」ですが、政治家に転身してからの彼のことは、正直なところ余り印象に残っていません。それでも、今回の選挙戦では都市部の無党派層の支持がカギになる中、抜群の知名度を生かし、小沢一郎代表の公設秘書逮捕にまつわる問題が追い風になって、政党色を強く打ち出さない方が票になるかもしれないという事前の予想を裏付けるような結果でした。今の政治状況を象徴しており、ちょっと寂しくもあります。
 政治の最大の使命は所得の再分配にあるわけですが、野党が野次るとおり、地方を基盤として開発型の発展を主導してきた自民党政治の賞味期限が切れているのは言うまでもありませんが、他方、民意を問うことばかり主張する野党、とても民意を得ているとは言えないほどの微々たる支持率の弱小野党はもとより、民主党・小沢代表にもかつての政治理念が見えず、物足りなく思うのもまた正直なところです。これから反小沢の動きは更に活発化し、政局は益々混沌としそうで、国の舵取りの方は大丈夫なのか、なんだか心許なく思わずにはいられません。
 以前、出生率のことに関連して触れましたが、今、日本を覆う閉塞感は、地方、もっと言うと私たち一人一人を含む地元コミュニティが活性化していくことが鍵になると思います。江戸時代にも「お上」と呼んでいたのかどうか知りませんが、「お上」は「お上」として、江戸時代の庶民の生活の方がよほど気ままで自由闊達で自立していたのではないかという気さえします。それがいつしか、開国し、世界の一等国となるべく、敗戦の挫折はあったものの、中央集権で経済成長を遂げる中で、私たち自身は国に甘え(あるいは国に収奪され)、自分たち自身の自由や遊びが少ない社会になってしまいました。もし「お上」が自ら変われないのであれば、私たち自身や地方が変わり、「お上」が「お上」のお題目に集中せざるを得ないよう、「お上」に圧力をかけたいものです。森田さんも、掛け声だけは「政党ではなく、600万千葉県民のための政治を行う」「中央とのパイプで千葉を変える。千葉から日本をリードする」と勇ましい。政治の難しさは、民意に拠りながらも、時に長期的な視点で短期的な民意の反発を排してまでも指導力を発揮するところだと思いますが、宮崎県知事や大阪府知事に続き、森田さん自身の今後、さらには森田さんに続く今後にも、ちょっと期待しています。

アース・アワー

2009-03-28 07:28:39 | シドニー生活
 今宵8時半から一時間、「アース・アワー(Earth Hour)」が実施されます。
 地球温暖化に対する啓蒙活動の一環で、灯りを一時間消す取組みはなんとなく聞いていましたが、それが2年前、世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature、WWF)とシドニー・モーニング・ヘラルド紙との共催で始まったものとは知りませんでした。初年度はせいぜい24都市200万人程度の規模でしたが、昨年は400都市5000万人、今年は主催者は世界2400の都市で10億人の参加を目指しているそうですが、まあこうした活動は余り力を入れなくて自然発生的に広がっていくのが良いですね。
 それにしてもニュージーランド(もっと言うとトンガ?)から始まり、時差に併せて西へ西へと消灯の波が動いて世界一周する様を、上空から早送りのビデオで覗いて見たいものです。
 今年は、シドニー・オペラハウスだけでなく、エジプトのギザのピラミッド、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビル、パリのエッフェル塔、ロンドンのピカデリー・サーカスにあるコカ・コーラの看板なども参加するそうです。実質的な省エネ効果は知れているでしょう。草の根と言うと、怪しい活動家もいて身構えてしまうへそ曲がりの私ですし、環境保護団体や動物保護団体のように、趣旨には賛同してもやっていることには疑問をもちたくなる活動が多い中、こうした極めてシンプルな草の根の動きは、なかなか良いものです。
 近所でも、ロウソク持参、海岸に集って合唱・・・といったささやかな呼びかけが計画されています。我が家には、なんと結婚式で使われたときのロウソクがまだ保存してあって、ご丁寧にシドニーまで他の荷物とともに運ばれて来たことが発覚したので、この機会に使うことにしました。子供たちはわくわくしています。消灯という何気ない行為によって、ロマンティックな夜になるかも知れませんね。

卒業式

2009-03-27 12:23:02 | あれこれ
 卒業式のシーズンです。一つ階段を上がるだけの学生の方は良いですが、社会に出る方は大変厳しい船出になりました。船を出すことにも苦労されているかも知れません。しかし潮目はいずれ変わります。好景気が長く続かないのと同じように、不景気も長くは続きません。自分を信じて、自分らしい未来を創造して欲しいと思います。
 私が就職したのは、プラザ合意によって円高が進行し輸出環境が急速に悪化した頃でした。そのため政府は内需拡大に走り、その後、資産バブルを膨らませていったのはご承知の通りです。崩壊後、暫くして空白の10年と呼ばれるようになった頃はアメリカにいて、アメリカにとって新たなフロンティアとしてのインターネットが急速に普及し、シリコンバレーの地価が暴騰し始め、後にネット・バブルと呼ばれるようになる好況に湧いていて、日本の山一倒産などの事件を夢のようなこととして聞いていたものでした。その後、ネット・バブルも崩壊しましたが、中国やロシアなどの所謂BRICsと呼ばれる新興国経済の離陸によって、再び力強い経済成長が世界的に長らく続き、ついには資源バブルが誘発され、金融危機によって再び停滞してしまったのが現状です。経済の歴史はバブルの歴史と言われますが、ほんの20年を概観しても実感として分ります。
 この20年で、私の世代を取り巻く環境も大きく変わりました。就職に当たって、金融業という虚業を避けて製造業を選んだのは、ただの思いつきに過ぎませんでしたが、結果として同じ会社に居続けることとなり、他方、金融業を選んだ優秀な同級生たちは、地味な製造業が羨むほどのバブル景気を謳歌した後、外資に転職して更に活躍したり、合従連衡で会社の名前がめまぐるしく変わったり、あるいは外資に乗っ取られた挙句追い出される形で会社を変えたりと、彼らの会社生活は良くも悪くも時代の波に翻弄されました。
 そしてここ数年、40歳を過ぎたあたりでようやく思うのは、時流に乗るのも大事ですが、時流に流されないことも大事だということでした。受験戦争という言葉が今も当てはまるのかどうかよく知りませんが、偏差値で大学を決めること、それ自体が悪いのではなく、そうした風潮の中で、自分の志向を見失うことが問題です。昨日の韓国社会の話の続きではありませんが、日本の社会もようやくある落ち着きをもった段階に進みつつあるのを実感しますし、そう期待します。
 自分自身が一つの実質として恰も存在しているかのように思うのは、近代的自我という西洋思想の迷妄に過ぎなくて、「自分探し」などと呼ばれるようなことは、あり得ません。自分とは「探す」ものではなく「つくる」ものだからです。なんと創造的で楽しい作業でしょう。しかし、高度成長期に育った私は、その人生の大半を戦後復興と高度成長の時代に送った親の世代の意向を肌で感じて、そのまま就職し、この20年間、それなりにがむしゃらに働き、その場その場では自分なりの適切な判断をしてきたつもりですが、実のところ余り楽しい作業とは言えない部分もあり、ある種の空しさも感じます。それは先ずは仕事の性格からどうしようもない面がありますし、また会社生活の中で自分の人生が見えてきてしまっている部分もありますし、更には、もっと大きな方向性、自分の志向というものを置き去りにして来てしまった後悔の念もあろうかと思います。しかし自分の人生は、親や、ましてや他人や社会の責任には出来ません。良くも悪くも今の自分は、自分が形作ってきたもの。これからの残りの人生で、どんな創意を加えて変えていくか、思案中です。
 何故、こんなことをツラツラ書いているのかというと、母校(大学)の卒業式の記事を見かけたからです。当時に思いを馳せつつ、しかし、長い人生が広大な荒野のように横たわっていると思っていた当時から、あっという間に年月が経ってしまったことを、驚きの念をもって振り返っています。いのち短し・・・ではありませんが、人生は思ったほど長くない。それ故にこそ、若い人には、自分の志向をしっかりと見極め、自分の思う道を自信をもって突き進んで欲しいと思います。昨今の厳しい情勢のもとでは、ただの理想かも知れませんが、若い人たちに何か伝えるとするならば、今日の私はそれに尽きます。

韓国における歴史認識

2009-03-26 08:07:54 | あれこれ
 韓国の「中央日報」というのは一体どういうタイプのメディアなのか知りませんが、WBCの特集ページで「勝利したが、マナーで負けた“ダーティーサムライ”」と日本チームを批判したそうです。中島選手の走塁妨害的行為やイチロー選手の試合後のインタビューの横柄に見える態度に妙な言いがかりをつけているようですが、一事が万事とは言いませんが、韓国という国は相変わらず負けっぷりが良くありません。
 しかしそんな(反日という)色眼鏡でつい見てしまいがちの韓国ですが、決して一枚岩ではなく、歴史教科書の記述を巡っては、実は韓国内でも左・右の論争があるという記事を読んだことがあり、新鮮に思ったものでした。もっともそれも程度の問題で、論争と言えば如何にも国論を割るかのような五分対五分の対立のようについ思いがちですが、国民の大勢がどちらに傾いているのかというのは、外からなかなか窺い知れるものではありませんし、論争の対立軸についても、日本から見れば、どちらも左(あるいは右)に見えるといった相対的なもの、いわばコップの中の戦争ということもあり得ますので、注意が必要です。
 一年くらい前、韓国に「新しい教科書」が出てきたというので話題になりました。従来の歴史教科書では、民族的な抵抗や反政府運動が中心の、いわゆる左翼的な“民族主義史観”で記述され、韓国人や韓国社会が経験してきた多様な変化には触れられず、歴史を単純で偏狭なものにしてきたことへの反省と批判が背景にあります。例えば戦前の日本統治時代については、暗黒面ばかり強調し、抗日独立運動の歴史に単純化し過ぎていることを批判し、「新らしい教科書」では、学校教育制度、身分社会の解体、資本主義企業の増大などを通して、経済成長や人口増加が達成され、韓国の近代化の基礎が確立され、国家的な発展が見られたという明るい面も紹介しているそうです。勿論、学会の主流は民族主義的で、左派勢力が根強く、反発していると言います。
 つい最近も、保守派の李明博政権は、過去10年に及ぶ金大中並びに盧武鉉政権下で、反米、親北的で偏向した自虐史観に基づく歴史教育が行われて来たと非難し、左傾化した教科書の記述内容の修正を勧告したことが報道されました。これを受けて教科書が書き直されると、今度は教職員組合や市民団体が反発し、教育権が侵害されたとして憲法裁判所に違憲審判を求める騒動になっているそうです。
 およそ共産主義経済などの左翼思想は、後進国(と、ここでは敢えて差別用語を使います)における民族的独立を正当化しバックアップする道具として演繹的に発展してきました。ロシアをはじめ、私の好きなゲバラが戦ったキューバ革命もそうでした。もともと資本主義に対するアンチ・テーゼに過ぎず、現に共産主義の登場によって資本主義は修正され、いわばアウフヘーベンされて発展して来たのは、北欧諸国の体制を見れば分ります。そういう意味で、右か左かというのは、1か0かのコンピュータのような世界ではないと思うのですが、対照的な考え方であることには変わりありません。韓国において、こうした論争が見られるようになったということは、勿論、経済的にはNIEsの一角を占めた時代から更に発展していますが、社会的成熟度という点で、ようやくある段階を迎えつつあると言っても良いのかも知れませんし、人の心(考え方)は後追いになるものだということも感じます。

WBC決勝

2009-03-25 08:53:31 | あれこれ
 昨日のWBC決勝では、日本が5-3で韓国を下し、見事に連覇を果たしました。試合開始時間が遅れるなどアメリカのメディアの対応は冷ややかでしたが、WBC史上最多の5万4846人もの観客を集めたのは、なんとなくフェアで野球好きのアメリカらしさが出ていて嬉しくなりました。終わってみれば、韓国5本に対して日本は15本と、ヒット数だけ見ると、一方的に押しまくって、もっと得点差があっても良いくらいですが、韓国は日本の野球経験者を招いて緻密な日本野球を吸収したと見えて、基本に忠実でチームプレーに長けるという似たような手堅い守りに、1点を争う白熱した好ゲームとなりました。
 韓国メディアも、さすがに「決勝戦にふさわしい名勝負だった」「国民に感動を与えてくれた」と健闘を称えていますが、「韓国野球の底力を見せてくれ、選手は拍手を受ける資格がある」と言うあたりは、(韓国語の訳出の問題があるかも知れませんが)相変わらず異質です。聯合ニュースは、「『韓日野球戦争』は続く」と題した記事を配信したそうで、「戦争」という過激な表現に韓国の国民感情が表れているようで面白いと思いますが、オリンピック同様、代理戦争として何年かに一度の感情のはけ口になればいいですし、どうやら野球においては日・韓が宿命のライバルであり続けることは間違いありません。こうしたマスコミの反応とは別に、選手レベルでは、巨人で活躍する李選手の好待遇が知られていることもあって、韓国選手の頑張りは、反日感情だけではない、日本野球に対するアピールの場でもあるためだ、という指摘があったのもまた面白く感じました。人間社会というのはなかなか一筋縄では行きません。
 今回もまた松坂がMVPを獲得しましたが、松坂本人も岩隈に申し訳ないようなコメントを残している通り、数字に表れている以上に岩隈の打たせて取るしぶといピッチングは素晴らしく、力で押すダルビッシュと対照的に、抜群の安定感が、一際、印象に残りました。ダルビッシュも、北京オリンピックに続き、国際舞台で良い経験を積んだので、今後に期待しましょう。
 そして延長10回のイチローの決勝打にはしびれました。韓国ベンチは、イチローとの勝負を避ける指示を出しておきながら、はっきりと敬遠のサインを出さなかったことを悔やむ監督談話が伝えられていますが、野球は、結果を気にしない真っ向勝負が面白いわけで、こうしたWBC最高に盛り上がる場面で結果を出したイチローはさすがと言うほかありません。これまでの長い不振とそれに伴う重圧を一気に払拭し、心置きなく勝利の美酒に酔えたことでしょう。今回の一連の報道で、イチローの苦悩がなんとなく伝わって、より人間的な?親しみを覚えましたし、これを機に、もう一段の高みを目指して欲しいと思います。
 選手起用に関しては、ノムさんが、原監督はパリーグの選手を知らないから、パリーグのコーチを入れるべきだったとぼやいておられましたが、この場外舌戦に関しては、その通りだった気がします。いずれにしても素晴らしい戦いぶりを見せて感動を与えてくれた全ての選手に感謝したいと思います。(なお、文章において選手名を呼び捨てにするのは憚られましたが、会話と同じくその方が文章が流れるため、WBCに限って選手名は一種の商標とみなして一部を除き敬称を略しました)

WBC準決勝

2009-03-24 08:28:55 | あれこれ
 昨日の準決勝・第二試合で、日本が米国を下し、決勝進出を決めました。しかし、二大会続けて決勝に駒を進めたことよりも、日・米の直接対決で初めて日本が勝ったことの方の意味を噛みしめます。75年前、ベイブ・ルースを中心とした大リーグ選抜に当時の日本は全く歯が立たなかったことを思うと、原監督が「歴史を刻むことができた」と語ったのは、あながち大袈裟ではありません。
 勿論、今回のWBCに当たって、米国チームは、調整を理由に離脱者が続出し、本当の意味での米国オールスター・チームになっているかと言うと大いに疑問ですし、ここ数試合、大リーグ監督から、WBCに出る機会のなさそうな選手を引き揚げたいという発言が相次いでいることからも知れるように、商業主義・米国にとって本当に重要なのはレギュラー・シーズン(更にその先のワールド・シリーズ)であって、WBCの位置づけは所詮はボーナス付き(優勝チームには270万ドル!)のオープン戦程度に過ぎないのかも知れません。イチローの調子も、もともとスローだというのに加え、年齢はともかくとして、米国流に馴染みつつあると言えなくもありません。
 もっとも日本だって、戦力だけを見れば、ノムさんが「なぜ松中と細川を外した」とぼやいたように、ベテランだらけの重量チームではなく、今回は原監督の意向なのか、活きの良い若手を織り交ぜたなかなか大胆な起用になっていると思います。短期決戦の流れを意識したものと思いますが、そういった選手起用における柔軟性、いわば層の厚さという点では、韓国より日本、日本より米国、といった感じがするのです。
 別の言い方をすると、WBCの戦いの背後にある、極めて感覚的なものですが、米国には余裕(所謂遊び)があります。韓国より日本、日本より米国に、より余裕があるという感じです。AP通信は「米国の国民的娯楽が、地元で大きな打撃を受けた」と伝え、ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版)は「次回までの4年間、米国はどうしたら負けないか解決策を模索しなければならない」と論評し、大リーグの公式ホームページも「決勝に進んだ2チームから、我々は何か学ぶことがあるはずだ」と、米国の準備と熱意の不足を指摘したそうですが、却って本気になっていない故の底知れないものを米国から感じてしまいます。
 「野球」ではなく、「ベースボール」という語感にまつわる娯楽性やプロフェッショナリズム、文化としての普遍性という点で、米国は別格です。原監督が、準決勝の勝利後のインタビューで、米国野球を追い越したとは全く思わない、ただ、どこかで認めてくれる存在になったかな、とは思う、と、控えめに話したのは、勝者の謙遜やメディアを意識したものではなく、心の底から米国のベースボールに敬意を表しているものだと思います。
 そういう意味で、WBC決勝が、「ベースボール」発祥の地・米国で、日韓対決になってしまって物足りなく感じるのは私だけではないでしょう。日・米対決を決勝のために取っておきたかったというのが正直な気持ちです。期せずして韓国メディアは「野球戦争」と対決ムードを煽っています。米国「ベースボール」への憧れは別に、先ずは「野球」の因縁の対決にケリをつける時です。

顔を消された子供たち

2009-03-23 08:34:09 | あれこれ
 週末に一週間分のニュースを気が向くまま検索していると、時々、珍妙なニュースに出会います。
 スペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙に飛び立った若田さんは、その後、ドッキングした国際宇宙ステーションに乗り移り、約3ヶ月半に及ぶ宇宙での長期滞在をスタートさせました。早速、カエルの細胞に対する重力の影響を調べる生命科学実験に取り掛かったり、ロボットアームを操作する作業を開始するなど、順調な立ち上がりは喜ばしい限りです。
 出発前、若田さんから、出身地・さいたま市の記念品を持って行きたいという意向が伝えられ、市青少年宇宙科学館が「夢や希望を与えるため、子供らの写真を」と発案し、市の小・中学校の全159校に学級ごとの写真を撮って貰って1枚のDVDにおさめて手渡されたというので、これもなかなかよい話だと喜んでいたら、実は「万一の流出に備える必要がある」と判断して、職員6人が1ヶ月もかけて、子供の顔が判別できないように画像の解像度を下げる処理をしていたという裏話が毎日新聞で報道されていました。DVDに収められた集合写真は、「ゆめをのせてうちゅうへ」など紙に大きく書かれたメッセージは辛うじて判読できますが、子供たち10万人の顔は拡大しても判別できないほどの、サムネイル並みのサイズだったようです。
 個人情報保護の重要性は分りますが、ここまでいくと過剰反応と言われても仕方ありませんね。写真撮影のとき、宇宙に限りない夢をふくらませ、生き生きとした表情(顔)を見せたであろう掛け替えのない一人ひとりが重要なはずでしたが、まるで伏字のように顔を消されて氏名リストを渡されただけのような味気なさで、折角の粋な計らいがフイになってしまいました。もはやその表情や熱意は若田さんに届きませんし、その目が写真(映像)を通して宇宙を(宇宙から見た地球を)捉えることもありません。こうしたエポックに、若田さんに手渡すDVD一枚を作成するくらい何とかなっただろうと思いますし、貰った若田さんも、さぞ驚いたことでしょう。
 ところが同じ記事に、校内誌にも子供の顔を載せたくない親がいるご時世で、今回も適切な判断だったのではという、ある母親の声が載せられていて、更に驚かされました。勿論、程度によるでしょう、個別に判断すべき局面もあるとは思いますが、行き過ぎた管理社会の息苦しさを覚えずにはいられませんでした。情報社会の進展が、またそれを推し進める大人が、子供たちの夢を奪ってはならないと思います。

WBC二次ラウンド

2009-03-21 07:35:39 | あれこれ
 日本は昨日の試合で韓国に快勝し、二次ラウンド1組トップで準決勝に駒を進めました。もっとも昨日の試合は、負ければ準決勝ゲーム1でベネズエラと、勝てば準決勝ゲーム2でアメリカと対戦することが決まるだけのことで、どちらか一方が対戦相手として組みやすいということはなく、言わば勝っても負けてもどちらでもいいような試合でした。特に韓国にとってみれば、日本との対戦成績が2勝1敗で優位に立っていたので、なおのこと、消化試合のような趣がなきにしもあらずで、日本チームも、これまで登板経験のなかった若手選手をつぎ込みながら、なんとか勝利をものにして韓国との対戦成績を五分に戻し、イチローの言う「日本のプライド」を満足しただけの試合でした。
 二次ラウンドを通じて感じたことは、日本の投手陣が健闘していることと、イチローが打撃不振からなかなか抜け出せないことでしょう。
 日本の投手陣は素晴らしいですね。松坂をはじめ、この時期によく調整したものだと感心します。
 イチローの低迷ぶりは、毎年のシーズンでもスロー・スターターでもあり、それほど気にしないつもりでいても、二次ラウンドでも得点圏で凡退する場面が多く、見ていてやきもきしている人が多かったことでしょう。幸い、青木をはじめ城島や岩村など他の選手が打ってくれて、試合にも勝ち残ったので、本人も救われたでしょうが、本人がそもそもWBCにヤル気満々でしたし、ただでさえ注目を集める選手ですから、声援や報道陣の反応を通して、我々の思いを増幅して、敏感に感じとっているでしょうし、責任感も強い男ですから、心中察するに余りあります。早くWBCの一打席一打席を楽しめるようになって欲しいものです。
 それにしても、オーストラリアでWBCの知名度がゼロに等しいのは、残念ではあります。あるいはオーストラリア・チームが準決勝に残っていたら、テレビ中継になったかも知れませんが、私の知る限り、一次ラウンド敗退はニュースにすらなりませんでした。スポーツに関して、クリケットとフットボール(ラグビー)に尽きるオーストラリアと言ってしまえばそれまでですが、文化圏が全く違うということを、あらためて実感します。

コーヒーカップの出来~今朝のぼやき

2009-03-20 07:57:48 | シドニー生活
 ここで言うコーヒー・カップは紙コップのことです。シドニーにはカフェが多く、皆さん、ゆったりとその場で楽しむか、せわしなく持ち帰るわけですが、持ち帰りのコーヒー・カップの出来が余りよくありません。紙製のカップにプラスティックのカバーがつく、ごく当たり前のものですが、カバーとの隙間からよくコーヒーが滴り落ちたり、紙の継ぎ目から染み出したりするのです。ふんぞり返って飲んでいて(そんな格好で飲む方も飲む方ですが)ちょっと油断していると、シャツやスラックスをすぐに汚して、ふんぞり返っていた余裕はどこへやら、トイレに駆け込んで、シミ落としをするハメになるのですから情けない。
 また、熱いコーヒーを淹れてくれるのは結構ですが、熱過ぎて持てないこともしばしば。そういう時、気の利いた店員が、カップを二重にしてくれたりすると、一気にその店のファンになってしまいます。
 つまり、たかが紙コップと言うことなかれ。私がよく通うカフェの紙コップは、掃除機のホースのように表面が細かく波打っている頑丈なつくりで(缶コーヒーでもありましたね)、それが熱さをやや緩和し(表面積が大きいので冷めるのも早いかも知れませんが)持った時の安定感に繋がるのです。味にそれほどの差がない時、店に足を向けさせる要因は、紙コップの品質だったり、マクドじゃないけど店員の笑顔(無料!)だったりするわけですね。そういう意味で、スタバの品質の高さは、やはりさすがと言うべきでしょう。

トイレ事情

2009-03-18 22:06:59 | シドニー生活
 日本のトイレがハイテク過ぎるというので、米国のソーシャル・ニュースサイト「Digg」で話題になっているという記事を見かけました。米国では温水洗浄便座は一般的ではなく、便座を温めたりお尻を洗ったりする機能に感嘆の声が挙がっているというのですが、これはプラグマティックなアメリカ人が、何故トイレにそこまでの機能が必要なのか疑問に思い、単に珍しがっているだけなのでしょう。彼らにはトイレはトイレとしての機能さえ果たしてくれれば良いのであって、何も便座を暖めてくれなくても気にしませんし、アメリカ人はそんなヤワハダではありません。
 ペナンにいた頃の現地会社・社長はシンガポール人で、彼は日本に出張するたびに、ホテルのトイレが素晴らしいと絶賛していました。便座を暖める、温水洗浄してくれるという機能性だけでなく、そもそも臭わない、清潔だ、音楽が聞こえる、等々、彼にはトイレに対する期待値が日本とアジアとで根本的に違うところが衝撃的だったようです。このあたりは、アジアのトイレとは比べるべくもないことは、アジアに旅行したことがある方は容易に納得できるはずです。そこでいろいろ(酒を飲みながらですから好い加減ですが)話し合った結論として、もし今のビジネスが立ち行かなくなったら、是非、日本の多機能・高級トイレをアジア一円で売ろうじゃないかという話で盛り上がったものでした。勿論、半分冗談ですが、半分本気で議論したことを懐かしく思い出します。
 その昔、ラジオの深夜放送で聞いた話で今も記憶に残っているのが、中国のトイレで、溝が一本掘ってあって川のように水が流れていて、そこを皆で跨いで垂れ流す方式で、仕切りの壁も扉もないということに驚いたものでしたが、Wikipediaを見ると、用便中も順番を待つ利用者と挨拶を交わしたりするので、外国人から「ニーハオ・トイレ」と揶揄される所以と書いてあります。さすがに中国でも都市部では変わったでしょうが、しかし完全密室を好む日本は世界でも例外のようで、アメリカのトイレの扉ですらだいたい膝の高さあたりまでオープンになっていたのは犯罪防止のためでしょうか。マレーシアでは、金隠しもなく、ただ穴が開いているだけのこともあり、またホースがついた蛇口があったり、水おけと柄杓が置いてあることが多いのは、用を足した後それで洗えという意味でしょうが、便座や周囲が水びだしになっていることが多く不衛生で閉口したものでした。こうした水で洗う習慣は、インドでは左手が不浄の手と言われていますし、Wikipediaではトルコにも触れられていて、アジア(の暖かい地方)に広く広がっているようです。案外、温水洗浄便座のヒントはここから来ているのかも知れません。さて、ここオーストラリアはどうかと言うと、もちろん先進国なので、さすがにアジアほど匂いは強くありませんし不衛生でもありません。アジアではTOTOやINAX製をよく見かけますが、オーストラリアは地場メーカー?が存在するため、日本製の多機能・高級トイレが入り込む余地は乏しいかも知れません。またオーストラリアも、アメリカと似て機能的で、そもそも文化的な下地がないかも知れません。
 トイレが衛生的であるかどうかが文明度に比例すると見たのか、先ごろ、マレーシア政府はトイレをきれいにすることを呼びかけていました。衣食足りて礼節を知るではありませんが、確かに世界的に見ればその連関は概ね当たっていると言えますが、文化的な違いや民族性(性格)も大いに作用するように思います。経営コンサルタントや会計士が、初めて訪れるクライアント企業の経営が上手く行っているかどうかは先ずトイレを見て判断するという話がまことしやかに囁かれますが、確かにトイレをきれいにする人は、だらしないわけがなく、何事もきっちり処理しているものと見て間違いなさそうです。件のシンガポール人社長から、何故、日本人はトイレにこだわるのか聞かれたので、日本ではトイレにはトイレの神様がいるからと苦し紛れに答えたものでしたが、今思うと、まんざら外れてもいないかも知れません。

出生率のこと

2009-03-17 22:19:22 | シドニー生活
 先日、オーストラリアにおいて2004年から始まった出産手当(ベビー・ボーナス:5千豪ドル)が、2006年までの間に、出生率(合計特殊出生率のことだと思いますが)を1.763人から1.817人まで、3.2%押し上げたという分析結果が公表されました。所詮はこの程度の上昇率で、果たして文字通りに受取ってよいのか、経済的な支援だけで結果が出るほど甘くないと思いますし、他にもいろいろ要因がありそうで、これだけでは何とも判断のしようがありませんが、1.8人前後という高水準には些か驚かされました。
 周知の通り、日本の出生率は、2005年に過去最低の1.26人、2007年には若干持ち直したと言っても1.34人という低レベルです。シンガポールや台湾は1.2人前後、韓国は1.1人を切り、香港に至っては0.8人という低さです。オーストラリアが1.8人を越えるのは、イギリスや北欧諸国並みで、アフリカや一部のアジア諸国は別格としても、先進国の中では異例の高水準を維持していると言えます。
 日本において出生率が低いのは、男女とも晩婚化による未婚率増大が直接の原因とされます。その背景を見ていくと、そもそも無職や雇用の不安定な若者が増加するなど、若者が社会的に自立し家庭を築き子どもを生み育てることが難しい社会経済状況となっていること、30代男性を中心とした育児世代に多い長時間労働や、育児休暇制度などの活用が進まず、依然として子育ての負担が女性に集中していること、さらに女性の社会進出も進む中で、地域における子育て支援体制が十分ではないことなど、いろいろ論じられ、それはそれでその通りなのでしょう。諸外国、とりわけ出生率が比較的高い北欧諸国との比較で言うと、例えばスウェーデンなどでは婚外子(結婚していないカップルの間に誕生した子供)に嫡出子と同等の法的立場を与える法制度改革が進められているのに対して、日本ではそもそも婚外子を避ける保守的な家庭観が根強いこと、また依然厳しい住宅事情や高学歴化による教育費高騰など子育てに金がかかり過ぎること、そのため子育て支援の社会インフラが追いついていないことが際立っており、恐らく出生率が低い東アジア諸国(シンガポール、台湾、韓国、香港)とも共通するところがあるのではないかと思われます。
 そんな中、長野県下條村が、2003~06年の平均出生率2.04人という高水準を達成したというので、ここ数年、全国各地から250以上の視察団が訪れていることを、日経ビジネス・オンラインが取り上げていました。そこでのポイントは、介護や子育てなど住民生活に直結するサービスは市町村の方が住民のニーズを知っているので、何かと制約条件が多い国からの「補助金」「地方債」「交付税」の「地獄の3点セット」に頼らず、飽くまで村独自の子育て支援を充実させたことに尽きると述べられています。市町村にはそれぞれの地域事情がありますから、全国一律というのは余り意味がないのかも知れません。その村長さんが、子供の声を聞くと年寄りの背中もぴんと伸びる、子供を増やすことが最大の高齢化対策だと言われていたのが印象的でした。
 子供は単に個々人の問題だけではなく、地域社会が守り育てていくものでもあります。大人が子供を見守るだけでなく、大人は子供たちの目を意識する中で、しっかり“大人”らしくなり、そういう暖かい雰囲気の中で地域社会の治安や安全が維持されるとともに、若いエネルギーによって地域社会が活気付けられるのだと思います。出生率低下は、社会が抱える様々な問題の一つの現象に過ぎませんが、その社会にとって根源的な、極めて象徴的な結果(指標)だと思われます。どうやら、今の日本全体を覆う閉塞感を打開する切り札として、小泉さんが打ち出した三位一体改革、個々人あるいは地域により権限を委譲し活力を高める取り組みが、今まさに求められているように思います。

宇宙開発の時代

2009-03-16 22:29:59 | あれこれ
 若田さんを乗せたスペースシャトル「ディスカバリー」が、ようやく今日、打ち上げられました。1996年と2000年に続いて三度目の宇宙飛行となる若田さんは、ミッション・スペシャリスト(MS、搭乗運用技術者)として、約三ヶ月間、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在されます。日本人で初めての長期滞在という意味で、日本の宇宙開発の新たな一頁を刻む快挙です。
 さて、オーストラリアという車社会で足腰の衰えを気にする俗な私は、無重力状態で長期滞在すると足腰が衰えるのではないかと、俗な心配をしてしまいます。
 実際に宇宙では体重を支える必要がないため、骨の主成分カルシウムが溶け出し、大腿骨などは一ヶ月で1~2%減るのだそうです。これは骨粗鬆症の約10倍という異常な減り方で、放置すれば骨はボロボロになってしまい、実際、米・露の屈強な宇宙飛行士が帰還後に骨折したケースがあるほどです。カルシウムが尿中に溶け出すと、尿路結石ができやすくなるのも、宇宙飛行士の職業病とされます。想像するだに、痛そうですね。
 ある意味でこれは宇宙環境に適応する結果でもあります。かつて、太古の地球の海から誕生した生命は、必要なカルシウムを海水から簡単に取り込むことが出来ましたが、陸に上がった結果、カルシウムの供給源を失ったため、骨に貯蔵する仕組みを獲得しました。骨は荷重を受けると、カルシウムを蓄えて太くなる一方、宇宙のような無重力状態では、太古の海と同じで、カルシウムを放出するというわけです。
 また、筋肉も使わなければ、当然のことながら弱くなるため、若田さんも、予防のために約2時間の運動が日課になっています。しかし、これまでスペースシャトルに搭乗した日本人飛行士5人は、約2週間滞在しただけで、ふくらはぎの筋肉が平均10%減少したそうですし、数ヶ月の滞在後には、足の筋力が30%落ちるのではないかと危ぶまれています。
 勿論、一生を宇宙で暮らす覚悟なら、それも悪くありませんが、今のところ、そう割り切るわけには行きません。今回、若田さんは、骨粗鬆症治療薬ビスフォスフォネートを週1回服用し、宇宙での予防効果を検証することになっていますし、アシックスなどが開発した足袋型の運動靴を履いて、足の筋肉を鍛える実験も行なうそうです。将来の宇宙開発に先駆けて、自らモルモットになることも厭わないと、健気にインタビューに応えておられたのが印象的でした。
 日本でも、いよいよ独自の有人宇宙開発、すなわち国産宇宙船によって自力で宇宙飛行士を送り出す構想が現実化しようとしているようです。その背景の一つには、老朽化が進んだ米国のスペースシャトルが、来年には全機引退し、日本がISSに取り付けた宇宙実験棟「きぼう」を利用するにはロシアのソユーズ宇宙船に頼らざるを得なくなる現実がありますし、更には米国の関心が月と火星の有人探査に移行している中で、ISSの運用に対する将来の不安があるとともに、日本に有人技術がないままでは、巨費を要する月面基地に資金面で協力するだけに終わりかねない現実があります。宇宙という新たなフロンティアに挑む夢を、日本としても是非追い求めて欲しいと思います。
 今頃になって、文科系を選択したことを後悔している私です。宇宙開発の初期段階は理科系の独擅場となることは容易に予想できたはず。いずれ宇宙開発を詩的に表現するか体験記をブログ報告する時には、是非とも最初の文科系・宇宙飛行士として乗り込みたいものですが、いつになることやら・・・

カーネルおじさん見つかる

2009-03-16 09:07:14 | あれこれ
 先週、大阪道頓堀川からカーネル・サンダース人形が引き揚げられて話題になりました。大阪ではさぞ大変な騒ぎだったことでしょう。1985年の阪神タイガース優勝の際、ファンによって道頓堀川に投げ込まれたまま行方が分らなくなっていたケンタッキーフライドチキン道頓堀店の人形の可能性が高く、いったんは日本KFC社に引き取られましたが、引き続き熱い争奪戦が繰り広げられているようです。
 人形は、上半身と下半身が別々に引き揚げられ、トレードマークの眼鏡やステッキはなく、白い塗装ははげ落ち、肩に大きな穴が開き、表面と内部にはヘドロがこびりつくほどの憐れな成れの果てを晒しました。確かに写真でその変わり果てた姿を見ると、変わらない穏やかな笑顔が不憫を通り越して不気味でもあり、こんな無垢な人形を長年川底に閉じ込めていた罪深さを感じないわけにはいかず、阪神タイガースを23年間日本一から遠ざけていた“カーネル・サンダースの呪い”も俄かに信憑性を帯びるから不思議です。こうした神話があると、今年の阪神は、ある種の熱を帯びて間違いなく活躍するような気がします。大阪というのはそういう土地柄です。
 私は物心ついた頃から20年間、大阪に暮らしましたが、だからと言って阪神ファンではなく巨人ファンなのは、子供の頃、テレビで放映される野球中継が巨人戦ばかりだったからに過ぎません(阪神戦を中継する地元サンテレビはきれいに映らなかった)。しかもONが活躍して9年連続日本一の偉業を達成している途上だったので、少年の心を惹きつけるのはわけのないことでした。それに引き換え阪神は“ダメ虎”と呼ばれて弱っちく(それを見捨てられない地元民が多いのは事実ですが)、私が大阪にいた20年間、一度も優勝に恵まれませんでした。唯一、優勝にからんだのは、巨人9連覇目の年、最後の二試合で一勝すれば優勝できたのに、最初の試合では中日・星野にねじふされ(一説にはアンチ巨人の星野さんは球を真ん中に集めたのに、ガチガチに緊張した阪神は全く打てなかったとも)、最終試合は甲子園球場で巨人に0-9の完封負けを喫しました(試合後、阪神ファンが荒れたため、優勝監督の胴上げはなく、VTR機器が壊されて、記念すべき9連覇はロクな映像が残っていないと言われます)。そんなこんなで、周囲を見回しても、当時の少年が被る野球帽は読売ジャイアンツのマークの方がやや多かったように思います。大阪なのに!?と思われるかも知れませんが、巨人ファンは全国津々浦々に広がっていて(読売の営業戦略)、阪神のお膝元・大阪も例外ではなかったということでしょう。
 小学生の頃、クラスの友達と野球チームをつくったとき、背番号争奪戦で1と3が一番人気だったのは止むを得ませんが(敗れた私は仕方なく間を取って2番をつけ、以後、私の人生のラッキーナンバーに仕立てましたがそれは余談)、野球帽の方は、阪神・巨人混成で、ピッチャーは左利きエナツ気取り(あだ名は実はカネヤン)、キャッチャーは三振か打てばホームランのタブチ君、ファーストは左利きで運動神経抜群のオウ気取り、サードは華麗なフィールディングのナガシマ気取り(実は背番号2)、ショートはカッコウ付けのナガシマ気取りその2(背番号3)、かくてナガシマ気取り二人が三遊間を守るので、鉄壁の三遊間と自画自賛していましたが、外野は人数が足りなくて近所の年下のガキを適当に守らせていたので、外野に球がこぼれると長打になるのが泣き所でした。監督はなく、自分たちでコーチを互選する民主的なチーム運営で、近隣のリトルリーグに挑戦状を叩きつけ(と言いつつ実は相手チームの監督さんに体よく審判をやらせるのが狙い)、負け知らずの伝説の野球チーム・ホワイトスネークス(命名の由来はいまだに不明、当時知っていた英語を適当にくっつけただけという説も)は、私たちのことです。
 閑話休題。カーネル・サンダース人形の話題に戻りますが、やはり阪神甲子園球場の守り神として安置されるのがこれからの生きる道でしょう。大阪にはことのほか愛着があるアンチ阪神ファンとしては、そう願ってやみません。

オーストラリアへの海外留学生

2009-03-14 01:41:25 | シドニー生活
 オーストラリアへの海外留学生が、昨年度、50万人を越えたことが発表されました(正確には54万4千人)。前年比で21%の増加だそうです。中でもアジアからの留学生が増えており、中国人が最大で12万7千人、全体の四分の一近くを占めます。確かにシドニー大学があるシティ南西部や、NSW大学があるKensingtonでは、アジア人(特に中国人、韓国人)の若者が闊歩しており、本当にここはオーストラリアかと見紛うほどですが、残念なことにそこに日本人の姿は殆ど見られません。人口も経済もほぼ日本の六分の一の規模で、海外留学生はオーストラリア経済に143億ドルをもたらし(2007年)、教育は、石炭、鉄鉱石に次ぐ堂々の第3位の隠れた輸出産業と言いますから、驚きです。
 連邦政府のジュリア・ギラード教育相は、「アジアからの留学生が増えているのは、オーストラリアとアジア諸国との関係強化のおかげであり、また、オーストラリアの教育機関の水準の高さが世界的に認知されて来たことを示している。」と述べていますが、そもそも外国人を受け入れるオープンな社会基盤があることが前提にあります。かつて白豪主義を信奉していたことがウソのようです。私の周囲の華僑の知人の話を聞いていると、裕福な家庭の子弟は英国へ、それほどの余裕がなければオーストラリアへ、更に身近なところであればシンガポールへ留学させるのが一般的で、植民地支配の余韻をそこかしこに残す東南アジアでは、思いのほかヨーロッパ(的文化)への結びつきが強いことを感じます。
 以前、別のブログに書いたことですが、アメリカのパワーを担保するものは、国際公用語の英語と、国際基軸通貨ドルと、教育制度だと主張する人がいました。最初の2つはともかくとして、教育制度については、海外からの優秀な留学生を惹きつける環境を整えることによって、世界の頭脳をアメリカ市場に囲い込む、いわば青田買いの意味合いがあるのだろうと思います。そのまま優秀な労働力としてアメリカ市場に供給することが出来ますし、仮にそれぞれの母国に戻ってしまったとしても、アメリカという国へのシンパ(理解・愛着)を増やし、自国学生との交友関係を通して世界的な人脈を育てることが出来ます。優秀な学生ほど、将来、それぞれの母国において枢要な地位を占める確率が高く、長い目で見れば経済力や軍事力に勝るソフト・パワーたり得ます。しかもこれはアメリカという国の思惑に留まらず、学生側にもそうしたネットワークを手に入れることが出来るという強力なモチベーションが働き、強固なシステムになり得る好循環になっています。
 因みに日本の海外留学生受入れの数を調べてみると、3年前のデータですが、僅かに12万人弱でした。オーストラリアの54万人との差には、愕然としてしまいます。日本以外で進む交流を見ていると、日本だけが世界の潮流から取り残されているようで、焦りのようなものを感じてしまいます(私が焦ったところでしょうがないのですが)。