シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

WBC準決勝

2009-03-24 08:28:55 | あれこれ
 昨日の準決勝・第二試合で、日本が米国を下し、決勝進出を決めました。しかし、二大会続けて決勝に駒を進めたことよりも、日・米の直接対決で初めて日本が勝ったことの方の意味を噛みしめます。75年前、ベイブ・ルースを中心とした大リーグ選抜に当時の日本は全く歯が立たなかったことを思うと、原監督が「歴史を刻むことができた」と語ったのは、あながち大袈裟ではありません。
 勿論、今回のWBCに当たって、米国チームは、調整を理由に離脱者が続出し、本当の意味での米国オールスター・チームになっているかと言うと大いに疑問ですし、ここ数試合、大リーグ監督から、WBCに出る機会のなさそうな選手を引き揚げたいという発言が相次いでいることからも知れるように、商業主義・米国にとって本当に重要なのはレギュラー・シーズン(更にその先のワールド・シリーズ)であって、WBCの位置づけは所詮はボーナス付き(優勝チームには270万ドル!)のオープン戦程度に過ぎないのかも知れません。イチローの調子も、もともとスローだというのに加え、年齢はともかくとして、米国流に馴染みつつあると言えなくもありません。
 もっとも日本だって、戦力だけを見れば、ノムさんが「なぜ松中と細川を外した」とぼやいたように、ベテランだらけの重量チームではなく、今回は原監督の意向なのか、活きの良い若手を織り交ぜたなかなか大胆な起用になっていると思います。短期決戦の流れを意識したものと思いますが、そういった選手起用における柔軟性、いわば層の厚さという点では、韓国より日本、日本より米国、といった感じがするのです。
 別の言い方をすると、WBCの戦いの背後にある、極めて感覚的なものですが、米国には余裕(所謂遊び)があります。韓国より日本、日本より米国に、より余裕があるという感じです。AP通信は「米国の国民的娯楽が、地元で大きな打撃を受けた」と伝え、ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版)は「次回までの4年間、米国はどうしたら負けないか解決策を模索しなければならない」と論評し、大リーグの公式ホームページも「決勝に進んだ2チームから、我々は何か学ぶことがあるはずだ」と、米国の準備と熱意の不足を指摘したそうですが、却って本気になっていない故の底知れないものを米国から感じてしまいます。
 「野球」ではなく、「ベースボール」という語感にまつわる娯楽性やプロフェッショナリズム、文化としての普遍性という点で、米国は別格です。原監督が、準決勝の勝利後のインタビューで、米国野球を追い越したとは全く思わない、ただ、どこかで認めてくれる存在になったかな、とは思う、と、控えめに話したのは、勝者の謙遜やメディアを意識したものではなく、心の底から米国のベースボールに敬意を表しているものだと思います。
 そういう意味で、WBC決勝が、「ベースボール」発祥の地・米国で、日韓対決になってしまって物足りなく感じるのは私だけではないでしょう。日・米対決を決勝のために取っておきたかったというのが正直な気持ちです。期せずして韓国メディアは「野球戦争」と対決ムードを煽っています。米国「ベースボール」への憧れは別に、先ずは「野球」の因縁の対決にケリをつける時です。