シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

アリス

2009-03-05 21:39:01 | あれこれ
 アリスが再結成され、28年ぶりに全国ツアーを行なうことが報道されました。
 アリスと言えば、中学生の頃、「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない」という谷村新司さんの低くよく通る声のラジオ・コマーシャルが思い出されます。それほど、フォーク・ソング時代、モーリスのアコースティック・ギターを持ちたがった時代の、憧れの存在でした。
 結成は1971年12月末、解散は1981年5月と言いますから、活動は1970年代を中心に9年半に及びます。フォーク・シンガーとして、デビュー曲「走っておいで恋人よ」や「明日への賛歌」は谷村新司さんが作詞・作曲で、所謂シンガー・ソング・ライター路線を歩みましたが、泣かず飛ばずに終わり、その後、「青春時代」や「二十歳の頃」のようにフォーク調でありながら、なかにし礼作詞・都倉俊一作曲という歌謡界の黄金コンビによる作品もありましたが、それでもメジャーになれませんでした。初めてのヒット曲は、ずっと下って1975年9月にリリースされた「今はもうだれも」で、オリコン・チャート11位まで上昇し、メガ・ヒットとなった「冬の稲妻」がリリースされた1977年10月から、アリス作品の中で唯一オリコン1位になった「チャンピオン」までのシングル4曲約2年間がアリスの絶頂期にあたるでしょう。このメガ・ヒット時代はフォーク・シンガーの枠を越えて活躍の幅を広げましたが、私が好きなのは、飽くまでメガ・ヒット以前のアリスでした。
 聴く音楽はサザンとユーミンに尽きる、ということは以前にこのブログで触れましたが、演る音楽は実はアリスと風(伊勢正三)に尽きる私です。高校の修学旅行の芸能大会で、フォークソング・サークルの友人にギター演奏してもらってアリス「帰らざる日々」と河島英五「酒と泪と男と女」(大阪らしい・・・)を歌って芸能大賞を貰ったからではありませんが、大学に入ってアリスのコピー・バンドを結成し、京都女子大学の学園祭(藤花祭)でコンサート・デビューまでしてしまうという、若さと言うか、怖いもの知らずというのは本当に素晴らしいことで、今では慙愧に堪えません。
 アリスに関して外せないのは、関東ではセイ!ヤング、関西ではMBSヤングタウンでの、谷村新司さんのDJ活動でしょう。大阪人の私としては、ヤングタウン(通称ヤンタン)での、ちんぺい(谷村新司さん)、ばんばん(ばんばひろふみさん)、佐藤良子さんの三人の掛け合いに、受験生の頃は随分心を癒されました。歌手としてだけではなく、DJ=今で言うパーソナリティは全人格が勝負の役柄で、いろいろな面で影響を受けた初めての芸能人ではないかと思います。
 今回の再結成にあたってのコメントがふるっています。「60(歳)だし、そろそろ一発かますかという機運が盛り上がってきた」(谷村新司)「アリスは一番大事な故郷だった。それがもう一度、節々が痛くても出てこれたのがうれしい」(堀内孝雄)「60になって力の抜き方がわかってきた。本番はすごいことができると思います」(矢沢透)「なんのポーズもとらないし、投げられる直球を投げたい」(谷村新司)と、これじゃあ四半世紀前のイメージそのままです。人間は年齢を重ねても本質は変わらないものですね。嬉しくなります。