拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『 坐 』 = 大乗UFO

2023年01月30日 | 東洋自分なり研究所

  昔の坐禅修行時代のことを思い出すと・・・

  外がまだ真っ暗な早朝、坐禅を組む瞬間におそらく誰もが自問する問は、『なんで俺はこんな事してるの?』・・・であろう。

  それでも、坐を組んで背筋を伸ばすころには、小さなコックピットに乗り込んで、『出発オーライ!』…のような心持ちになったのは

  私だけではないだろうと思う。・・・私の場合、確かに『未確認飛行物体』に乗り込む感覚があったことを今でも思い出す。

       

  『坐』というのは形からにして『大乗UFO』で、『大乗』とは、単に大勢乗れると言うことでなく、『偉大なる乗り物』ということだ。

  『大乗UFO』の目的地はここ(此岸)から(彼岸)への飛行であり、他のいかなる処ではない事を明確に指示するのが『禅』という働き。

  飛行中、『観音』という境涯に至るが、そのときは『念彼観音力』という自動操縦に切り替え、行住坐臥『念彼ネンピ』の働きを忘れることはない。

 

  その航路を『道』という字がよく表している。 

  人は『自我』の力で『此岸』まで自力で至るが、そこから『円』を完結する『摩訶般若(偉大なる智慧)』の彼岸へは、

  『自我』を捨てる行為、『首』による『無我』という『坐』で、その『空間』を飛行する以外に『道』はない・・・のだ。

  私は今、『観音』を聴きながら、未知を恐れる気持ちを仏に習った『施無畏印』で粉砕して、大宇宙を飛行中である。


   『水鏡 』 の為に・・・

2023年01月28日 | 東洋自分なり研究所

          

             浮くものを 上下に映す 水鏡 永遠と瞬時の 境目みせて  一撮

 

  Mac電脳の記録によると、この写真『水鏡』の撮影は、2010年の4月25日になっている。

  この写真を撮った時、この『短歌』が生まれるとは思っていなかった・・・ 。

  写真に『文字=短歌』を乗せるアイディア(企画)が決まって、写真を観るともなく見つめていると浮かんできた詩だ。

  しかし、詩ができても私はその真意が解らないでいて… 自分の中では禅の公案のように反芻していたのだと思う。

 

  そして今思うことは、この写真と詩を見出す為に私はわざわざ日本からここレマン湖に来た・・・ということだ。

  私達人間にとって、最大(マクロ)にして最小(ミクロ)の人生の単位は『生死』なのではないのか。

  だとして、その『境目』を観るのは誰か?

         

  この『境』という字・・・まるで『音+見る』を示唆するようで、私にとってそれは『観音』となる。


  『馬骨さん-兄さん』・・・と呼ばれたい!

2023年01月26日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  久々に『郷愁』というものにどっぷり浸った気分は、Netflixで『舞妓さんちのまかないさん』を観たせいだ。

  まかないさんが用意するイチイチ美味そうな料理シーンは、食い意地がきたない馬骨の舌を大いに逆なでしたが

  何より、二人の『お母さん』と称するリーダーの下(もと)先輩舞妓と舞妓見習い等が共同生活する濃密な人間関係の『美しさ』に魅せられた。

 

  前回奇しくも、山折哲雄氏が提唱する、教育における『美意識』の大切さ…について書いたが、このドラマを監督した是枝監督の狙いも

  まさに同様の所にあることが彼へのインタビューの答えを聞いていてわかった。

  昭和生まれの馬骨には『舞妓の生活スタイル』が昭和風に観えるが、実際はもっともっと古い歴史に基づく伝統文化にのっとっていて

  現代社会が大騒ぎしている『AI』とか電脳社会とは一線を画する『生活スタイル』がとても新鮮に映る。

 

  Netflix・・・というと、近未来から未来社会のおどろおどろしい物語、或いは逆にバイキングやローマ帝国軍の歴史物が跋扈している中

  誰が観ても『郷愁』をそそるに違いない、この『舞妓物語』は輝いて観えた。

  

             

  物語の室内シーンでチラリと『祇園の芸、舞妓の誓い』五則が書かれた板が見えたが、その内の3則を書き出してみる。

  1・私達は常に美しく、優しく、親切にいたしましょう

  2・私達は祇園の伝統を誇りとし、技芸の習得に励みましょう

  3・私達は善良の風俗を乱さない様、清潔でありましょう ・・・ なるほどネ。


  審『美』眼は『沈黙』の中で育成される

2023年01月25日 | 色読是空

  書籍で『沈黙の作法』、山折哲雄x柳美里(対談)著を読了。  やっぱり紙の本はいいなぁ・・・。

  読み終えた本の厚みを手にして、『あぁ読んだ…』という実感を持つ事…自体に何か意味があるのだろうか?

  海外在住ということで自然、電子書籍(アマゾン)購入になるんだけど、今数えると約100册になる。(驚!多分10年間くらいで?)

 

  パリのジュンク堂書店でこの本を見かけ、その帯の裏に書いてある二つの言葉・・・に惹かれて買ってしまった。

   『沈黙は、最高で最終的な宗教語なんです。』・・・山折哲雄

   『本当の問には答えが無い。』・・・柳美里

  まるで『禅』について語っているような、帯の言葉に『エッ!』…と、思いました。

 

  2019年にこの本が出版された時点で、山折哲雄氏は88歳、柳美里氏51歳。かなり歳が離れた者同士の対談は

  山折哲雄氏は宗教学者、評論家、 柳美里氏は劇作家、小説家・・・という肩書のせいもあり、全編に仏教的流れはある。

  今日までお二人について、全く知らずにいたので、彼等の著書を読んでからもう一度この本『沈黙の作法』を読むべきか・・・。

 

  柳美里氏は在日韓国人という出生で始まり、演劇人の夫との間に生まれた子どもの出産とその夫の死を同年に体験。

  その後劇作家、小説家として大成するも、2011年東北大震災後、作家としての信念を貫くべく、

  鎌倉の住まいから福島県南相馬市に移住し、本屋を始めるという普通ではない人物であった。

 

  一人は仏教、一人は作家の眼を通して『人間』を見つめ、至った共通の境涯が『沈黙の作法』であったか。

  最初から『自殺』、『いじめ』問題にふれ、『死生観』にまで話がぶっ飛ぶ。

  6回に渡る、対談のテーマは多岐に渡るといっても、必ず人間の深い処に集約する。

  その中で、山折哲雄氏が提唱する言葉

    『これから学びの進む小学生の入り口にして欲しいのは、心の領域を支える『美意識』です。

    美から入った方が、道徳的な感性やいわゆる日本人的な宗教的感性に近付きやすい。宗教や道徳で善や真をとくでしょ。

    善いことは美しい、真実は美しい、と受け取ることが出来る。そういうところにこの国の心の教育の特徴というか

    基本的な方向性があったと思いますよ。そこからそういう感覚が育つ。いじめは醜い、いじめる君自身が醜くなる、と導くことが出来る。』

  ・・・このように語る山折哲雄氏の変哲も無い、当たり前のような事が案外、現代下における諸問題の突破口になる気がした。

           

           この本の中で、山折哲雄氏によると柳美里氏は『弥勒菩薩』に似た表情をしている・・・のだそうだ。

            確かに、本当の審美眼を持てば『いじめ』はなくなるに違いない。

    

  

 

  

  


  『Wi-fi "観音”』 が真っ先に接続するモノ

2023年01月24日 | 東洋自分なり研究所

  仮に『色=科学界』、『空=仏界』の『パラレルワールド』・・・と解した時、(と言いながら、それを私は何も解っていないのだが…)

  科学の発達によって『仏界』の理解が深まる…というか(イメージ)による説明がしやすくなるような気がする。

  というかSF的な世界観が広がり、深まり・・・ついには全て『仏界』にコネクトしてしまうような。

 

  『坐・禅』の『坐』は最高・最新・最精・最深で唯一の、『自己』と『本来の自己』とを結ぶための『仏・ID-IT奇器(キキ)』で

  そこから受発信される『Wi-fi"観音"』をしっかり『覚!』するのが『禅』である・・・・とは、馬骨の最新の解釈である。

       ( * ID=Identification / IT=Information Technology )

 

  つまり、『仏界』から発信されている『観音』というWi-fiをキャッチしている人々が『菩薩』で、

  人間には皆、その『仏・ID-IT奇器』が備わっている(釈迦曰く)・・・ということで、今日まで仏教が続いてきた。

         

  私の携帯の『待ち受け画面』も当然『観音様』、ここでもしっかり『調心』し、『観自在』に備える。


 拈 『華』 と 『幸』

2023年01月23日 | 東洋自分なり研究所

  『東洋自分なり研究所』において、あまり深く考察していないにも関わらず、仏が持ち示す『華』と『幸』の関係がこのほど観えてきた。

 

  それは『幸』の字を昨日、パッとみた時、観たママ感受したのは『土』と『咲く』・・・という閃きによる『馬骨流解字』で

  『土』の下から、いずれ『咲く』べき『苗』が備わってる状態がすなわちすでに『幸』で、それを現実に咲かした華を自分で

  持ち示して観ること・・・それこそが本当の『幸』の第一歩であるという、『馬骨流現代仏語解字』が出来上がった。

         

 

  私は以前は、釈迦が華を持ち示した逸話『拈華微笑』に於いて、それは『華』でなくとも何でも良かったのでは…と思っていた。

  しかし、人間は誰もが、咲かすべき『悟りの華』を持つ・・・という風に『拈華微笑』を解釈した時、

  仏が持ち示すのは『華』でなければならず、それを咲かすことが人間にとっての『幸せ』であると解釈すると

  『仏教』も『悟り』も理解しやすくなる気がする・・・のだが。

 

  驚いたのは本物の解字で、『新漢語林』によると、『幸』は手枷の象形・・・であるというのだ。

                   まぁ、たしかに仏教では『執着』を強く戒めているが・・・。

   


We are the One who make a brighter day・・・

2023年01月22日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  今日書こうとしている内容は、とても残念というか・・・、今さらどうにも出来ない事ながら、かと言って見逃す事の出来ない重い内容だ。

              

 

  というのも、今朝まだ寝床にいる時間に、相方が昨日たまたま目にした地元スイステレビのドキュメント番組にショックを受けたので

  一緒に観てくれ…との事で観たのであるが、その内容に私もかなり驚いた。

  番組名は『Temps Présent』で1月19日にオンエアされたもので、世界的に有名は探検家『マイク・ホーン』氏についてのドキュメントであった。

  彼の冒険の偉業をいくつか書き上げようと思ったが、あまりにも多く多岐に渡るので割愛することにした。

 

  彼は24歳の時、故国の南アフリカから身一つでスイスのフランス語圏の田舎に来て酪農の仕事などしながら徐々に探検を始め

  56歳の現在ではスイスで彼を知らぬ人がいないくらい有名人となり、彼を誇りに思っているスイス人も大勢いる・・・という人物だ。

  本屋に彼の顔が表紙になっている本が、長期間展示していたこともあって、私でも知っている人物で、日本で言えば植村直己氏だろう。

 

  このドキュメントでは、彼が19〜20歳の時の南アフリカでの兵隊としての活動を問題視している。

  1985年、19歳の彼は志願兵として、自国と隣国のアパルトヘイト(人種隔離政策)に反対運動している、反政府グループの黒人達を

  征伐するために、かなりの黒人を殺している・・・というのだ。このことについて直接本人にインタビューしている場面が何度かあり

  彼のあまりに繊細さにかける話しぶりに、唖然とするし、『戦っている最中に地雷で指を一本失った』と彼の自伝に書いてあることも

  今回現地南アフリカに行って、当時の兵隊仲間にインタビューすることで、事実ではないことが明らかになったり、自分をヒロイックに

  見せるために書かれていることが、事実ではないことがいくつか取材であきらかになった。

 

  彼が24歳の時、裸一貫でスイスの田舎にきて、フランス語もろくに話せず、朴訥で真面目な人柄・・・ということしか知らず

  彼の過去を一切しらない地元の人々の信頼を築いていったのだろう。

  

                                                                              USA For Africa - We Are The World (HQ official Video) 

  1985年、アメリカのアーティストによって南アフリカの『アパルトヘイト』反対の意思を表す為に歌われたこの歌は素晴らしく

  私も大好きであったが、正直『アパルトヘイト』が何なのか、当時の私はよく知らなかった。

  この同じ1985年、19歳だったマーク・ホーンはアフリカで、狩りをするように黒人たちを殺戮していた…ということになる。

  彼は冒険家としての心得を聞かれると、『軍隊にいた時に培われた・・・』と随所で話しているが、それはどういう事であったのだろうか。

  

  この番組の終盤、この番組収録を見た本人からのメッセージとして、当時の自分の行為を後悔している旨の内容が流されていた。

  私は彼を糾弾するつもりはない。しかし、今現在も世界中あらゆるところで『人種差別』が行われている状況のなか

  世界に名声を博す人物が、最近の取材の中で臆面もなく自己を正当化している姿に、違和感を覚えるのだ。

 

  2日後:この話ってなんだかデジャヴュ(既視感)があると思ったが、何となく映画『砂の器』に似た感じがする・・・

      もちろん彼は犯罪者ではないが、有名人になったばかりに過去を取り沙汰される運命・・・というところがなんか…。

  


  『色』仕掛け

2023年01月20日 | 東洋自分なり研究所

  一昨日、我が街モルジュにも初雪が降り、モノトーンの世界に一変し、以前より気になっていた『色』の字について思う。

  『色即是空空即是色』・・・とは漢訳の『般若心経』。サンスクリット語では本当に『色』を意味したのだろうか?

 

  『色』の解字を見ると〜ひざまずく人の上に、もう一人があるさまから、男女の情愛の意味を表す・・・とあり、じつに色っぽい。

  であるから、単純な私は『色』を『煩悩』全般であると解す。

  そう解して、あらためて『色即是空空即是色』を観じ、自己の人生を省みれば・・・

  『道』とは『空』による『色』仕掛け…であったかと思う自分がいた。

 

  修行中、何度も何度も読み上げさせられた仏の四弘誓願〜『衆生無辺誓願度・煩悩無尽誓願断・法門無量誓願学・仏道無上誓願成』・・・と、

  誓願の第二番目に位置する『煩悩は無尽であるから断じよ』という『煩悩=色』が『即是』『空』だと言うのだ。

  つまり、『色』あっての『空』、『空』あっての『色』・・・というところが、『粋=生き=息=行き』ですね、仏道は。

 

              

               『 初雪や 白と黒との 『色』仕掛け 天上天下 尊悟『空』かな 』馬骨 (相方撮、私の背姿図)

  

 

  


  還暦ギャラリー『森』 〜 Good−by New York 1986

2023年01月17日 | 必撮無眼流

  『Good-by New York 1986 』という私、一撮の作品は正式には未発表。

           

  1985年、86年と2回に渡り計 7ヶ月ほどニューヨークに滞在した時、スナップショットした作品であるが

  撮った写真は、2000年過ぎるまでネガのまま、まったく手を付けずにネガBoxに。

  このニューヨーク滞在は、私にとって実に人生の『ターニングポイント』と言えるものであったのだが、

  その事自体に私は気付かず、濃い霧の中を路頭に迷って自分が一体何をしているのか、何をしたいのかわからず

  精神的に案外苦しい時期であったようなのだ。

          

  私は子供の頃から、自分の思いを誰かに話すとか相談する・・・という習慣というか、発想すらなかったので

  ずーっと遠回りして、ようやっと今頃になって『嗚呼…そうだったのか〜』なんて納得したりしている。

  そういった点、相方のように定期的に『(心理)カウンセリング』を受けていれば、もっと早く色々な事に気付いたかもしれない。

  ヨーロッパでは『カウンセリング』を受けることは、今では一般的であるが、相方の両親の世代では日本人同様抵抗感があるようだ。

          

  1986年というのは私が鍼灸学校を卒業し、居士林での禅の修行にも一段落をつけ、長年の夢であった

  ニューヨークへ行き、写真活動を・・・と淡いアメリカンドリームを頭の隅に描いて渡米したのであるが・・・

  ニューヨークに着いたとたん、私は濃霧に襲われたように頭がボーツとした。(日本〜N.Y間のタイムラグのせいもあり)

          

  渡米するまでの3年間は鍼灸学校に通いながら、土日は円覚寺居士林で坐禅するという『東洋的雰囲気』に浸り

  卒業したらいよいよ海外…と思っていたのが、私の内面では案外に『道』にハマっていたのだと思う。

         

  憧れの地に来た時、私は『虚無』の真っ只中に『落っこち』て絶望していたのだと思う。

  この作品がある程度まとまった時に、無意識的に『Good-by New York 1986 』とタイトルを付けたが

  その後、ヨーロッパ経由で帰国し、円覚寺に直行、老師の弟子(居士として)となって参禅を始めた経緯を考えると

  『長年の夢』にGood-by し、『道』に真剣に向き合うことになったのだ。

                             

  帰国した時には『禅』のことと、生活を支える仕事のことで頭が一杯で、『写真は止めた』と思っていたし

  ニューヨークでの写真にはろくなモノが無いと信じ込んでいた。

  しかし、いま作品を見ると自分の写真作品の中でも一番いい作品かもしれない…と思っている。

  

  

  

  

  


  『合掌』公案

2023年01月16日 | 東洋自分なり研究所

  もうそろそろ『おめでとう!』でもないか?・・・。

  私の愚脳は、今頃『おめでとう!』について考察…というか、私は禅者であるから『公案』として練っていたのか

  今頃、自分なりに『腑に落ちる』解答が出て来たという次第。

  いやいや、今調べたら、すでに1月3日に『おめでとう』考・・・として何か書いていたが、我が愚脳がそれでは

  物足りん・・・とダメ出したようなのだ。

 

  禅では『公案』…といって、いかにも難しそうな言い回しするが、単純にいえば素朴な疑問だろう。例えば

  幼子であれば、お坊さんが『合掌』しているのを見た時、なんで『合掌』するの?・・・と思うであろう。

  その時、お坊さんは何と答えるだろうか?・・・そもそもその答えを用意している坊さんはいるだろうか?

 

  私が禅修行を始めた時、29歳で大人であったから、寺で『合掌せよ』と言われても、その素朴な疑問を瞬殺していた?

  或いは、その時すでに『合掌』は『公案』であったったのであろうか?

  多分私の中では今でも『公案』であるに違いない、これまで『合掌』について色々書いている

  2022年7月7日のブログ記事『合掌〜その3』

  そう、『合掌』はお互いの『幸せ』を願う、『仕合せ』の仕草で『自他不二』を象徴している。

  この『自他不二』こそが、『悟り』の真髄であるから、『合掌』をすること自体がじつに『目出度い』といえる。

 

         

          この観音様は、まさに『合掌』せんとする『仕合せ』の仕草の瞬間を観せてくださっている。

  

 

 


  小さな土俵

2023年01月13日 | 還暦録

  年頭にあたり、私の経験から若い人にできる話・・・ということを考えた時、例えてみれば『土俵』の話はできるだろうか。

 

  私の言う『土俵』とは、常に初心者から始めなければならない『場』を意味し、数年前に自分の『還暦録』のために

  これまでやってきた職歴(バイトも含めた)を数えてみると『21の職種』を数えた。

  自分的には50ぐらいは・・・と思っていたが、以外に少なくて驚いた。

  それは多分、職種は『21』でも北海道から東京、神戸、大阪、ニューヨーク、スイス・・・と『場所』を変えていたので

  自分としては、職種という『土俵』に土地柄という『土俵』が加わり、沢山の『土俵』を踏んだ気分になっていたのだと思う。

 

  思えば、私は生まれてから一歳になるまで、『7軒の里親を渡り歩いた』・・・と、7軒目に養母となった母から生前

  聞かされたが(夜泣きが凄く、誰も長続きしなかったそうだ)それが事実だとすれば、私は『土俵を渡り歩く』星の下に

  生まれたような者であったのかもしれない。

  その意味では、私は他の子供のように、木に根が生えたような絶対的な『土俵』の上にいるという気持ちには

  ならなかったのであろう。

  

  いろいろな『土俵』をいくつか経験すると、人間関係というものはどこへ行っても同じであると、痛感した。

  どこにも嫌な奴もいれば、良い人もいる・・・と。

  そういった経験の中で、腐敗物があると、金蝿がよってくる…という自然法則が、人間の心や社会にもあって

  凛とした清淨な質を持たない者には『金蝿』が寄ってくる…という事情も、世界中どこへ行っても同じであると良く解った。

 

  ただ、『人金蝿』は人に『清淨心』のある事を気付かせる重要な役割も果たしているのかもしれないが・・・。

 

  私が『悟り』を『郷里・サトリ』と読み替えるのも、『土俵』というとっかえひっかえできる『場』ではない

  本当の拠り所としての『郷里』を無意識にも求めていたからであろうか。

        

            『 我々の 東湖畔の 初散歩 風が起これば 波やや高し 』一撮

 

  

  

  

  


  『観音』 への旅立ち

2023年01月09日 | 東洋自分なり研究所

  先週の2泊3日パリ旅行での最大の収穫は、坂本龍一氏の自伝『音楽は自由にする』購入であった事を読了して思った。

  (面白いことに、読了して携帯を見ると、偶然にも坂本氏の自伝続編を知らせる情報が表示されていた・・・)

 

  坂本龍一という人は、私が出逢った『唯一の有名人』…であり、1952年生まれの同世代人ということもあって

  ニュースなど(特に福島原発事故後)時折見聞する彼の動向には無意識ながらも常に関心を持っていた。

 

  じつは1984年、小学館が発行する『写楽』という写真雑誌のコンテストで私は『坂本龍一賞』を受賞し、

  授賞式の際に、一言二言彼と言葉を交わした・・・ということがあった。

  その前年1983年に映画『戦場のメリークリスマス』がカンヌ映画祭に出品され、彼は彼の音楽と共に俳優としても

  一躍有名人となり脚光をあびていた時期であったが、その後の活躍ぶりはこの自伝の年譜にびっしりと書き込まれている

  活動内容を見ることで私はあらためて驚嘆し、当時彼にちょっぴりライバル意識を持っていた自分を愛おしく思うばかり。

 

  彼の57歳までを綴った自伝『音楽は自由にする』を読んで、同じ1952年に生を受けた者同士という以外は

  比較の対象にもならない事を知った上で比較検討してみれば、私の言葉で言うところの『観音への旅立ち』という

  当然といえば当然の『観音という心の郷里』への回帰する姿が観えてくる思いがする。

 

  彼の自伝には3歳からピアノを始め、音楽家として『音』の探究歴が綴られている中、私が特に注目したのは

  彼が高校生の時大いに傾倒したというジョン・ケージ(1912〜92)の影響があって、この本の最後のところに彼自身の言葉で

  『禅的なものと一周りして繋がっているのかもしれません』(p243)・・・との記述があることであった。

  何故ならジョン・ケージという人物は、鈴木大拙の『禅の講義』を直接聞くことで『禅』に多大の影響を受け、

  その後『現代音楽の革命家』と称される人物となっている。

        

  ポスター2枚 ↑ は、2017年に制作された、坂本龍一ドキュメンタリー映画『Coda(最終楽章)』(S.ノムラ・シブル監督)

 

  私はこの映画を昔観たが、このポスターをあらためて観るにつけ、今またこの自伝を読むことで確信するのは

   『音』を『観』る如き探究姿勢を生涯通してきた音楽家としての彼が到達せんとした『場』というものが、

  ただひたすら大樹に対峙し、『音』とは一切無縁に黙念と坐禅してきた私が、向かわずに到達していた『場』が

  同じ『観音』という『場』ではなかったか…ということなのである。

 

  そして今回あらためて解ったことは

  彼の華々しい30代と比べた時、私の30代は『マイナス』とも言うべき『何もしなかった時期』で、無駄であったか?

  と自問した時、私は初めて『坐禅』というものが『主語の無い、祈り』の行為そのもので、『衆生無辺誓願度』に直結する

  尊い行為であった・・・と、『坐禅』の奥の深いことを心に刻むことができたように思う。

  

  

  

  


  『Zen』 とは何か・・・

2023年01月07日 | 東洋自分なり研究所

  新年早々、我ながら気張ったタイトル『Zenとは何か』・・・で、普通そんな事を書くからにはじっくり思考したかと思うが

  そうではなく、ふと浮かんだキーワード『大乗=Globalization』の線に沿って『Zen』について語れるのでは…と思った次第。

  『禅とは』という命題に関して、以前 2021年2月26日のブログ記事『禅とは・・・』で少し書いる。

 

  そこに自分で書いたのか?それとも誰かのパクリか?・・・いい言葉が書いてあった。

  『禅は、無宗教の者から その『無』を奪い、信心のある者に 『無』を与える・・・』

 

  そもそも仏教が『大乗仏教』になった時点で、仏教は『グローバル化』を内包していたと思う。

  その約2500年後、スズキ大拙によって、仏教は『禅』から『Zen』という新たな装いを施してGlobalizationをより先鋭化することになった。

  鈴木大拙が没した1966年から今日までの間、『禅流行の波』は大きくなったり、小さくなったりしながら徐々に世界中に浸透していった。

  3年前の2020年は鈴木大拙、生誕150年を迎え、学者達の間で、『鈴木大拙の思想』を新たな視点から研究する機運が起こっているという。

  彼が蒔いた種は、多くの人達に影響を与え、形を変えたやり方で行き詰まる情報化社会を打開するべく、四方に180度或いは360度巡らせる

  自在の視点、科学とは別な観点で問題解決の糸口を見出す可能性を示し始めている。

 

  『禅』は数ある仏教宗派の中でも、そのど真ん中に筋を通している。(と私は思っている)

  その中で、一般のインテリ層に言われていることに、禅は『宗教でもなく、哲学でもなく、主義主張でもない』・・・とは何で読んだが

  それは、『禅』を修行した私の率直な感想でもあり、そしてそのことは『禅』のグローバル化に必須の第一要件であるだろう。

  例えば、スズキ大拙が語り継ぐ大乗仏教の『禅』は『Zen』となって、宗教、宗派に囚われないままその宗教、宗派を理解し

  思考過多で頭コチコチのインテリ層には『まぁ、お茶でも一杯…』と柔軟に勧めたりして、本来の自己の探究を促す…というように。

 

          

         今回のパリ旅行で訪ねたギメ美術館で出逢った菩薩様(一撮)

  ギメ美術館では特別展として『アフガニスタンの仏像と仏跡』の展示があり、異教徒によって破壊される以前は

  驚くほどの数の仏跡、仏像があったことを知って、自分とは何の関わりがないと思いこんでいたアフガニスタンを身近に感じることができた。

  

  

 


 パリのカツ丼

2023年01月07日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  我が家の旅行担当大臣は相方で、いつも突然決まることと、だいたいいつも同じ所への旅行が多いが

  今回もパリへ2泊3日の小旅行となった。パリへは前回2018年だったのでちょうどコロナ禍を挟んで4年ぶりであった。

  フランス新幹線TGVでスイスから3時間弱で、『エッ…もう着いたの?!』という感覚で到着駅リヨンのそばのホテルに11時頃ついた。

 

  相方は旧友との再会という主目的が2日目にあり、

  私は今回はルーブル美術館に一日入り浸りの覚悟でいたが、いざ入場切符を予約しようとサイトを見ると混雑を避けるための

  入場時間の制限があって、ルーブルはあきらめ、一日中仏像を見ることにしてギメ美術館を予約した。

 

  第一日目の昼食・・・これは、我々夫婦間暗黙の了承で日替わり弁当定食が抜群のオペラ座に近い?『十時屋』を脇目もふらず

  目指したが、なんと!8日まで休日であった。相方のこの大失態を罵ったが背に腹は代えられず・・・即、第2候補の『ひぐま食堂』へ。

        

  『何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる(西行)』の詩が、このカツ丼を味わう私を襲ってきました…の図

 

  日本人の…というか、少なくとも私に、郷里・日本を思わせてくれるこの微妙な『味付け』を、遠来のここパリでよくぞ味わせてくれた!

  嗚呼〜、、、これだけでもパリまで来た甲斐があった〜と思えるほど、幸せでした。(普段何食っているのか?と思われるでしょうが…)

  (私の地元ローザンヌにHokaido・・・という日本食まがいの食堂にカツ丼ならぬトリ丼はありますが・・・これはこれで結構うまいが)

 

  それと、毎回パリに来るとおもうのですが、人情が濃いんですね、パリという街は・・・。

  逆に言うと、スイスが『人情に少し薄味』なのかもしれません。資源の乏しい小さい国を精一杯守って来るうちに

  『人情』という『ちょっといい加減』でいられる寛容性にかけるところがあるのかなぁ〜とは思います。

  特にスイスフランス語圏のプロテスタント系地域ではいまだに『カルバンの家』というほど不寛容性があるかもしれません。

 

  パリでは地区によるのでしょうが、貧しい人たちが肩を寄せ合い、助け合って生きている感は確かにある。

  相方ニコルのように誰彼となく声をかけ、会話を引き出すことに人生の最大の楽しみを見出す『喫茶去タイプ』の人間にとって

  ある意味パリは最高の『カフェの街』かもしれません。今回も私達が袖触れ合った人たちは皆親切でした。

  

  私の場合、パリに来るとどういうわけか女性観が甘くなる傾向があり、これは日本に居た時に受けた『ノンノン・アンアン』影響下の

  心理なのでしょうか? 女性が活き活きして観える? 或いは観ようとしている自分があるのかもしれません・・・(撮人家として)

 

  2日目の朝だったか、相方と散歩している時、道を尋ねるために二人連れと思えた若い女性に声をかけると、じつは二人連れではなく

  それでも二人共止まってくれて、二人共話を聞いてくれた上で、一人は『北』を指差すと、もう一人の女性は『南』だと思うと、携帯を

  出して調べてくれた。それが二人共22〜24歳ぐらいのピチピチの美人女性で、ファッションスタイルは対照的であるのに、

  出勤中で急いでいるであろうに…親切にしてくれたことが印象に残った。(昔の私であれば即、撮人していたであろう…)

  そういえばメトロでも、若い女性が老人に席を譲っている風景を2度ほど見た・・・。

 

 

  腹が満足したら、次は『ジュンク堂書店』へ行くわけであるが、今回ほど、『本は本屋で!』・・・という事を感じたことはなかった。

  スイスにいると、日本語の本屋さんは無いので、私はもっぱら電子書籍を利用して、まぁそんなものであろう…と思っていた。

  しかし、今回『書店』がいかに『パワースポット』であるかを実感した。

  ただ、値段が40〜50%増しになっているので私はこれまで敬遠していたが、いい本に出逢えばそんなことも言ってられない。

  書店で並んでいる本を観ることで得られる情報の質と量が抜群であることを実感させられた。

  で、買った本は2冊で一つは坂本龍一の『音楽は自由にする』という自伝。もう一つは『沈黙の作法』山折哲雄x柳美里。

  どちらも私をインスパイアしてくれること間違いなさそう・・・。

  

  


  仏説 『おめでとう』 考 … 馬骨風

2023年01月03日 | 東洋自分なり研究所

  『(新年)おめでとう!』・・・日本人の少ない、スイスでは『Bonne anée ボンナネ〜』と、7日ぐらいまで挨拶を交わす。

  これまで70年間、慣習にならってめでたい時には『おめでとう!』と対日本人には言ってきたが、

  暇も手伝って、『おめでとう』という言葉としてはよく意味の解らない言葉を考察することにした。

  辞書によると、『愛(め)でる』や『芽がでる』が語源になっている・・・(かもしれない)ぐらいの

  ちょっと頼りない、よくわからない説明で終わっている。

 

  そこで、馬骨なりの考察だと、まあまあの仏説『おめでとう』に落ち着きそうだ。

 

  その1〜 そもそも、『目出度い』という時、縁起物のハリボテの達磨さんに墨で『眼を入れる』・・・という風習は

       現在では選挙に当選した時などに行われるようだが、昔は他の『目出度い』時にも入れていたのだろうか?

       禅の開祖である達磨さんに『眼』を入れる・・・ということは、その理由は一つしかない、それは『悟り』を開いた時で

       仏語的には『見性』した時であるから、『仏性』をみる『目』が出て、『お目出度う』・・・となったという馬骨説。

 

 

  その2〜 『お芽出度い』と、『芽が出た』ということであれば、聖観音菩薩が蓮華の花を持ち示す如く

       人間も『悟りの華』を咲かす生き物で、『悟りの芽』が芽吹く出来事や、時節が来た時に『お芽出度う』・・・ という馬骨説 

  などもっともらしい雰囲気を醸し出して、『おめでとう!』と言うたびに、『悟り』に一歩近づく気がするではないか。