拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

ローザンヌ=『盧山は煙雨、浙江は潮』か?

2015年12月05日 | 瑞西考
 先日、 Sylvain Botter・・・という人の『ローザンヌ』の動画に出会った。(⬇︎⬇︎)
 色鮮、時間短縮した影像+この音楽。。。となるとボクのローザンヌ観とはだいぶ違う様な気がするものの、
 撮影者が見せるローザンヌも確かにありで魅力も感じる。

 1984年(?)当時医学生だった女性に招かれて初めて西洋の国、しかもヨーロッパ上の何処にその国があるかも知らなかったスイスはローザンヌに到着した。
 その後紆余曲折を経て1991年、ローザンヌ在住をはじめてから今年で24年になる。
 けれど、この街について『こういう街』です、という見解というか感慨を述べることを避けてきた。
 ローザンヌという街の『器』の部分はある程度書き述べる事は可能でも中身については毎日『万博』に来ている気がするくらい多種多様の人間が生活している
 のを見ていると、そう簡単には述べられない・・・というのが正直な感想なのだ。

 ただ、この映像の刺激によって、自分とローザンヌの『縁』について若干考えてみようと思った。
 ただし、ここからが『ダジャレ・オヤジ』本領発揮とななるが・・・

 1983年ごろ、ボクは30歳で新宿の東洋鍼灸専門学校にかよっていた時期で、同時に少しずつ『禅』にもハマりつつあって、
 鈴木大拙著の『禅による生活(Living by Zen)』を読み始めるわけであるが、その序文に宋代最大の文人であり、禅の研究者の蘇東坡の有名な詩が載っていた。

      盧山(ろざん)は煙雨  浙江(せっこう)は潮(うしお)
      到らざれば千般の恨み消せず  到り得 帰り来たれば別事なし
      盧山は煙雨  浙江は潮      
                     蘇東坡(そとうば)

 盧山はユネスコの文化遺産の登録されている中国江西省南部にある名山でよく水墨画で描かれ古来より名勝として知られている名所であり、ローザンヌとは
 縁もゆかりもないのであるが、ボクの中では『盧山』と『ローザンヌ』はダジャレ的+禅詩的、『縁』でしっかりと結びついているのだ。
 (Wikipediaではローザンヌはフランス語でのより正確な発音は『ロザン=lo'zan』である)・・・ということでもあるし。
 (ローザンヌ郊外のぶどう畑も文化遺産のに登録されているし)

 誰もが憧れる風光明媚な地(ロザン)に 到らざれば千般の恨み消せず 到り得 帰り来たれば別事なし・・・・ この命題を
 天はボクに与えたのであろうか、でなければなんで自分が『ローザンヌ』なんかにいるのか???

  
                


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