拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『 数式 』 対『 漢式 』

2024年09月09日 | 東洋自分なり研究所

  もしかして、私はえらい発見をしてしまったかもしれず・・・そしてそれはノーベル賞に匹敵はしないかもしれないが、それに限りなく近い気がしている。

  

  まぁ、そもそもが『東洋自分なり研究所』で『自分なり』・・・というところが『ミソ』であるが。

  私のヨーロッパ・仏語圏スイスに天命のような渡欧の理由(一見無意味にみえる)の深意の一端がこの発見の為ではなかったか・・・?!

  とか、いう前置きはそのくらいにして、私の発見というか、思い込み…というか? それは何かというと

  『科学の解明には「数字・方程式」が、東洋思想の解明には「漢字・方程式」が必要である』・・・というものである。

 

  これまで、私は漢字は意思疎通のための方法手段であり、それ以上でも以下でもない・・・と思っていたし、それが一般的であると信じていた。

  『考えるな、漢字ろ!』に開眼してからも、まさかそこまで『漢式』が洋の東西を超えた『心性の解明』に深く関わっていたとはまさに

  『お釈迦様でもご存知あるめい…』の心境で、びっくらこいた心境であり、誰も想定することのない想像を絶する創造的発見である。

 

  いま思い返せば、修行時代のある日、老師が『お前は漢文が読めるか?』と問われ、非常に情けない気持ちで『読めません』と

  答えた自分をよく覚えているが、その問はただ単に『漢文が読めるかどうか?』を問われただけである、と解っていながらも

  『漢文は単なる漢文ではないんだぞ!』・・・と、示唆していたように思えるのが不思議だ・・・。

 

  三十数年に渡って仏語(フランス語)の国に住みながら、ろくに仏語が話せないだけでなく、仏教の『仏語』が『佛語』に昇華しただけの成果に

  一見、何のなめにわざわざ遠路はるばる言葉の通じない異国に来たのか? その理由の答えが『漢字・方程式』、略して『漢式』の発見であったのだ。

              

                   

                今朝、日本に一ヶ月の旅に旅立った友人の碧い目の禅僧『道海』さんに、『Bon Voyage』のメッセージを送ると

                彼からの返信にこの絵を返信してきた・・・誰の作画かしらないが『雲水』の旅姿であろう。

  『佛』の字を『漢式』で解くと、いろいろ面白いものが観えてくる。

  新漢語林によると、『佛』の『弗』は、『からまるヒモを二本の棒で、振りはらうさま』とあり・・・馬骨解釈すると、それは『色空』の二棒で一切皆苦からの解放で

  それはまた『自他不二』の『不二の法門』を象徴している。

  もう一つ面白い観方は、『弗』が、『DNA〜Dignity(尊厳)・Nature(性)・Absolute(絶対)』の意伝子の形(二重らせん)を表してみえる。

  つまり『佛』という字は、たった一字で、人間の『不二の法門』と『尊厳という絶対の性=仏性』の意伝・・・を表しているのだ。


  『意識』と知識

2024年09月06日 | 東洋自分なり研究所

  『AはAではない、ゆえにAである』・・・と言ったのは、『即非の論理』といって我が 鈴木大拙 師があみだした論理・・・。

 

  このわけのわからない論理? 何のこっちゃヤロ・・・とずーっと思っているうちに、『仏教は仏教ではない、ゆえに仏教である』と

  いつの間にか思っている自分がいた今日此の頃。 『仏教は仏教ではない、ゆえに禅である』・・・と私は思い込んでいるようだ。

 

  そう、禅は『全・善・然』・・・なんかが、ほどよくミックスされた何かなのだが(語呂的に日本語は上手いこと出来てるナ〜)

  とにかく禅はまず、『意識』を立ち上げるだろう。

  そして、『意識』の『意』は『心に音が伴っている』識で、それを活用することが『観音』で、『般若智』には『観音』という『意』が働く。

 

  例えば『自由時間』という日常用語・・・この『自由』を『佛語』と意識したとき、その意味合いは次元を異にしてしまう…ということ。

  そういった『意』をもって世の中を『観』る・・・のが、『意識』で『知識』とはだいぶ違うようだ。

  その意味では『自由は自由ではない、ゆえに自由である』・・・というスズキ大拙の即非の論理が成り立つわけか?

  そうしてみると、漢字を使った日本語というのはじつに『不立文字』で深い言葉・・・ゆえに『考えるな、漢字ろ!』なのだと思う。

 

           

  この図は、その昔 おっちょこちょいの私は禅寺からスイスに直行してスイス人に教えようとした『練功道』と名付けた中国気功体操のポスター。

  この体操は『イー・アー・サン・スー・・・』と中国語数字を一から八まで数えながら行う体操であるからそこに私の『意』を添えてみて

  『 数息観の意の在るところに参ずれば、龍の智慧を発するを得る 』・・・というような意味を込めてみたが、まったく看板倒れであった。

  


  『坐』という結界(2)〜 究極の姿

2024年09月02日 | 東洋自分なり研究所

  結界が『開』いた・・・ことで、私の『考えるな、漢字ろ!』が始まった・・・と私は思っている。

 

  2017年、定年退職記念というわけでもなかったが、数年ぶりで相方と日本旅行をした時、私達は初めて伏見稲荷大社の鳥居をくぐった。

  その尋常ではない数の鳥居群を通り抜けながら、パワースポットに入り込んでしまったのか、退職後に『禅』を人に伝える方法を模索していた私に

  『⛩』と『門』で『開』・・・であるという『漢字』の答えが開かれたのだ。

  何かというと、『⛩』は神道、『門』は『山門』のことで『禅寺』を意味するとき、日本という国は『神仏習合』でその『結界』が開かれている…

  という、子供のような発想で私は腑に落ちていた。

  それがキッカケとなって、それまでなんとも思っていなかった様々な『佛語・漢字』が、『漢字方程式』を使うことで『漢字在(観自在)』に

  それまで『曰く言い難い』事柄であったものが、『漢字』でもって、『佛語』を簡明に解説することを得たのだ・・・。

 

  最新の私の『漢字方程式』で『坐』を観るに、『結界』という次元を『無』と『空』という二段階で昇華している事が観える。

  まず『土』台部分で、『➕・➖=無』。 

  次に『人』が二人、対称的に対峙する様が描かれて『観る者が観られる者』となる双方向の『観』が生じそれは、『空』にまで昇華する。

 

  ・・・と、御託はそれくらいにして、動物の一種である人が、『坐』を実行して不動の『無』になることは、ある意味『拷問』に等しいことである。

  心身をかたときも『静止』したことのない人にとって、身も心もじっと『静止』することは実際、足が痛いし、気持ちは気が狂わんばかりに苦痛だ。

  『鳥居』の結界は通り抜けるだけでいいが、『坐』の結界は『覚悟』がいることは間違いない。

  しかし、釈尊は『坐』が動物である人が、『人間』に目覚める究極の姿であることを初めて示してくださった・・・。

  

  私達は『AI時代』を迎え、生命を圧倒的な『スピード社会』の中に落とし込み、益々『人間性喪失』を経験して疲弊している。

  これに対抗する唯一の手段は『坐』で、徹底的に不動の自己に目覚め、『涅槃寂静』の境涯に遊ぶことではないだろうか・・・。

  少なくとも、意識をそこにもって生きることが大事なのだと思う・・・今日此の頃

         

         『坐』は動物としての人が、『人間』に目覚める究極の姿

  


  『坐』という結界

2024年09月01日 | 東洋自分なり研究所

  結界というと、今では『鳥居』を一番に思い浮かべるが、辞書でしらべると、そもそもは佛語ということらしい。

 

  禅をやっていた10年というのは、『無』にしか向き合っていなく、(というか実際は、『無』なんてことも思っていなかった正直… )

  その後の20年も娑婆のよしなし事に忙殺され結局ボーッと過ごしていたが、ボチボチ仏教を勉強すると、なんでかな?

  それこそ『自分なり』なんだけど頭にスーッと入るような・・・。

  まぁ、『無』やら『空』から仏教が膨らみ、経典ができたのだから、経典が書いてあることが解ることは・・・当たり前なのかな?(言うほど読んでないが)

 

  たくさんの外人さんが日本に来て、いたる所に眼にする『赤い鳥居』に感動し、おそらくそれが『結界』であるということを聞いて感心し

  『私は仏教より、神道が好き・・・』という外国人にも実際に出会ったが、その外人さん達も日本で坐禅している仏像をたくさん観ているはずで、

  それこそ『鳥居』よりよほど人に寄り添った『結界』なのであるが、そのようにはなかなか観ることが出来ないのが一般のようだ。

  かくいう私も、今頃になってそういう風に観ることができたわけなのだから・・・

 

  だからなのだろうか、私が、小さな寺から居士林に通うことに決心するとき、まるで『清水寺の舞台から飛び降りる…』ほどの覚悟がいたのは

  坐禅の『坐』が結界であることに気付いていたからなのだろう・・・。

 

  派手なデザインで人目を引く『鳥居』というのは、『結界』に至る門ここに在り・・・を一人知らしめんが為であることは、一目瞭然であるが

  まさか、仏陀の坐像が『結界の門』だなんて・・・。 そしてこちらの門は一旦入ってしまえば、『結界』も『門』も雲散霧消。

 

            

        先日、我が街から2回電車を乗り継いで3時間のストラスブールに一泊旅行・・・来週の相方の誕生日を名目に…  


   『坐』〜 天地『無』用

2024年08月30日 | 東洋自分なり研究所

  7年前までやっていた引越屋という職業がら、日本から来た荷物に『天地無用』と書かれた荷物をよく運んだものだが…

  『天地無用』の荷がなんで、天地を傾けることが厳禁なのか?? まるで公案(禅問答)だよな〜と思いながらも、深く考える暇もなかった。

 

  『東洋自分なり研究所』開設以来、『坐禅』の『坐』の字について、あれこれ考察してきたつもりでいたが、最も肝心な『坐』の土台となる

  『土』についての考察が欠落していた事に・・・突然気付き、そのあまりの重要度に勝手に腑に落ちてる今日此の頃。

 

  馬骨流『佛語解字』解説・・・ということで、滅茶苦茶というかバカみたいな解説を、『佛にちなみ』許してもらいたいのだが・・・

  『土』は『大地』や『天地』という『大自然』を前提としたニュアンスで使う時、

  『土』は『➕&➖=ゼロ』の天然『浄化力』、つまり『無』を表していると解するべきで、

  だとすれば、『坐』こそ、天然『浄化』作用が人間に働きかけている事象であることがわかる。

  禅が『坐』を中心に据えて修行した事実は、同時に東洋思想としての『無の思想』の確立を意味したが、

  そのとき禅者はまさに『天地無用!』と、二重に『重ね合わせ』られた意味を承知の上で高らかに宣言をしたに違いない。

 

  仏教の『三法印〜諸行無常・諸法無我・涅槃寂静』の『諸行無常』という、人をして『一切皆苦』に落とし入れる、まさに無情の現象現実にあって、

  『諸法無我』という境涯に至らしめる唯一の救済方法『坐』が人間に残され、それを釈尊が2500年前に見事に使って『無』を『空』へと昇華させた。

 

  仏教はそれを『悟り』と称して今日まで延々と伝え続け、特に日本において『禅仏教』として後進の人類を導くべく

  ほそぼそとではあるが確固たる修行を続けている・・・のだ。

 

               

               『 「無」は無視で 悟り悟りと じゃかましい その口閉じて 坐殺あるのみ 」 馬骨    

 

  サンドイッチマンの富沢の如き『何言ってるか、わかんない…』というべからず、

  『最初はグー、ジャンケンぽん!』のように、最初は『無〜』こそが、禅の実践において大事ということなんだけど・・・

  


  犬も歩けば『某』に当たる…

2024年08月26日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  『犬も歩けば棒に当たる』・・・の本来の意味というのを私は知らないが、そしていつもだったらググってみるのだけれど

  なんか面倒で、自分勝手な意味合いにして、この語呂感のいい『ことわざ』を使って、この出会いについて表現したいと思ったのだ。

 

  だから、『犬も歩けば』の『犬』というのは、私のことで、犬のように何の期待もなくただただ歩き回っていれば

  いつの日か『某』氏(素晴らしい人)に出くわすものである・・・。 というような心境にさせてくれる非常に稀な出会いが、昨日あった。

 

  相方の情報では、時折散歩に電車で出かける田舎、ゴマンモティェの町で、町のオーガナイズでアーティストの『オープン・アトリエ』が

  この週末にあるということで出かけたのだが、相方の昔からの友人アーティストが彼女アトリエで、友人のアーティストと合同展示を行っている

  というので一番最初に訪ねたところ、そこにその『某』氏がいたのだ。・・・

 

  しかし、ここまで書いてきて、私の筆力ではこの男の人となりを表現することは、無理がある・・・と、弱音を吐くのも我ながら情けないが

  まぁ、私の勝手なイメージでは、よくしらないのに中国唐代の風狂な詩人『寒山と拾得』的な風貌の男・・・ということになり、

  ちょっとこれはググってみたが

 

  『 中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得のこと。9世紀ごろの人。

    確実な伝記は不明。ただ寒山の詩の語るところでは,寒山は農家の生れだったが本を読んでばかりいて,村人にも妻にも疎まれ,

    家をとび出して放浪の末に天台山に隠棲した。

    既成の仏教界からも詩壇からもはみ出した孤高な隠者として300余首の詩をのこした。

   その詩は独自の悟境と幽邃(ゆうすい)な山景とを重ね合わせた格調高い一群のほかに,

   現世の愚劣さや堕落した僧侶道士を痛罵した一群の作品があり,ともに強固な自己疎外者としての矜持(きようじ)を語っている。 』・・・とあって

 

  ここに書かれているような、ストイックな面はまったく無く、かの有名な彼らの風貌をイメージした『絵』が残っているが、

  そのぼうぼうとしたヘアースタイルと、ニコニコと楽しそうに話す様子や、もしも先日亡くなった松岡正剛氏が彼の作品を見たら

  両の手を打って泣いて喜ぶような『編集工学』丸出し、常人には思いもつかない『アルファベット方程式(私による仮名)』とも言うべき

  けったいな発想を、分厚い良質な紙を使った本に仕上げて展示してあり、彼の『ニコラ』という名前が見当たらないので、本人に聞くと

  その作品ごとに名前を替えているので、私の名前『ニコラ』は無いのです・・・とのこと。 で、その名前は幾つぐらいあるんですか?と聞くと

  『数えてないので、わかりません』・・・という返答に私は痛快に呆れてしまった。

  私もこれまで、『一撮』とか『馬骨』、昔は『写楽斎』なんていう名前を使い回して、それも遠慮気味な気分でいた自分を笑い飛ばすほど

  わけのわからないこの男は、ピアノ演奏も達者で、相方の友人アーティストによる花々のスケッチにオリジナルピアノ曲をつけた動画を見せてもらったが

  素晴らしい出来に、私は感嘆のため息をついていた・・・。

 

             

  風貌によらない、多彩な才能を持ちながら、その方向性は専一に『慈悲心』であるところが、洋の東西を越えて人間性を

  大いに発揮している人間様が、いるところには『居るものであるなぁ・・・』と、嬉しい気分に私のシッポは振れるのであった。ワン!

 


   武士は食わねど高楊枝・・・

2024年08月23日 | 東洋自分なり研究所

  前々回のブログで絶望ストーリー、映画『ジョーカー』について考察して、

  8月21日のブログ記事〜映画『ジョーカー』を再度観て・・・を書いた後、『なんでこうなるかなぁ〜』なんてボーっとしてると

  『武士は食わねど高楊枝・・・』なんていう、私の愚脳のどこから出てきたのか? かって一度も使ったことのない諺(ことわざ)が浮いてきた。

 

  『ジョーカー』とこの諺の『武士』と何の関係があるの?・・・と、自問してみると、確かに私は

  この映画の主人公の、上半身ハダカの痩せこけて背骨が丸く曲がった背中のシーンに衝撃を受けたが・・・どうもそれが関係しているようなのだ。

 

  私はこれまで、この諺『武士は食わねど高楊枝』について考えたこともなかったし、とくに『高楊枝』というのがピンとこなくて

  この諺に、なんとなくなじめないでいたが、今回この『ジョーカー』のおかげで腑に落ちる気がしてきた。

 

  禅をはじめ、東洋思想の基本は『身心一如』であるが、『武士が高楊枝』とは、すくなくとも『背筋を伸ばした、堂々とした様』であると解したとき

  言下に、武士というものが、幼少期より『姿勢を正す』という基本教育の徹底を思い浮かべたのだ。

 

  日本文化の根底に『武士道』というものがあり、『武士道』の根底に『禅』があった事実を考えると

  こんにち、国際的な場で、我が国の『武士道精神』を称える意味で『サムライ』という呼称が使われる場面では、

  『ジョーカー』のような人間の出現はありえそうもなく、そういった対比からふと、『武士は食わねど高楊枝』が出てきたのであろう・・・。

 

  そして私のような素性のわからない馬の骨でも、一旦海外へ出てみると何故か『サムライ』という自意識が芽生える気がするのが不思議だ。

 

             

          『 我こそは ラスト・サムライ 丸腰の 息で鬼滅の 大和魂 』 馬骨

 

  伝統文化のない北海道の片田舎で育ったガキでも、チャンバラ映画の影響のもと、『武士道』の何たるかを直感した私は、

  自分こそが本当に最後の『ラスト・サムライ』か・・・と思ってみたが、いやいや『鬼滅の刃』やらなんやかんやで、その『武士道精神』は

  動詞の『last』(継続する)という意味で、後続の日本人若者達にあらゆる在り方で『ラスト・サムライ』は、以心伝心するものなのかもしれない。

 

 

  

  

 


 『観』という悟感をめぐって・・・

2024年08月22日 | 東洋自分なり研究所

  今年の1月、80歳の誕生日を迎えた松岡正剛氏が動画に登場し、それに触発されて、こんな記事を書いた1月26日のブログ記事〜 人"間"工学〜『瞑想』編集

  その松岡正剛氏が8月12日に逝去した・・・事をコメントで知らせていただき、その後『X』で関係者が出した訃報メッセージを読んで実感。

  1月にはあれほど、元気そうであったのに・・・残念。 娑婆はこれから益々面白くなるであろうに、松岡正剛氏のいない娑婆は非常に残念だ。

 

                

                   1971年・雑誌『遊』の創刊号表紙

 

  1971年、松岡正剛(27歳)、友人2人と工作舎を設立し、雑誌『遊』(1971年 - 1982年)を創刊する。「オブジェマガジン」と称し、

  あらゆるジャンルを融合し超越した独自のスタイルは日本のアート・思想・メディア・デザインに多大な衝撃を与えた。(ウィキペディアより)

 

  彼のその後の八面六臂の活躍は、あまりに多岐にわたり、私は知る由もなく、ただただ『凄ゲ〜(発想が)+かっこイイ・おっさん』の著書の

  何冊かを繰り返し読むたびにインスパイアされていたが、私自身が『考えるな、漢字ろ!』で『漢字方程式』に開眼したあたりより、

  彼の言う『編集工学』の一端を理解した気になり、それまで難解と思っていた彼の著書が、一段と面白さを増した・・・といういきさつがあった。

 

  今、彼が27歳のとき創刊した知る人ぞ知る、雑誌『遊』の表紙を観るに(上の写真)↑

  彼自身どれほど意識していたのか、空中に浮かぶ『目ん玉』がつまるところ、『観』であることを・・・。

 

  一度も会ったことのない彼を、『先生!』と親しみを込めて呼びかけようとする、私と彼の見つめる先には、やはり『観』があるのだろう。

 

  そして、この表紙は紛れもなく 『古池や 蛙飛び込む 水の音(ジャポン!)』と、日本文化の観えない謎を解くピクトグラムであろうか、先生?

 


  映画『ジョーカー』を再度観て・・・

2024年08月21日 | 東洋自分なり研究所

  映画『ジョーカー』は2019年10月に公開されているから、私もその頃地元スイスで観たのだろう。

  フランス語字幕の英語オリジナル版であったから、言っていることの60%もわかっただろうか?

  それでも、病的なほど暗いストーリーは視覚的に十分伝わり、映画の途中で帰りたくなるほどであった。

 

  あれから5年たつわけであるが、『臭いものには蓋をしろ』的に、私としては二度と観たくない映画の一つであるのに

  最近になってNetflixなどでやっていることに気付いてから、なんとなく『再度観なければ・・・』という気が湧いて観ることにしたのだ。

 

  あいにく日本語字幕版がなく、英語字幕で観て、気になるところはストップしては意味を汲み取りながら観たが、相変わらずの『暗い』ストーリーは

  主演のホアキン・フェニックスの怖いほどの名演によって、抜き差しならぬ方向に陥っていく様を観ながら、どういう我が愚脳の意図か

  昔、写真家の藤原新也が言った『人間は犬に食われるほど自由だ・・・』のセリフが頭に浮かび、『自由』について考察する羽目になってしまった。

 

  『自由』という言葉については、私自身、長年にわたりまったく無頓着であったが、スズキ大拙の著書で『自由』というものが、

  英語で言うところの『freedom』や『liberty』のような、何かの束縛からの『解放』というものではなく、本来的に『自らに由って』の『自由』であり

  その思想そのものは、西洋にはなく、東洋独特のもので、仏教由来の言葉である・・・というような文章に出会った時、

  私は初めて『ああ、そうなのか』と思ったことを覚えている。

 

  問題は、何故私はこの映画『ジョーカー』を観ていて、『人間は犬に食われるほど自由だ』の『自由』を思い至ったか?である。

  私が『佛語』と勝手に認定する言葉には、量子力学のように、必ず意味の『重ね合わせ』『もつれ』の法則がある・・・気がしていて

  それというのは、人間には『地獄に行こうが、天国に行こうが』自由・・・である一方、それとは全く別な次元で『自らに由って華を咲かす』

  というような、自然に『満ち足りた生き方』が『自由』に、したがって自動的にできる生物でもある、と確信する自分が存在している為だろう。

 

  いつであったか、『自分経』というのを披露したが、『自ずと分かれ、自ずと分かる』・・・それ自体が人間の真の『自由』を意味すると解した時、

  この映画の『ジョーカー』のように、ひたすら自縛する『自我』からの『解脱』こそが『自由』なのだと解った時、なんだか私はやっとホッとすることができた。

  この映画を再見することの意味は、この『自由』の発見であって、この絶望的に『暗い』映画が評価される裏にはその事が秘められているからだろうか。

 

            

             修行僧のことを『雲水』と称するが、『自らに由って』をひたすら体現する者だから・・・


  『どうでもいい!』という本音

2024年08月18日 | 東洋自分なり研究所

  するともなく『還暦スキャン』していたのか・・・ (*還暦スキャン=自己の人生を顧みること)

 

  自分の中に『どうでもいい!』という実に凶暴な『質(たち)=性質』が、自我が芽生えたあたりから自己の本流として

  とうとうと流れていた事に、今頃になって自覚してみると、この『質』によってこれまでずいぶん不義理・不人情をしてきてしまった自分の人生に

  暗澹たる気持ちになるのであるが、そもそもどこのあたりから『どうでもいい!』などという『質』が生まれ出たのか?? 考察してみた。

 

  いつの頃からなのか、人々が景色などに感動している場面などでも、私は別になんとも思わず・・・、身の回り品についても、ほとんど関心が無く

  考えてみると、友人と喫茶店に行く・・・というようなことが、27歳にガールフレンドが出来る頃まで無かったわけであるから、そういう意味では

  今思うと私は相当『引きこもり』人間であったろうか・・・。

 

  高校を卒業してから、京王ブラザホテル就職・・・神戸に移動・・・写真学校入学・・・英会話学校・・・東京に移動・・・鍼灸学校・・・無為塾・・・居士林

  という風に自分の人生をざっと大観してみると、その場その場成り行きまかせのようでありながら、その時点で『良し』とする進路選択しているわけで

  その時選ばなかった選択肢に関しては、私にとって『どうでもいい!』・・・事柄であったはずなのだ。

 

  最近になって、私は『意伝子』という佛語を作ったが、自分の本質としての『意伝子』は、『仏華』を開花する以外の『事柄』は

  『どうでもいい!』事として、無意識ながら私によってぶった切られていて・・・いわば『意伝子自動選択人生』であったことに気がつく。

 

  思春期の若(バカ)者たちは、『意伝子』に目覚めかけて、皆と違う何かを『クール!』とか言ってもてはやしながらも、徹底できず

  群れから独立することもなく、より本質な事柄こそを『どうでもいい!』と、地位や金や権力なんかを目指して血眼になってしまうのか。

 

          

  その意伝子によって、導かれる境涯が『観音』というのが私の『本音』であれば、それ以外は本当に『どうでもいい!』

  


  『覚問 』としての『悟覚』には、覚悟がいる・・・

2024年08月17日 | 東洋自分なり研究所

  居士林で侍者役をしていた時(36年前)、土日坐禅会・開始前に新参者の面接をしていた雲頂庵の和尚のそばに控えて

  新参者と和尚のやり取り(会話)を聞くことができた。(非常に貴重な経験)

 

  ある日、真面目そうなアメリカの青年(18〜20歳?)が来たとき、

  和尚:君は、何故ここに来たのですか?

  青年:私は禅を学びに来ました。

  和尚:ここは、禅を学ぶところではありません。 ・・・と言って、彼を帰らせたのです。

 

  私はこの一件について、何故和尚はあんな事を言って、彼を帰らせたのか・・・? 

  私はいまだに和尚の真意がわからない・・・。 あれってもしかして、私への公案であったのであろうか??

 

  大学に憧れながら(?)行けなかった劣等感を抱いていた私は…、色々なことをした挙げ句に、29歳になって、学問ならぬ、『覚問』する

  場としての『円覚寺・居士林』にまで来たわけだが、確かに、学問であれば『学ぶ』と言えるが、『覚問』は『学ぶ』・・・というような

  どこか『受け身』の気持ちでは埒が明かない『覚問』であった。

 

  それにしても、帰す事なかったのに・・・。 

  あの青年も本当に禅を学びたかったら、毎週来て面接すればよかったのに・・・と、私は今でも残念に思う。

 

              

               これからの世の中、『覚問』というか、『悟覚』に真剣に立ち向かう若者が絶対に必要だ!!の図

  


  『半眼』の観る時空

2024年08月16日 | 人"間"工学

  私は自分が、本物の仏像をいつごろ観たのであろうか?と気になり、 高校時代の修学旅行のしおり(1969年11月6日〜13日)を探し出して見てみると・・・

  そのすざましい強行軍の修学旅行が浮き彫りになった。 北海道の東の果て北見から、まる二日かけて京都へ!! いざ出陣!

 

  11月6日 北見発6:38(汽車)〜青函連絡船19:20〜青森23:10

  11月7日 青森発0:20(車中泊)〜 東京経由 〜 京都16:40着 旅館

  11月8日 8:10宇治 〜 9:20南大門 〜 二月堂 〜 春日大社 〜 12:30薬師寺 〜法隆寺〜 18:00旅館

  11月9日 8:05平安神宮〜金閣寺〜二条城〜東本願寺〜11:30清水寺・・・ここより選択 

       ㋑ 龍安寺〜天龍寺〜西芳寺。 ㋺ 根本中堂〜四明岳〜石山寺。  ㋩ 清水寺より旅館(たぶん私はこの組)

  11月10日 7:00京都駅(こだま)〜10:00熱海〜十国峠〜箱根〜小田原〜大仏(鎌倉)〜羽田〜旅館

  11月11日 7:45浅草〜皇居〜国会議事堂〜科学技術館〜12:00旅館〜自由行動

  11月12日 自由行動  旅館集合14:30〜 上野発16:20〜(車中泊)

  11月13日 青森着4:30〜(連絡船)〜 函館 9:45 発〜 22:47 北見着  

  ・・・という日程であった。

 

  関西の京都、奈良を2日間で修学旅行しているが、見事に『寺巡り』・・・確かに奈良で大仏を見たことだけは、うっすらと覚えている。

  この強行軍は、生徒も大変だが、今思うと引率の先生方の疲労の方が心配になる・・・。

  でも、さすがは仏国土日本。

  何にもわかってない17歳のガキ共等を(先生も同じだろうが)、このすざましい『寺巡り』に否応なく引きずり出すとは!

 

  17歳の私は、東大寺で素晴らしい『仁王様』と『大仏』だけでなく、薬師寺や法隆寺まで行っているのだから、名だたる仏像を拝しているはず・・・。

  しかし、眼をわずかに伏し目がちに静かな佇(たたず)まい・・・の雰囲気(?) しか覚えていなかった。

 

  眼をわずかに伏し目がちにしている、佇まい・・・つまり『半眼』であるが、それから約13年の後、自分自身がその『半眼』をする事になるとは・・・

  仏様は、ご存知であったであろうか???

  『半眼』はどの仏様を見ても、『半眼』で、見ればわかるが、その『半眼』で何を観ているのかは、実際に体験しなければ解るものではない。

 

             

              『半眼』の体験、つまり『坐禅』することで、微笑みの真意が伝わる・・・かも

  


  『子宝』を観つめて

2024年08月11日 | 東洋自分なり研究所

  子宝を授からなかった私が、子宝を云々するのは、どうかと思うが・・・

  子供が『悟り』の当体とわかれば、私の子供を観る眼が尋常ではないことを、わかってもらえるだろうか?

  禅なんかが『悟り』・・・とか言うと、我関ぜず…と、あさっての方を向いてしまう人々も、自分自身が子供時代を経てきた事や

  『子宝』を授かった貴重な体験・・・そのものが『禅』でいうところの『悟り』そのものであった事に『意』を向けない間抜けな東洋人でいる事は

  素晴らしい日本文化という『宝』というか、特に『子宝』の持ち腐れであろう・・・と思う今日此頃。

  かくいう私も、『子宝』が『悟りの当体』であると、しっかり意識したのは、やはり定年退職者となって、ゆっくり色々なことを吟味する

  時間を持てたことが、理由であろうか。

  以前より『 幼子が しだいしだいに知恵つけて 仏に遠く なるぞ悲しき 』という詠み人知らずの短歌に注目はしていたが

  はたして、この短歌がもしかして私にとって公案(禅問答)として、心の奥底で、ディープラーニングしていたのであろう。

  『子宝』という言葉の真意が、ある日ゆるがない確信として『子宝』であると湧いてきた気がする。

  そう思ってみれば、『子宝』というなんとなく古臭い言葉が、ピカピカ新品の価値観、我々の祖先が未来の子孫の為に編み出し、

  日本伝統文化として延々と紡ぎ伝えてきた『宝』としての『悟り』が、『子』に宿っている事実を『子宝』という言葉に込めた真意に目覚めるだろう。

  子供は親に『観』を求める生物で、その故に『親』には『見』があるが、じつは子供が親に求める『観』には、親自身が『子の持つ宝』

  つまり『悟りの当体』をも観つめる事を要求している・・・のだ。その意味での『親』の『見』でもあるのだと思う。

  禅では『見性成仏』ともいうからね。

                      

                       馬骨の幼い時・・・ 幼子が しだい次第に 知恵つけて ほとけに遠く なぬぞ悲しき

  


  『覚醒剤』と『道』

2024年08月10日 | 東洋自分なり研究所

  『覚醒』・・・という言葉が『佛語』であるとすれば、

  禅修行をした、私にとって公案の『?』こそはまさに『覚醒剤』であろう・・・と考える今日此頃

 

  一方で、人をして廃人とする麻薬類を『覚醒剤』と名付けるとは、娑婆世界におけるなんと壮大な皮肉かと思うが、

  ここの違いに、私は『道』という概念の意味が持つ分岐点をみる思いがする。

 

  私の72年の人生の中で、私のことを『アナタはジャンキーですか?』と宣(のたま)った人が、なんとかの有名な篠山紀信氏であった。

  写楽賞授賞式での場での会話であった。幸か不幸か私は『ジャンキー』の意味を知らず、キョトンとしていたが、その頃ちょうど一週間の

  初断食明けで、私の痩せコケていた風貌と、コンクールに提出した自写像に写っている私が、写真を観る人を逆に凝視する

  異様な眼差しに対する、篠山紀信氏の感想がそう言わせたのであろう。

  この頃私は熱心に居士林に通い始めた時であったが、禅的『覚醒剤』である『公案』には未だ手を付けていなかった頃であるが

  そちらの『道』に、はまり込んでいたことは間違いなく、観る人によっては『ジャンキー(麻薬に溺れる者)』と見えたかもしれない。

 

  生を受け、自由を謳歌する人間に開かれる『道』は、行くべき『道』を示すと同時に、行ってはならぬ『邪道』というものも示すが

  その『道』を見出すための、人間の『覚醒』という手段の履き違い・・・が、人生の大きな分岐点となるのに、それに対する

  未成年の教育の貧しさが、恐ろしいほど貧しいことに私は懸念をおぼえる。

 

              

                我が街の『ダリア祭り』はレマン湖畔にあり、今朝の朝陽に輝くダリアたち


  カメラという鏡器で自撮した男

2024年08月08日 | 東洋自分なり研究所

  毎回、毎回、自分の写真をアップする奴って何考えてるんだか・・・っていう突っ込みを自分に入れるべきだろうか。

 

  なんせ私は『Self−Portrait』写真で、音楽家・坂本龍一氏の『写楽・坂本龍一賞』を受賞した撮人家である・・・。(唯一自慢できるネタ)

  で問題は、『何故、私はセルフ・ポートレートを撮ったのか?』・・・ということなのだと思う。

 

  後年、禅修行をした体験から『自他不二』に行き着いた感があるが、禅以前に写真活動をしていた私が『自撮』に到った理由というのが

  禅で言うところの『己事究明』への無意識な欲求ではなかったか・・・? という当たりに腑に落ちる(不二に落ちる)のだ。

 

  『坐』という字に象徴される『人』が『二人』というのが、私の『自分』論・・・『自ずと分かれ、自ずと分かる』という形で

  『自我と無我の対話』が始まる形で『自他不二』が実現する・・・ことを表しているとすると

  『自分』という『意伝子』は、あらゆる方法で人に対し『自他不二』という『悟りの華』を開花させようとするのだろう。

 

  『ピストルという凶器で自殺した男』ではなく、『カメラという鏡器で自撮した男』へと、私の意伝子(無意識)は私を導いたが

  禅では『大死一番』という言葉〜 (自分の心の中にある執着心をすべてなげうち、心をむなしくして仏の道に徹しようとすること。

                   転じて、1度死んだものと思って全力を尽くすこと。)

  ・・・があり、禅を全く知らなかった若造の私が、無心になって撮った『自撮』は、案外『大死一番』としての『自殺』行為であったかもしれない。

 

              

               23歳頃。 自撮する私の頭の中心には『?』が占めていたが、そこに意識が及ばなかった・・・

                    しかし、『自撮』行為そのものに、『自分』究明の『道』が開いていたのだ。