メディアショップ駿河屋 なぜベス!

駿河屋ブログは移転いたしました。
(07/06/01)

ルート225

2006年08月13日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
静岡では2日間だけ上映された「ルート225」を観て来ました。
パラレルワールドに迷いこんだ姉弟のファンタジーと思いきや、これが実に良く出来た作品でビックリしました。たまにこういういい意味で期待を裏切られる作品に出会えるから年に何十作も観ちゃうわけですが。まさに間歇強化のモルモットみたいなもんです。
わてが盆暮れ関係なく仕事をしてるのに、まして今年は盆の真っ最中の15日に朝から夕方まで会議に出ろなんてメールが来てる一方で、焼津や藤枝あたりから静岡に遊びに来るような中高生がたくさん乗った電車や部活のために登校する姿とすれ違うたびに、思うことがあるわけですよ。幸せそうだな、って。
今まで秘密にしていたことですが、実はわてにも中高生だった頃があるんです。その姿って、今のわてから見ると…。でも毎日が必死だったのも覚えてます。勉強とか友達とか親とか、ストレスばかりで、それが原因で定期的に直径1メートルくらいの口内炎を定期的に作っていました。
わてにとっては口内炎が国道225号線だったのでしょう。
主人公の田部未華子は225号線を越えて帰らない弟を迎えに行きます。いじめられて公園でブランコをこいでいた弟を連れて帰ると、そこは死んだ弟の同級生が普通に生きていて、高橋由伸がちょっと太っていて、仲たがいした友達と仲直りしている世界。そして両親が蒸発した世界。母親とはちょっと太った高橋由伸のテレカでかける公衆電話でつながることもありますが、度数はあとがありません。
両親を疎く思い、あるいは隠しごとをしたがために迷いこんだ世界からなんとか戻ろうと試行錯誤します。
ありがちなテーマで、ストーリーは観ようによっては後味があまり良くない部分はありますが、それを力の抜けたトホホ感にも似た笑いで上手く包んで、全体的に暖かい雰囲気をかもし出す描きかた、これは最近の邦画の強みでしょう。
一昔前の邦画なら、観る方がげんなりするような芸術色という名目でのダウナーな雰囲気で満たされてたかもしれませんが、最近の単館系といわれる邦画でよく見られる脱力テイストの延長上に乗ったことが本作の出来の良さの一因だと思います。(それが監督由来なのか原作由来なのかは気になるところです)
母親は姉弟を案じこそすれど、決してあせったり取り乱したりすることはありません。なぜなら親は親離れを知っているからです。だから傘を持って行け、って。でも子は親離れをして初めてそれを知ります。二つの世界を貫いておさまる1枚の写真。その距離感をどの程度に保つかはまた別の試行錯誤がありますが、それはまた別のお話。
DVDは9月29日発売。親離れをした方とこれから親離れをする方に是非にお薦めします。

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ユナイテッド93

2006年08月13日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
8月12日公開のユナイテッド93を観て来ました。
良質のドキュメンタリーと悪質なプロパガンダが同居した、地上編と機中編のギャップが大きい、ある意味問題作だと思います。
911のテロ事件で唯一攻撃目標に達せず墜落したとされるユナイテッド航空93便を舞台にしていますが、映画の構想と現実とで食い違いがあります、映画ではコックピット突入→操縦不能→テロの目的達せずということになっていますが、既に裁判の過程でボイスレコーダーが公開されていて、乗客のコックピット突入はなかったことが明らかになっています。(とはいえこのボイスレコーダーは一般には公開されておらず、客室の声まで収録されているらしいなど不審な点も多いようですが)
さらに乗客がハイジャック犯の目につくところで携帯電話で外部と長々と連絡を取ったり、逆襲の打ち合わせをしたり、ハイジャック素人のわてでも絶対に許さないようなことが行なわれています。(乗客は40人、日本の学校の1クラス分。先生の目を盗んでする悪さと対比すればわかりやすいでしょう)まして相手は訓練を受けたテロリストでしょ。ハイジャック犯が乗客にとって都合が良すぎで、逆に都合のいい犯人のもとでしか乗客の逆襲は起こり得ないということがハッキリして、つまるところが機中の出来事の嘘っぱちさ加減が明白になってしまいます。
しかもその撮影・演出の手法が優れたドキュメンタリーのそれそのものであって、嘘をリアルに見せ、死者を美化することによってホニャララしようという、全世界が長い歴史の中で繰り返し犯してきた過ちが浮彫りになっているような気がして寒気すら覚えました。
前半の地上編は場面転換と展開が早くてなかなか事象の正確な理解が難しいですが、当事者本人の演技ならではのリアリティもあいまみえて、あの時にわてがテレビを通じてリアルタイムに彼らと共有していた時間がフラッシュバックのようによみがえってきました。彼らの戸惑いが不安に変わり恐怖を呼び愕然へと連なる感情の描写がリアルで、ふと気付くと映画を観ていることを忘れていたくらいに秀逸だったがために、肝心の機中編のお粗末さが浮き上がってしまいました。
この映画が「実際にあった話です」といいながら露悪的に倫理に触れるような演出で感情に訴えかける実話誌にありがちな手口で作られた、B級アクション映画として観られるならばともかく、神話のように事実として後世に残らなければいいのですが。

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ゲド戦記

2006年07月30日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
7月29日公開の「ゲド戦記」を観て来ました。
原作は全5巻+外伝の計6冊。これをシリーズ化ではなく単発の映画にしよう、ってこの時点で変になってきていると思うんですけど。結果から書くとゲド戦記の3巻の映画化でした。とはいえこれだけでも映画の尺には収まらないボリュームです。そして案の定、説明不足と美味しいところの切り貼り、原作を知らなかったら特に最後は意味不明だと思いますよ。予告編でも観た主人公と竜が顔を寄せ合うシーン、あの竜の正体が実は○○○だとは思わないでしょうし、そもそもあそこで竜に化ける必然性がどこにもありません。あの絵を見せたかっただけでしょ。
それでも前半はまだちゃんと説明があったんです。場合によってはくどいと感じるくらいに。それなりに伏線を引きつつ世界観を、時にセリフによる説明で、時に絵と歌を使って叙景的に。
映画を観ていると時々丸々一曲聞かせるための場面があって、それが良し悪しだったりするのですが、「テルーの歌」の数分は実にいい感じでした。これ、作曲が谷山浩子だそうで。ご本人の方が手嶌葵よりもこの歌にあった声のような気がします。それを容易に想像出来てしまうほど谷山浩子っぽい曲です。
割りといい雰囲気で中盤まできて、急に息切れしたというか、投げやりになったというか、広げすぎたとも思えない手頃なサイズの風呂敷すらしまいきれなかったというか。
特に「影」について原作では(アレンの影ではなくハイタカのですが)1冊まるまる使って描かれているこの世界の重要なキーで、アレンが怯えたりしてさんざん伏線を引いた割には寂しい描き方でした。
もう1つ気になったのは、ジブリ作品では常ににゃんこがかわいいという特長があると思うのですが、王妃が抱いてたにゃんこがぬいぐるみのように無表情でした。駿監督が異常ににゃんこに思い入れを持っているだけならいいのですが、吾朗監督の細部の手抜きの現われだったら残念です。
とはいえ説教編の予告編ほどひどいわけでもありませんし、吾朗監督への世襲やっかみまじりの罵倒をされるような出来でもないと思います。変な思い入れがなければ劇場で観るべき要素を含んだ劇場アニメとして、意外にも評価してもいい作品だと思いますが、そのためには3つの能力が必要です。
まず一つは直接描かれてはいないがらも間接的には描かれている、例えばハイタカの真の名がゲドであるとか、その辺を読み取れる読解力。もう一つは真の名を知られるとなんかイヤだ(日本にも忌み名なんてものがありましたし、名前を知られて殺される昔話とか、最近だとデスノートとか)といった、先祖代々普遍的に受け継いできた人間としての感覚。そしてアレンの親殺しって要するに吾朗監督の駿監督越えを象徴してるんだろうな、といった相手の立場に立った思い遣り。
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戦場のアリア

2006年07月20日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
今年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされていた「戦場のアリア」を観て来ました。
戦場のちょっといい話、その小ネタの積み重ねだけで、骨子となるドラマが弱かったように思いましたが、でも現実にドラマティックな出来事が起きている最中の雰囲気ってこんな感じなんでしょうね。変な盛りあがりがない分、妙にリアルな感じがしました。
第1次世界大戦中の西部戦線、近代と現代の端境期だったのでしょう。兵士を(時に宗教を利用してまで)洗脳されたマシーンとしてしか扱わない現代戦がまだ机上のもので、前線では騎士道精神の残滓が感じられた時代。信仰もあり、また信仰を共にしなくても人としての慈しみをまた失わずにいた人たちに贈られた、ほんの一瞬の奇跡が実にシンプルに、かつ陳腐ではありながらも説得力を持って描かれていました。
にゃんこが普通の茶トラネコでリアルにかわいかった!
スコットランド兵とドイツ兵のファーストコンタクトで戸惑いながらも、最初に交歓するのがにゃんこ絡みの二人だったのが実に素敵です。とりあえず、にゃんこが一匹いると話題には困りませんしね。どっちの陣営からもご飯をもらってたんでしょうね。
エンドテロップの絵も最後はにゃんこだし、監督か誰か分からないけど、絶対に誰かがにゃんこ好きだと思います。
クリスマス休戦自体は過去にも映画化されていますし、テレビのトリビアの泉で日本の戦国時代にも織田信長とキリシタン大名との間でクリスマス休戦があった、なんやっていたのを思い出しました。ちょっと違ってクリスマスではありませんが平家物語などにおける那須与一のくだりも同じようなメンタリティだったのではないでしょうか?
TVドラマの「インディ・ジョーンズ 若き日の大冒険」はこの数年後が舞台です。シュバイツァー博士がこの戦争についてアフリカの酋長に聞かれます。何人死んだんだ?
1人か?2人か?それとも5人か?シュバイツァーは答えます。10を越える人が死んだ、と。酋長の答えは「それは大惨事だ」「なぜそうなる前に話し合いをしないんだ?」そのアフリカに現代が持ちこまれた結果が「キリング・フィールド」「ホテル・ルワンダ」に見られるような大虐殺だったりもするのですが。
「国」の大義のために無人の塹壕を砲撃しあうような近代戦は、この奇跡のクリスマスを最後に幕を降ろします。あのアリアが、戦争から人間性のカケラすら奪い去り、そのために奪われるあらゆる命へのレクイエムのようにも聞こえました。

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パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト

2006年07月16日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
7月22日公開のパイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェストの先行公開を見て来ました。
3部作の第2部、という位置付けですが、結果としては2部作の2作目の前編という感じでした。これで続きが来年5月って、待ちきれんよ。少しはデス・ノートを見習え!
前作を見ていなくても説明的な場面やセリフで一応の説明がされていますので、注意して聞いていればほぼ問題はないとは思いますが…、ただボーっとしてたら多分分からないと思います。ストーリーと設定がやや入り組んでいるのでちょっと分かりにくい点もあります。一応DVDで復習をしておいたほうが無難かと思います。
一応本作に関わる前作の要点を書き出してみると
1)ジョニー・デップはイカ男との血の契約でブラック・パール号の船長になる
2)デップは船長になったはいいが失脚して追放、リンゴを食う男が船長になる
3)ブラック・パール号の全員が呪いにかかって不死身(死ねない苦しみ)になる
4)不死身の呪われた海賊が総督の娘でおっさん提督の婚約者を誘拐
5)婚約者の出入り業者のイケメン君の勤め先にデップが逃げこむ
6)イケメン君は実は海賊の息子で、父親は元デップの部下
7)イケメン君とわざと呪いにかかって不死身になったデップでリンゴ船長を倒す
8)最後はおっさん提督の計らいでハッピーエンド
ストーリーの詳細はこちらをご覧頂くことにして。
今、書きながら前作を思い出していたのですが、やはり本作だけだと説明不足です。ネタバレで書いちゃいますけど、最後にリンゴの船長が出てきて、みんなでデップを助けに行こう!で終わります。ってことは、前作を見てると「あんた、本当に死んだはずじゃないの?」ってことをきっかけにいろんな想像を楽しめるのですが…。

前作は「踊る大捜査線2」と同時期の公開で、ディズニーが映画を作りました、ということがウリになっていました。ああ、ディズニーか、どうせ綺麗で上手いだけの映画なんだろ、という予想がいい意味で外れたショックと、どちらかといえば繊細で暗い感じだったジョニー・デップが弾けたギャップが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの評価を高めた最大の要因ではないでしょうか。今回はそのショックやギャップがなく、予定調和的というか、ショックやギャップという売り物が消散した分だけ不完全燃焼のような印象でした。
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レント

2006年07月12日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
ミュージカル映画の「レント」を観て来ました。
うぐぅ…やられた…。バタリ。ある特定の世代の、ある特定の層を狙い打ちしてくる作品です。エアロスミスとか、ホイットニー・ヒューストンとか、その辺の音楽に耳馴染みがあって、なにか夢を持ってたりすると確実にヤラレます。
舞台は90年代のニューヨーク。共同生活で夢を追いかける芸術家仲間の一人が、済むアパートの大家の娘と結婚して仲間の家賃を免除するのですが(映画ではこのあたりの説明が不十分です)、反故にして立ち退きを要求します。レントというタイトルは「家賃」という意味ですが、きっかけでこそあれ、この作品の世界観とは関係がありません。
登場人物はゲイだのHIVだのヒキコモリだの、その中でくっついたり離れたり、まぁいろいろ。確かに社会派ミュージカルなんて見方もあるのでしょうが、それ以上に印象的なのはみんな他人と自分に対して真摯に向かい合って真剣に生きてる姿です。その真摯であるがゆえに溢れる感情を掬い取る表現として、ミュージカルという表現方法は必然だったと言えます。だってリアルな表現で本人たちが真剣であればあるほど、ハタから客観的に見たら直視に耐えませんから。
で、ミュージカルとして使われている音楽が90年代のロックなりバラードなりの曲調で、JPOP隆盛以前にオリコンのチャートに普通に洋楽が入っていた時代の雰囲気です。
舞台では96年に小劇場で上演、熱狂的な支持を得てブロードウェイで現在もロングラン中という、その理由をうかがわせる迫力は、HIVにより、あるいは若さにより設定される生命を輝かせるタイムリミットから生じ、時に自虐的、刹那的とまで映るような焦りを伴いつつも、夢と現実とを行き来しながら重ねる試行錯誤と、ためらうことのない純粋な愛を貫いた「天使」の生き様からもたらされた人生の意義を、仲間と共に再認識出来た歓びにより感動へと


「。」なしであと100行くらい書けちゃいそう。
唯一難点をあげるならば字幕。2人で同時にリズムに乗るような必要最低限の言葉、確かに訳しにくいとは思うのですが、明らかにまるっとなかったことになってる部分がいくつもあることに気付きました。いろんな説明不足はオリジナル所以なのか、字幕のせいなのか、よく分からないのが非常に困ります。

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ブレイブストーリー

2006年07月09日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
7月8日公開の「ブレイブストーリー」を観て来ました。
GONZO制作作品ということで「声優は棒読みでなければいいや」「主人公の行動が偏執狂的な一本調子でなければ満足しよう」、そのくらいの覚悟で観に行きました。なにせ「銀色の髪のアギト」を観ちゃったもので…。
なんでそんな覚悟をしてまで観に行くかといえば、あの実写とアニメを融合させたような絵はなんだかんだいって魅力的だからです。しかも今回は宮部みゆきの長編が原作、あれを1本の映画にしようっていうのですから、いくつもある盛りあがった山場だけを贅沢につまみ食いするかのように、あの派手な絵のオンパレード、ストーリーは上っ面をなぜるだけの「ダ・ヴィンチ・コード」顔負けの特急列車で突っ走ってもいいや、そんな気持ちでした。
ところが観てみてびっくり。まずストーリーがバッサリと半分ぐらいは山ごとまるっと刈りこまれていました。原作を知ってて足りない部分を脳内補完をしながら見てたら相当速く感じるかもしれませんが、そうでなければこれはこれで一つの物語として納得がいきます。
声優も本職ではなく俳優・タレントを起用していますが、これはこれで十分に聞けるレベルです。大泉洋さんもすっかりこの手の声の常連になりました。
ストーリーは完全なジュブナイル・ファンタジーという感じで陳腐の域を出ず説教臭いという難点はありますが、世界は破綻せず成立しています。
否定する材料はなにひとつない映画なんですが…。積極的に肯定する材料も乏しいんです。雰囲気というか、音楽がよくないのかなぁ…?それとも原作からして言える「幻界って要するに主人公が成長するためだけに存在するご都合ワールド」疑惑のせい?
コメント (9)
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サイレントヒル

2006年07月03日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
7月8日公開の「サイレントヒル」の試写会に行って来ました。
今まで観たゲーム原作映画にロクなものはありませんでした。本作もしかり、ほら、なんでわざわざ夜中に廃墟に行くのよ、アホか?
要するに一酸化炭素中毒で幻覚を見てるんでしょ?


と思ってたわてが悪うございました。
サイレントヒルに連れていくまでの強引な展開と、いかにも「ダンジョンをクリアしました」と言わんばかりのコマ割りの不自然さには不満が残るものの、それを越えて余りある世界観と映像美、そしてなにより実力派の役者がそれぞれ熱演で、十二分に楽しませてもらいました。
欲を言えばクライマックスはもっとスプラッターでも良かったように思います。それでも隣に座ったどっかのおばさんは残虐シーンにイチイチ反応していました。
で、そのどっかのおばさん、エンドテロップが流れ始めた瞬間にキっとこっちを向いてこう言ったのです。
「今の結末、どういうこと?!」
見ず知らずの人に思わず聞いてしまうほど「???」だったんでしょうが、こっちはあのラストを観て「うわー、ってことはあの時にああされて、ああなっちゃったんだろうな、ってことはやっぱりあの人はああで、それはこういう意味なんだろうな、でもあの時にはああってことはこの世界自体が以下略」と呆然と思いを巡らせていたってのに…。
これがアメフラシの生まれ変わりみたいなおばさんじゃなくて、若槻千夏が「私、頭悪いからわかんねーんだけどさ、今のどういう意味?教えろよ」なんてバカキャラ丸出しで聞いてきたら…。大喜びで小1時間でも解説した挙句に意気投合して、今ごろはこんなブログなんか書いてる場合じゃなくて、どっかのピンク色のお部屋で「バカじゃねーの?なにが気持ちいいのか、意味がわかんねえ」なんてバカキャラ丸出しで罵倒されながら踏まれてるところだったのですが。

ちなみにゲームのサイレントヒル、駿河屋ではこのところ異常に売れていてこのまま行くと公開する頃には売切れになりそうです。

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2006年上半期の映画を振り返って2

2006年07月02日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
昨日の続きで。

21 輪廻(未レビュー)
22 バルトの楽園
23 アサルト13
24 プロデューサーズ
25 ナイロビの蜂
26 子ぎつねヘレン
27 スタンドアップ (未レビュー)
28 ナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女
29 オーメン ’06
30 ビューティフルボーイ
このあたりはそれなりに満足して帰れました。輪廻がこの位置にいるのはわてがホラーに甘いからかなぁ?優香も見直しましたし。27位はセロン様の美しいままの汚れ役がちょっと浮いてて惜しいところでした。

31 ブロークバック・マウンテン
32 連理の枝
33 SPIRIT
34 ダ・ヴィンチ・コード
35 イーオン・フラックス
36 銀色の髪のアギト(未レビュー)
37 M:I:3
38 夢駆ける馬ドリーマー
39 ミュンヘン(未レビュー)
40 着信アリfinal
印象にあまり残らなかった作品の多いグループになってしまいました。39位はもはやストーリーの半分くらいが忘却の彼方に消えました。36位は安く見れるなら絶対のお勧め。最初の5分だけは見る価値ありです。とにかくオープニングが神がかりで、名作の予感に身震いがしました。中味は「トゥーラー(棒読み)」でしたが。

41 天使(未レビュー)
42 単騎、千里を走る。(未レビュー)
43 タイフーン/TYPHOON
44 ファイヤーウォール
45 ニュー・ワールド
46 ジャーヘッド
47 GOAL!
48 サウンド・オブ・サンダー
49 フライトプラン
はっきりと「ダメだ、こりゃ」という記憶が残る映画が多いグループです、が、そのダメと思った部分がいいと感じられる人もいるでしょうし、ある意味名誉の下位グループといってもいいかもしれません。

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2006年上半期の映画を振りかえって

2006年07月02日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
2006年も早くも半分が過ぎました。ここで2006年上半期の映画を振り返ってみたいと思います。静岡公開日が基準ですので、東京などでは昨年公開のものが含まれています。
今回はわて的上半期ベスト10。
1 白バラの祈り    
2 死者の書
3 クラッシュ
4 歓びを歌にのせて
5 LIMIT OF LOVE 海猿
6 Vフォー・ヴェンデッタ
7 佐賀のがばいばあちゃん
8 ホテル・ルワンダ(未レビュー)
9 トリック劇場版2(未レビュー)
10 エミリー・ローズ
1位は近年稀に見る、緊張と人間としての強さにより昇華した感動がありました。それ以上のことを書き始めるといろんな感情が噴出してわけがわからなくなります。
誰にでもお薦めできる泣きの一本。誰にでもお薦め出来るのはあと3本、日本的究極の娯楽大作の5位とほのぼの温かい7位、堅実な社会派の8位。ミニシアター慣れしていれば3位4位も。
あとは合う合わないがはっきり出そうです。

11 春が来れば
12 嫌われ松子の一生
13 THE 有頂天ホテル
14 かもめ食堂(未レビュー)
15 愛より強い旅
16 力道山
17 花よりもなほ
18 グッドナイト アンド グッドラック(未レビュー)
19 ブロークン・フラワーズ
20 デスノート前編
この辺りは完全に映画が好みに合った、という感じ。11位、14位、17位、19位はまったりの雰囲気。18位はセリフの行間を読ませたり渋さを演出するなど、社会派映画以上のものがありました。
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男たちの大和

2006年06月30日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
「男たちの大和」もそろそろDVD発売が近いということでちょっと書いてみます(というよりこのブログ以前に某所で書いた文章を編集しただけですが)

試写会ってのは本編が終わったらタダ見客がどっと席を立つものですが、席を立つ人はほとんどいませんでした。それくらいいい映画、というよりは長渕効果でしょう。
正直なところ、いい意味でも悪い意味でも期待が大きすぎたのか、肩透かしを食らったた感じでした。
まず背景の合成がチャチくて手抜きとしかいいようのないレベル。背景は大揺れなのに中はまっ平、という場面が多かったです。特に鈴木京香の船の場面は酷すぎ。
そして演出が芝居風のわざとらしさ。リアリティなんかありゃしません。
例えば少年兵がはじめて大和に乗る場面。
あ、大和だ。大きいなぁ。
でも大きさが分かるほど近くにいたら、とっくに大和がいることくらい分かってるでしょ。なーにが「あ、大和だ」ですか。笑っちゃいます。学芸会の動物たちのセリフじゃないんですから。
鈴木京香の船酔いが酔い止め薬でピタリと止まったり。ゆれが酷いんですよ、という表現なんでしょうが、そういう説明のための不自然なセリフや状況が多すぎです。
で、内容の方はというと、歴史認識や第2次世界大戦の正当性を論じるようなものではありません。描かれているのは人間、個人。
試写会に行く前に知り合いとこの映画の話になって
「私、歴史とか戦争の知識がないからそういう映画分からないと思う」
なんてことを言ってましたが、むしろそういう人向けです。
神尾少年と一緒で、なんにも分からないまま雰囲気で戦争に巻きこまれていけばいいんです。
わけの分からないまま戦争が始まって、わけの分からないまま終わる。その時代を総括できずに惑いながら生きていく老人の物語。客観的な大局ではなく、庶民レベルでの視野での戦争を描いています。。
少なくともこの映画には悪い人も憎むべき相手も敵も出てきません、それがまさに監督の言うところの「非戦映画」の意味するところだと思います。

試写会初期には本編後に上映されていて、賛否両論あっため公開時には削られた特典映像というものが存在したらしいのですが、DVDではどうなっているんでしょうかね?
コメント (2)
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THE有頂天ホテル

2006年06月30日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
THE有頂天ホテルのDVD発売が近づいてきました。最終興収が60億円を越えてくる誰も予想だにしなかった大ヒットとなった作品なのですが…
わては「やっぱり猫が好き」以来の三谷ファンですから当たり前のように見に行きましたが、あの客の多さはなんだったんでしょうか?どこから湧いてきたんですかね?
笑の大学は見に来ないで有頂天ホテルは見に来る、この行動基準がなにかぜひお聞きしたいところです。少なくとも宣伝や予告編を見た限りでは普通の三谷作品だと思っていました。
ところがもうね。三谷作品の集大成という感じでした。でも願わくば三谷幸喜の前半生の集大成であって欲しいと思います。死ぬまでにこのレベルの作品をあと一つ見れれば、それ以上のことを三谷さんにはなにも望みません。
この演出は「猫が好き」の、この展開は「総理と呼ばないで」の、このセリフは「王様のレストラン」の、この笑いは「子供、ほしいね」の、…以下略。
全ての場面がどこか懐かしく、それでいてもちろん見た事がない、そんな三谷作品のエッセンスがぎゅっと詰まった、三谷幸喜という作家に興味を持った方にはまず最初に見てほしい作品です。
三谷作品特有のの誰も不幸にならず思いがけず幸せになってしまうホワワンとした雰囲気が、正月という時期にマッチして妙なヒットになったのではないか、と今では思っています。

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佐賀のがばいばあちゃん

2006年06月28日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
期間限定公開の「佐賀のがばいばあちゃん」を観て来ました。
島田洋七を育てた古き良き日本のおばあちゃんの話。
このばあちゃんの凄さって、原作シリーズの2作目の巻末でオマケとして明かされることですが、普段からリズムに乗せた言葉を作って楽しんでいたことだろうと思います。
一種のラップやヒップホップみたいなもんでしょうか。言葉は作られたモノでも内容は生き様からにじみ出たモノ、だからこれだけ名言として心に響くのでしょう。
ネガティブなことを夜に考えると昼よりもヘコみ具合が激しいような気がしませんか?この世の終わりが訪れるかのような心配事も、朝になればその恐さも薄れ、昼になったらあっさり解決した、そんな経験をお持ちの方も多いと思います。
そういう立場になった人になんて声をかけましょうか?「あのさ~、そうやって夜に悪いことを考えると必要以上に(以下略)」
がばいばあちゃんにかかると、こうです。
「悲しい話は夜するな」
かな しい はな しは よる する な。
声に出して読みたい完璧な日本語の一つですよ。

この映画は映画作品単独ではなく、上映に至る間での経緯も含めたがばい世界の雰囲気も含めて受け止めた方が面白いと思います。
わてが「佐賀のがばいばあちゃん」の原作を知ったのは去年の今ごろでしょうか、どこかのブログで紹介されていたのを見て、それはそれでおいておいて、気になって忘れかけていた昨年秋頃にamazonのランキングが急に上がった頃に新刊書店で見かけて一気に立ち読みしました。
ビートたけしの家族の話はドラマや映画で有名になりましたが、たけしと一緒に飲んでいたB&Bの洋七がその自慢話を聞かされたときに返したおばあちゃんの話、これがバカ受けで本にしろとけしかけられたはいいものの、当時の洋七は忘れかけられた一発屋、相手にしてくれる出版社もなく、やむなく自腹とカンパで本の制作費を負担するという半ば自費出版に近い形で出版、そして絶版。
これに命を吹き込んだのが黒柳徹子で、テレビの徹子の部屋でのおばあちゃんの話がきっかけで文庫化再版され、最近ではシリーズ100万部を突破しました。
映画化の話はそのブレイク前からのものらしく、今売れてる本だから、と映画化されたのであればまた別のものになっていたと思います。
しかし売れない時代からの企画、無名プロダクション制作では予算もままならず、募金形式での制作となり、映画として格落ちの扱いをされ、配給会社もなく、最終的には中堅シネコンのティジョイ配給という変則的な形での公開となり、ミニシアターを中心に、地方ではフィルムを融通して時間差での公開という文字通りのロードショーを行なっています。
がばいばあちゃんを伝えたい、理屈を越えたその思いがひしひしと伝わってくる作品で、午前10時から満員になった劇場は文字通りの泣き笑いに包まれていました。やっぱり喜劇は大人数で見るべきです。原作を知ってる人が連れにネタバレをしたり、映画のセリフを繰り返していう人がいたり、見た状況をそのまま実況中継(誰に?)する人がいたり、おねえさま方の映画鑑賞にありがちな光景がここかしこで展開されてはいましたが、それも含めてこの作品ということで。

とはいえ上記のような事情もあってか画面のチープさは否めません。広島駅がいつのまにか単線片面ホームになってたり、明らかに現代の校舎で卒業式だったりとか、家にも生活感がなかったし、そういった制作側の台所事情やコマ割りや編集の稚拙さが見えてしまったのが残念でした。
先生のお弁当エピソード、映画のような出来事なら「他人の施しはうけん!」ってことになるのでは?毎年先生のお腹が痛くなる、からいい話なんであって。
あとこの作品はあくまで時代劇として見るべきものだと思いますが、時代劇と現代劇の要素がごっちゃになってる部分があって(冬は汽車が休みなんて大人のいうことを素直に信じる、今では絶滅したような子供が主人公になっていて、その子供が現代っ子っぽいのでリアリティのない子供に見えてしまう、など)素晴らしい原作を映像化するのに手一杯で作りこみが甘いかな、というところが本当にもったいない感じでした。
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M:i:III

2006年06月25日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。7月8日公開のM:i:III の先先行公開に行って来ました。
トム・クルーズもすっかり日本の季節の風物詩になりました。映画のCMなどのプロモ活動を目にするたび、もう夏だな…って感じがします。ま、冬公開の映画の場合だと「ああ、冬だなぁ」って思うんですけど。ここが大晦日の風物詩、アケボノと違うところ。(大晦日以外のアケボノの試合には全然興味がありません)
ミッション・インポッシブル、今回のミッションは…結局のところ拉致された教え子を救え!で始まるわけですが、あとは個人レベルの暴走です。
そこに適度な謎と適度などんでん返しがあって、愛と涙があるうちはいいんですが、頭に仕込まれた爆弾をショートさせるべく奥さんに電気ショックを与えてもらう場面、歯を食いしばって、あ、ちょっと待って、愛してる、ビビビビビ、なにこの流れ?なんか最近のトム・クルーズの愛って思わぬところで大安売りされていて面白いことが多いんです。
そこに限らず、時に冷たい印象でパーフェクトな白人イケメンだったトム・クルーズが、年をとってグダグダに腐ってきたというか、発酵していい味を出してきたというか、そんな印象を受けました。あの髪型は似合ってないと思いますが。

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着信アリ Final

2006年06月22日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
6月24日公開の「着信アリ Final」の試写会に行って来ました。
死の予告メールを「転送スレバ死ナナイ」、ということは要するに「私に転送しないで!」であり、次に「私は転送しない!」と来て、最後は「私に転送して!!!」とシメる。
やっべー、キャッチコピーだけで起承転結が見えちゃいました。
実際見てみたら…8割方当たってました。パムの正体とか韓流顔負けの(というか舞台は韓国ですが)純愛号泣のエンディングとか、お?と思わせる場面が残りの2割。
美々子はパソコンの中に住んでるからフリーズさせればいいんだ!よーしみんなでメールを送ろう!って辺りが秋元康の限界なんでしょうかね。デスノートのように都合のいいハッカーが現れないだけマシですが、ネットに繋いでるパソコンを落とす手段がメールボム(しかもテキストベース)とは…。メールソフトが勝手に立ちあがって勝手に受信することに疑問を抱かなかったんでしょうか?それともPCは携帯メールのようにメールを送られたら自動的に受信するものだと?下手すれば美々子にメールを送る、という同じ行為だから携帯にメールしてるのとPCにメールするのの区別が付かなくなってしまったとか。
わての青春時代をリードしていた人が、時代から取り残される残酷な様を見せつけられたような気がします。そちらの方がはるかに恐ろしく感じられました。
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