村上文緒はアマデウス先生の嫁(仮)

いい風が吹いていますよ~ 村上文緒

11月27日(木)のつぶやき

2014-11-28 07:24:19 | 日記

明日に迫った東大総長選、画期的人事は実現するか 室町幕府・第六代将軍では困る、の慣習を今こそ打破すべきとき jbpress.ismedia.jp/articles/-/422…

アマデウス先生さんがリツイート | RT

@yuriehiyoko 鈴木のお姉ちゃん!グーテンモーニング ニャ!独+英ですニャ!


「偉大」とはまず「大きいこと」である。《エロイカ》の第一楽章の小節数は(反復なしで) 691小節、第二楽章は247小節、第三楽章が442小節、そして第四楽章が473小節である。まさに破格のサイズである。


第一楽章だけを単純に比較しても、《エロイカ》は《ジュピター》の二倍以上の長さがある。これは偉大さへの志向の帰結として、大きさそのものが目的化された結果といえるかもしれない。しかし《エロイカ》はただ大きいだけではない。


たとえば第一楽章アレグロ・コン・ブリオ(ベートーヴェンお気に入りの指示「生き生きとしたアレグロ」)の各サイズは、「提示部」151小節、「展開」246小節、「再現部」154小節、「コーダ」140小節となる。ここではハイドン、モーツァルトにはあまりなかったソナタ形式の特徴が出ている。


まずほとんど提示部の長さに匹敵する長大なコーダである。ちなみに再現部+コーダの長さはほぼ提示部を反復した長さに近いが、これはベートーヴェンが意図したことだろうか。だとすると、全体は展開部を中間部とした三部形式の均整をもつことにもなる。


こうした形式の多層性・多義性は音楽の有機化・緊密化をもたらすことになる (提示部×2≒再現部+コーダという構想を考慮し、現在の多くの演奏では提示部が反復される)。コーダの終盤で、エロイカの主題が次々と楽器を経ながら、壮大なクレッシェンドを築き、その頂点でトランペットが鳴り響く時


コーダの必然性が明らかとなる。そしてもうひとつの特徴は、異様な展開部の長さである。ハイドンでは展開部の長さは提示部の四分の三らモーツァルトでは約半分が普通だった。ところが、ここではほとんど倍近い規模に達しているのである。