村上文緒はアマデウス先生の嫁(仮)

いい風が吹いていますよ~ 村上文緒

12月4日(木)のつぶやき

2014-12-05 08:55:08 | 日記

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神戸新聞NEXT 三田で親子向けクラシックコンサート 12月7日 kobe-np.co.jp/news/sanda/201… @kobeshinbunから


『エロイカ』第一楽章 展開部に入り、激しい転調と展開がしばらく続いたあと、二拍子の波が押し寄せ(三拍子の中に二拍子が混入することを「ヘミオラ」といい、《エロイカ》の第一楽章の重要な戦略となっている)、音楽の流れがずたずたにされ、


ついに崩れ去るかに思えた時、オーボエに妙なる旋律が出る(第285小節)。単純明快なエロイカの主題に対し、哀愁を湛え、微妙な潤いをもった主題である。この「哀愁」は第一楽章の三部形式的な多義性を裏づける。


しかも提示部の素材を集約するという含蓄の深さをもち、さらに第二楽章の葬送行進曲の主題をも示唆する。素晴らしいアイディアである。なお再現部の直前で(第394小節)、ヴァイオリンが属七の和音をpppで奏しているところに、ホルンがエロイカの主題をppで出す有名な箇所がある。


エロイカの主題は主和音の分散和音だから、旋律と和音のとんでもミス・マッチが起きる。普通の作曲家なら絶対やらないことだ。「ベートヴェン流のユーモア」だともいわれるが、これは硬直した規則を超えて溢れ出す、ベートヴェンの創造的なイマジネーションの証なのである。


「間違い」の効果のためなら、ホルンのような輪郭のはっきりしない音で、しかもピアニッシモで出したりはしないだろう。《エロイカ》に駄洒落やおちゃらけたユーモアは似合わない。