11月15日、半世紀の運航にいったん終止符を打った「明石淡路フェリー」(愛称たこフェリー)。最後の姿を見ようと明石、岩屋(淡路市)の両港には大勢 の人たちが詰めかけた。最後の便が出港すると、乗客や港を埋めた人たちから「ありがとう」「お疲れさま」とねぎらいの声が上がった。 午後4時。岩屋港を出港する便は満車になり、積み残しの車も出た。神戸市東灘区の会社員饒平名(のひな)光治さん(47)は休みを取って妻(46)と車 で乗り込んだ。「妻の実家が淡路島にあるので月1回は利用してきた。明石海峡大橋ができる以前の帰省シーズンには、7、8時間待ちも当たり前だった」と懐かしむ。大阪市都島区の自営業本多奈々さん(33)は午後5時過ぎの最終便に乗るため、1時間半前から250ccのバイクで出港を待った。「高速道路と橋を乗り継ぐよりも、フェリーは旅の風情を感じるので大好きだった」 この日、解雇された従業員は、1人を除いて再就職先が決まっていない。入社して約20年間、岩屋港で働いてきた淡路市育波の岡野仙作さん(56)は「行政は職をあっせんしてくれるというが、何の音さたもない。若い人でも難しいから、どうなることか」とあきらめ気味だ。午後5時25分。岩屋港からの最終便は20分遅れで出港した。日もとっぷり暮れ、フェリーと岸壁を結んでいた紙テープが潮風に大きくなびく。汽笛が2度、3度と鳴ると、デッキを埋めた乗客や岸壁を取り囲んだ人たちから、フェリーに向けて様々なねぎらいの声が掛かった。岸壁から見送った淡路市 の川西マサコさん(67)は「子や孫が帰省して来た船がなくなると思うと切ない。国の政策に翻弄(ほんろう)されたフェリーの従業員も気の毒だ」と語った。
■通学の思い出・郷土の宝…
淡路島に向かう最終便は午後6時10分すぎ、定刻より30分遅れて明石港を出港した。船内では乗客らが思い思いに記念撮影に興じた。船室の大型テーブルには制服姿の女子高校生の5人組。最終便に乗ろうと部活を休んで来た。5人はともに淡路島の岩屋中学校を卒業。進学先の高校は3カ所で異なるが、毎朝7時10分のたこフェリーで一緒に通学してきた。「宿題したりおしゃべりしたりほっと一息ついたり。なくなるのは悲しい」の一言ですと明石高校2年の丹野真帆さん(17)。ライトアップされて夜の海にくっきりと浮かび上がる明石海峡大橋の上を、星のまたたきのような光を放つ車が1台、また1台と行き交う。「時代の最先端と、切り捨てられていくものと。時の流れとは残酷なものですね」。洲本市社会福祉協議会に勤務する金山悦和さん(52)はこうつぶやいた。年休を取得して、最終便に乗った。「フェリーは郷土の宝だった。費用対効果を考えると、航路再開はまず無理だろう」。最後まで船内に残って、名残を惜しんだ。
本日の読書:1/952冊目 ユーロがあぶない 日本経済新聞社編