goo blog サービス終了のお知らせ 

SuperDryな一徹の徒然草

自称・アサヒビール・スーパードライのアンバサダー 見たり、聴いたり、触ったり、歩いたり、走ったり。呑む他に暇なしの徒然草

前前(さきざき)の用心

2011-02-16 08:46:56 | 社会

今から50年前の1961年。ベトナム情勢は緊迫していた。いずれ世界を震撼させる事態になる。当時、そう進言する識者らの弁を米国首脳は一蹴した。やがて勃発したベトナム戦争は泥沼化へ。米国は対外的にも国内的にも大きな痛手を負った。“ほかに大きな問題があるのに、小さな事には関わっていられない”当時の首都ワシントンには、こうした空気が蔓延していた。

ジャーナリストのハルバースタムは、名著『ベスト&ブライテイスト』(朝日文庫)で、米国がベトナム問題への対処を誤った原因の一つに、この「無視と不作為」を挙げた。小事をおろそかにすると、大事を見失う。これは万般に通じる鉄則だ。事故、病気、仕事の失敗・・・・これらにも必ず小さな前兆がある。それを見逃さず、的確に対処する姿勢が、勝利と成功には欠かせない。今一度、身の回りを総点検。

本日の読書:1/1,040冊目 岩崎夏海著 もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの「マネジメント」を読んだら ダイヤモンド社

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2009-12-04

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues) ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2009-12

 


後世のために

2011-01-12 08:26:32 | 社会

ブログ引っ越し第一号です。「後世のために聞かせてください。お願いします」青年たちの熱意に、84歳の老婦人が重い口を開き始めた。65年を経て初めて話す被爆体験だった。「助けたくても救えなかった・・・」。目前で家族や友人を失った悲しみを、片時も忘れたことはない。その悲しみを言葉にするには、65年の沈黙が必要だったことを、涙とともに青年たちは知った。おもいだしたくもない体験を、なぜ被爆者は語るのか。“二度と同じ苦しみを味わってほしくない”との思いが、突き動かすのだろう。加藤周一氏の言葉を思い出す。氏は、科学的データの不足を理由に、ベトナム戦争への態度を留保した学者たちを批判した。“戦争は悪だ”と言い切るには、子供が殺されているという事実があれば十分だ、と。抑止力など各を正当化する“理論”は多々あるが、本来、被爆者の声ほど説得力のあるものはない。昨年の11月、広島を訪れたノーベル平和賞受賞者のマグワイヤ氏もまた、北アイルランド紛争で、妹と、その3人の子供を失った体験をもとに、平和に立ち上がった一人。広島でこう語った。「平和とは、あらゆる次元で闘うことであるというのが、私たちの信条です」平和な社会を建設する精神を受け継ぐ日本の後継者・青年の責務は重い。心して勉学と読書に努めてほしいと望む。

本日の読書:1/1005冊目 農家ごはん 大地を守るオーガニック野菜レシピ 
大地を守る会 玄光社 


「他生」

2010-12-20 17:55:00 | 社会
「袖で振り合うも他生の縁」。他生は「多生」とも書くが「多少」は間違い。袖が少し触れ合った程度の関係でも、多生、つまり、過去世(かこせ)までさかのれば、何かしら縁はある、という意味だ。今年の世相を反映する流行語の一つに「無縁社会」が選ばれた。孤独死や結婚難、リストラ、児童虐待・・・こうした社会現象は、日本人がかつて持っていた家族や地域、会社などとの結びつきを、急速に失いつつあるところから生まれている。

無縁社会化は、雇用や家族の在り方など、社会構造の変化と深く関わっている。ゆえに、安易に「心の問題」とすることはできない。その上で確かなのは、袖振り合うほどの縁のない人は、一人もいないということ。無縁社会にも縁はある。無くなったものがあるとすれば、それは縁を大切に育み、強め、広げていく人間の振る舞いではあるまいか。他人であっても心から語り合えば、かけがいのない命にも替わりうる。真心の触れ合い、誠心誠意の語らいで結ばれた絆はそれほど強く、固い。無縁社会を照らす“希望の灯台”を来年は目指したい。

本日の読書:1/983冊目 子供の心のコーティング 菅原裕子著 PHP文庫


嗚呼!たこフェリー

2010-11-19 18:01:00 | 社会

11月15日、半世紀の運航にいったん終止符を打った「明石淡路フェリー」(愛称たこフェリー)。最後の姿を見ようと明石、岩屋(淡路市)の両港には大勢 の人たちが詰めかけた。最後の便が出港すると、乗客や港を埋めた人たちから「ありがとう」「お疲れさま」とねぎらいの声が上がった。 午後4時。岩屋港を出港する便は満車になり、積み残しの車も出た。神戸市東灘区の会社員饒平名(のひな)光治さん(47)は休みを取って妻(46)と車 で乗り込んだ。「妻の実家が淡路島にあるので月1回は利用してきた。明石海峡大橋ができる以前の帰省シーズンには、7、8時間待ちも当たり前だった」と懐かしむ。大阪市都島区の自営業本多奈々さん(33)は午後5時過ぎの最終便に乗るため、1時間半前から250ccのバイクで出港を待った。「高速道路と橋を乗り継ぐよりも、フェリーは旅の風情を感じるので大好きだった」 この日、解雇された従業員は、1人を除いて再就職先が決まっていない。入社して約20年間、岩屋港で働いてきた淡路市育波の岡野仙作さん(56)は「行政は職をあっせんしてくれるというが、何の音さたもない。若い人でも難しいから、どうなることか」とあきらめ気味だ。午後5時25分。岩屋港からの最終便は20分遅れで出港した。日もとっぷり暮れ、フェリーと岸壁を結んでいた紙テープが潮風に大きくなびく。汽笛が2度、3度と鳴ると、デッキを埋めた乗客や岸壁を取り囲んだ人たちから、フェリーに向けて様々なねぎらいの声が掛かった。岸壁から見送った淡路市 の川西マサコさん(67)は「子や孫が帰省して来た船がなくなると思うと切ない。国の政策に翻弄(ほんろう)されたフェリーの従業員も気の毒だ」と語った。
■通学の思い出・郷土の宝…
淡路島に向かう最終便は午後6時10分すぎ、定刻より30分遅れて明石港を出港した。船内では乗客らが思い思いに記念撮影に興じた。船室の大型テーブルには制服姿の女子高校生の5人組。最終便に乗ろうと部活を休んで来た。5人はともに淡路島の岩屋中学校を卒業。進学先の高校は3カ所で異なるが、毎朝7時10分のたこフェリーで一緒に通学してきた。「宿題したりおしゃべりしたりほっと一息ついたり。なくなるのは悲しい」の一言ですと明石高校2年の丹野真帆さん(17)。ライトアップされて夜の海にくっきりと浮かび上がる明石海峡大橋の上を、星のまたたきのような光を放つ車が1台、また1台と行き交う。「時代の最先端と、切り捨てられていくものと。時の流れとは残酷なものですね」。洲本市社会福祉協議会に勤務する金山悦和さん(52)はこうつぶやいた。年休を取得して、最終便に乗った。「フェリーは郷土の宝だった。費用対効果を考えると、航路再開はまず無理だろう」。最後まで船内に残って、名残を惜しんだ。

本日の読書:1/952冊目 ユーロがあぶない 日本経済新聞社編


インビクタス

2010-11-17 17:32:00 | 社会
「変るべき時に私自身が変れないなら、人々に変化を求められません」。映画「インビクタス/負けざる者たち」における、マンデラ大統領のせりふである。アパルトヘイト(人種隔離)の悲劇を越えて。新生・南アフリカ共和国を率いる氏は、人種の融和に心を砕く。「「和解と赦し」を掲げ、ラグビー代表チームの白人キャプテンとも友情を。「なぜ?」との問いへの返答が、冒頭の言葉であった。同国で開催されたワールドカップにおける感動ドラマも、そこに生まれた。

「心の強さ」には二つある。勇気と寛容だ。勇気とは、己心の衝動を抑えて、方向を転ずる能力。寛容とは人々を助け、友情の絆によって結びつこうとする努力。哲学者スピノザは主著「エチカ」で、そう語る。マンデラ氏は、その二つを備えているといってもいい。

自ら変わる気がないものに限って、もっぱら他人を変えようとする。しかし、そこに新生の夜明けがくることはない。「組織をどう動かすか、ではない。自分を革命すること。自分が生まれ変わっていくこと。」つねにその指針を心肝に染めること。「インビクタス」とは“不屈”の意。

本日の読書:1/950冊目 吉越流デッドライン経営塾 吉越浩郎著 日経ビジネス文庫