上の写真は何の変哲もないものである。今はショッピングセンターなどが立ち並び京丹後市の中心街と言っても過言ではない地域になっている。まだこのあたりが田んぼしかない時代、この道路の両側には桑の木がびっしり植えられていた。おやつのない時代、桑の実をとって食べたものだ。
だがこの道路、50年以上前からコンクリート舗装され、道路幅も歩道部分も含めた幅を持っていた。しかも全くカーブがなく1000m以上一直線になっている。先の戦争時代、練習機発着の滑走路であったことを知っているだろうか。
滑走路近くにある上の建物は、練習機の格納庫で、中はガランドウで仕切るものは何もない。戦後は、多くの織機を入れちりめん工場として使われていた。
この屋根のない建物は、戦時中の倉庫だと聞いた。屋根がないのは、空襲によるものである。周りを良く見ると、これと同じコンクリート製の建物がもう一棟ある。そちらの建物は屋根もあり、今は個人の所有物である。また、取り壊されて今はないが、近くには(この写真を撮ったあたり)同様の建物がさらにもう一棟あった。
地元の人たちは、上の道路を「滑走路」、ショッピングセンターから大宮町河辺に至るこのあたり一帯を「飛行場」と、今でも呼んでいる。
67年前のことである。