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新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

半導体の製造工程

2023-12-08 00:43:08 | 話の種

半導体の製造工程

半導体の製造工程は、下記の流れとなっている。

A.マスク製造工程:回路を設計してフォトマスクを作成する工程
B.ウェハ製造工程:シリコンウェハを製造する工程
C.前工程:ウェハに電子回路を形成するまでの工程
D.後工程:ウェハをチップ状に切り出して、パッケージングをして検査を行う工程
E.流通:顧客に半導体を納入


〇「設計」:回路を設計してフォトマスクを作成する工程

[回路・パターン設計]
(半導体チップ上にどのような回路を配置するのか設計し、効果的なパターンを作成する)
[フォトマスク作成]
(コンピューターを使い、透明なガラス板の表面に設計した回路パターンを描いてマスクを作成。これがウェハに回路を転写するための原版となる)
[マスク検査]
(外観上の不良、回路パターンの寸法の精度不良、回路パターンの位置の精度不良などを検査装置で見つけ出す)

(参考)
[設計]
(半導体の配線は非常に細かいため、コンピュータで回路を描いたフォトマスクをウェハ表面に転写して、回路を形成する方法をとっている)
[回路・パターン設計]
(要求されている性能を満たす回路を設計する工程。回路を効率よくレイアウトするために回路パターンを作成して検討を重ね、動作シミュレーションも行う)
[フォトマスク作成]
(コンピュータを用いて、透明なガラス板に実際よりも大きく回路パターンを描いて、フォトマスクを作成する。フォトマスクはウェハに回路を転写するための原版(マスター)となるもの)

〇「素材」:シリコンインゴットを作成しウエハーを製造する工程

[シリコンインゴット切断]
(シリコンインゴットの塊を薄くスライスし、ウェハを作成する)
[ウェハの研磨]
(シリコンウェハ表面の凸凹を研磨剤と研磨パッドで鏡のようになるまで磨く)

〇「前工程」:前工程はウェハプロセスとも呼ばれ、ウェハ上に電子回路を製作する工程。

[ウェハ表面の酸化]
(ウェハ表面を高温の酸素で酸化させることで、絶縁層となる酸化膜を作成する。)
[薄膜形成]
(ウェハの酸化膜の上に配線となる金属薄膜を作成する。)

[パターン転写] =[リソグラフィー]
・[フォトレジスト塗布]
(フォトレジストといわれる感光剤をウェハ表面に均一に塗る)
(これにより光に反応して回路パターンを焼き付けることができるようになる。照射する光源の種類によって材料が異なる)
・[露光・現像]
(ウェハ表面にフォトマスク、縮小レンズを通して光を照射し、回路パターンを焼き付ける)
(その後、現像液によって不要なフォトレジスト部分を除去する)

[エッチング]
(フォトレジストで形成されたパターンに沿って覆われている部分以外の酸化膜と薄膜を削り取る)
(フォトレジストに覆われている部分は残る)
[レジスト剥離・洗浄]
(残っているフォトレジストを剥離する。その後、ウェハ上に残っている不純物を薬液に浸して取り除く)[イオン注入・活性化]
(不純物イオンを注入し、フラッシュランプやレーザーを照射するなど熱処理を行うことで半導体の電気的特性を変化させる)
[平坦化]
(ウェハ表面の凹凸をなくすため、研磨する。)

*(ここまでのパターン転写~平坦化までの工程を繰り返すことで、ウェハ上に設計通りの回路を形成していく。)

[電極形成]
(ウェハ上のチップの内部回路に外部の電気を通すために、電極用の金属を埋め込む。)
[プローブ検査]
(ウェハ上に形成された数百個のチップの一つ一つにプローブという針を接触させて、電気的に問題がないか検査を行う。)

〇「後工程」:後工程は前工程でウェハ上に製作されたチップを切り出して、パッケージ化した後、最終検査を行う工程。

[グラインディング]
(前行程で回路を形成したウェハを裏側から薄く削り、厚みを数分の一にする)
(ウェハの厚みが薄いほうがパッケージングの際に有利となるため)
[ダイシング]
(ウェハをダイヤモンドブレードで切断し、一つ一つのチップに分離する)

[パッケージング]
・[ダイボンディング](ダイ=チップ)
(切断したチップを銀ペーストやハンダなどの接着剤でリードフレームという金属の枠に固定する)
・[ワイヤーボンディング]
(チップとリードフレームを金線で接続する)
・[モールディング]
(チップにキズや衝撃を抑えるためにセラミックやモールド樹脂でパッケージしてガードする。)

[最終検査]
(温度や電圧の試験、電気的特性試験や外観構造検査などの品質検査を行い、不良品を取り除く。)


(参考)
イラストで分かる半導体製造工程
https://www.semijapanwfd.org/manufacturing_process.html
半導体のフォトリソグラフィとは?工程フローと原理
https://semi-journal.jp/basics/process/photolitho.html

【前工程編】工場見学:半導体ができるまで(「サンケン電気」- YouTube )
https://www.youtube.com/watch?v=poKpjfO5m_8
【後工程編】工場見学:半導体ができるまで(「サンケン電気」- YouTube )
https://www.youtube.com/watch?v=xBY5G9JFxe0&t=22s

 

(参考)

半導体の製造工程を簡単に纏めると次のようになる。

[半導体製造工程の流れ]

[前工程の流れ]:
成膜:電子回路になる薄膜を表面に張る
リソグラフィー:設計された回路をウェーハの表面に転写する
エッチング:リソグラフィーで転写された回路に沿って薄膜を加工する
不純物添加:シリコンに不純物を混ぜ、電気を通すようにする
平坦処理:薄膜の表面の凹凸を磨いて平らにする
(以上を繰り返す)

電極形成
ウェハ検査(プローブ検査)

[後工程の流れ]:
ダイシング:ウェーハから個々の半導体チップを切り出す
ダイボンディング:チップをリードフレーム固定する
ワイヤーボンディング:チップとリードフレームの間に金線を取り付ける
モールディング:樹脂でチップとワイヤーをカバーする
最終検査:半導体チップが正常に動くか検査する

 


半導体について

2023-12-08 00:32:39 | 話の種

半導体について

[半導体とは]

シリコンを主な材料とした物質(素材)で、条件により導体にも絶縁体にもなりうる(電気を流したり流さなかったりしうる)もの。

*半導体の代表的な素材はシリコンだが、高純度のシリコン単結晶は、ほとんど電気を通さないので、リンやヒ素などの不純物を敢えて混ぜることで、電気を通しやすくしている。

*半導体にシリコンが使われる理由
・資源が豊富にあること。( シリコンは地球表面で存在するすべての物質のうち2番目に多い物質といわれている。)
・加工しやすく、純度を高めたり、不純物を調整したりするのが容易。
・酸化膜をつくりやすい。(半導体デバイスは必ず絶縁膜を必要とし、シリコンは酸素の存在下で加熱するだけで自然にSiO2の酸化膜を形成する。 SiO2は高い絶縁性を持ち欠陥も少ないため、半導体デバイスにとって非常に信頼性の高い絶縁膜となる。)
・光や熱などのエネルギーを受けても、比較的安定した電流制御が可能

*半導体は、温度によって電気抵抗率が変化する。
・温度が高い:電気抵抗率が高くなり、電気が通りにくくなる。
・温度が低い:電気抵抗率が低くなり、電気が通りやすくなる。

*半導体デバイスにおいて、電流のオンとオフは半導体素子内で制御される。この動作は電気信号によるものであり、温度制御とは異なる。
(半導体デバイス:半導体の基盤上(ウエハー)に、ダイオードやトタンジスタなどの素子を組み合わせ電子回路を作成し、チップ状にしたもの。メモリやマイコン等のIC(集積回路)などをいう。)

[半導体の役割]

・電気の流れを制御する
(一方向に電気を流すこともできるし、その電気を止めることもできる。)
(高速で電気を通す/止めるを切り替えると、その連続値が0と1になり、デジタル化が可能。)
・電気エネルギーを光に変換する(LED、有機EL、レーザーなど)
・光エネルギーを電気に変換する(太陽光発電など)

(参考)

半導体とは?種類や役割、使用例などを簡単にわかりやすく解説
https://www.y-skt.co.jp/magazine/knowledge/guide-semicon/
(5分で復習)半導体の仕組み
https://contents.zaikostore.com/semiconductor/5445/

【基礎講座】ゼロから学ぶ!半導体の基礎知識(「サンケン電気」- YouTube )
https://www.youtube.com/watch?v=bfIMtiAml08

[ダイオードとトランジスタ]

・[ダイオード]:電流を一方向に流す(整流作用)
(この他、ダイオードには検波(ラジオなどの電波から音声信号を取り出す)、電圧制御、電流変換などの役割がある。)

(参考)ダイオードの仕組みと用途を解説!どんな場面で使われる?
https://www.matsusada.co.jp/column/diode.html

・[トランジスタ]:電流をコントロールする。電流・電圧を増幅する(増幅作用)、電気のオン・オフを行う(スイッチング作用)

(参考)トランジスタを徹底解説!原理・用途・使い方をマスターしよう
https://contents.zaikostore.com/semiconductor/3795/

*[バイポーラトランジスタ](NPN型とPNP型があり、電流によってコレクタとエミッタの間の伝導性を制御する)
ベースに電流を流すと、トランジスタはオンの状態になり、電流がコレクタとエミッタに流れる。ベースに電流がない場合、オフの状態で、電流は流れない。

(ベース(B)、コレクタ(C)、エミッタ(E)・・・電極の名前)
(ベース電流は全開(Open)=ON、全閉(Close)=OFFだけで、半開のような調節はしない。)

(増幅作用):
・エミッタ-ベース間のわずかな電流変化が、エミッタ-コレクタ間電流に大きな変化となって現れる。
・ベース信号を入力信号とし、エミッタ-ベース間の電流を出力信号とすることで、増幅作用が得られる。

(スイッチング作用):
・エミッタ-ベース間にわずかな電流を流すことで、エミッタ-コレクタ間にその何倍もの電流を流すことができる。
・エミッタ-ベース間のわずかな電流をON/OFFすることで、エミッタ-コレクタ間の大きな電流のON/OFFの制御ができ、ここにスイッチング作用が得られる。

(参考)トタンジスタスイッチ
http://www.ee.ibaraki.ac.jp/09student/Lectures/KisoDenki/Tr/Tr_as_SW.html

*[MOSFET] (Metal-Oxide-Semiconductor Field-Effect = 金属酸化物半導体フィールド効果トランジスタ)(ゲートに印加された電圧によりチャネルの形成や遮断が制御される。)
ゲートに電圧をかけることで電界が発生し、チャネルが形成され、電流が流れる。ゲート電圧を変化させることで、トランジスタはオンまたはオフの状態に切り替えられる。

[ICとLSI]

・[IC] (Integrated Circuit):集積回路(複数の素子を一つに集積したもの。例えばトランジスタを複数組み合わせたり、トランジスタとダイオードなどを多数組み合わせたりして構成したもの。)

・[LSI ] (Large Scale Integration):大規模集積回路(ICの中の一つで、様々な素子の集積度がより高まったもの。)


[電気が流れる仕組み](理論)

一般的に金属は電気をよく通しますが、これは金属元素同士が結合する際に各原子の電子が自由電子になるからです。電圧を加えると、金属結晶内の自由電子が動き回り、電荷を運ぶことで電気が流れる仕組みになっています。

半導体は、流れてくる電気の状態によって導体としてふるまったり、絶縁体としてふるまったりします。半導体は金属のように豊富な自由電子を持ちません。電圧がかかると、電子が足りない穴を埋めるように電子が順番に動いていったり、金属結合よりも少ない自由電子で電気を運んだりします。

電気を流す仕組みの違いによって、半導体はP型半導体とN型半導体に分けられています。
P型半導体は前者の電子が足りない穴を埋めるように順番に動いていくものです。シリコンのような4価元素にホウ素やボロンなどの3価の添加物を混ぜたものがP型半導体になります。電子が1つ足りないので、正(+)に帯電していると考えます。
N型半導体は後者の金属結合よりも少ない自由電子で電気を運ぶものです。シリコンのような4価元素にリンなどの5価の添加物を混ぜたものがN型半導体になります。電子が1つ余っていますので、負(ー)に帯電していると考えます。

このP型半導体とN型半導体を1つの結晶としてつなげたものがPNダイオードで、ダイオードの中では最も一般的に使われています。PNダイオードではP型半導体につながる電極をアノード(A)、N型半導体につながる電極をカソード(K)と呼びます。

*(自由電子):
物質内で特定の原子間の結合に束縛されず自由に動き回れる電子のこと。金属結晶などには豊富に含まれるため電気をよく通す導体となり、ゴムなどには含まれないため電気が流れない絶縁体(不導体)となる。
半導体は導体と絶縁体の中間の性質を持つ物質で、シリコン(ケイ素:Si)やゲルマニウム(Ge)などの4価の物質の結晶中に価電子数の多い5価のリン(P)やヒ素(As)を添加したものには内部で自由電子が生じる。このような組成の半導体を「n型半導体」と呼び、自由電子が負(negative/-)の電荷を運搬する担体(キャリア)として振る舞う。

*(正孔 (hole)):
「p型半導体」中を価電子が移動した時に、価電子が元にいた位置に残った穴(孔)のことを正孔という。正孔は、負の電荷を持っている価電子が抜けた後に残る穴(孔)であるから、価電子とは逆に正の電荷を持っている。また、その他の価電子の移動により正孔が埋められ、正孔の存在する位置が変化することによって、あたかも自由に移動しているかの様に考えることができる。正の電荷を持った正孔が移動する事によって、電流が流れる(正の電荷が運ばれる)ので、電子と同様、正孔もキャリア(carrier)と呼ばれることがある。

*(キャリア)=電気伝導の担い手
このキャリアが半導体の電気的性質を決定するため、それらを如何に制御するかが重要となる。

(参考)電流と電圧の違いとは?川の流れに例えて分かりやすく解説!

https://towatowa.net/denryu-denatsu-chigai/

 

[フラッシュメモリーがデータを保存できる仕組み](理論)

フラッシュメモリーは、電源を切ってもデータを保持できる「不揮発性」である点が最大の特徴。メモリーは、不揮発性であることが理想の姿。パソコンのメインメモリーも本来なら不揮発性の方が望ましい。現在のパソコンが、データの消えてしまう「揮発性」のDRAMを使う理由は、ビットコスト(ビット当たりの単価)が安く、フラッシュメモリーに比べて高速なため。

*(半導体メモリには揮発性と不揮発性がある。 揮発性は電源を切ると記憶が消えてしまう物を言う。 DRAM、SRAMが代表的なものである。 不揮発性は電源を切っても記憶が消えない、すなわち揮発しないと言う意味で、フラッシュメモリはその代表である。)

DRAMとの違いはフローティングゲートの有無

 では、フラッシュメモリーはどうやって「不揮発性」を実現しているのか。そもそも、フラッシュメモリーもDRAMも半導体であることに変わりはない。フラッシュメモリーがDRAMと異なるのは、電荷を保持する「フローティングゲート」という領域が、トランジスターの内部に追加されていること。

 このフローティングゲートにある電荷の状態によって、電流が流れるときの電圧が変わってくる。フローティングゲートに電子がある場合は、1Vを超えると電流が流れ始めるが、ない場合は5V以上の電圧をかけないと電流が流れない。この違いで「0」か「1」かを区別する。

 フローティングゲートは絶縁されており、電源を切ってもそこに蓄えられた電子が漏れ出すことはない。つまり、電源がオフになったときでも、データを記録しておけるわけ。

(参考)大容量かつ高速化で普及が進む、「フラッシュメモリー」の原理を探る
https://xtech.nikkei.com/it/pc/article/NPC/20061129/255245/


(参考)

「半導体のウエーハは、なぜ丸い?」

半導体の原料であるシリコンから単結晶を成長させるには、引き上げ法と呼ばれる方法が広く用いられています。この方法では、原料を坩堝内で融点以上の高温に加熱し、液体(融液:melt)にします。この液体に種結晶と呼ばれる結晶を付け、ゆっくり回転させながら引き上げていきます。すると、円柱上の結晶が成長しインゴットになります。、それをダイアモンド粉末でコーティングした工具で薄く切断したのがウエーハなので円板状になります。
(回転させる理由)  原料の中には取り除くことができない不純物がごくわずか含まれています。融液を回転させることで、不純物は均一に混ざります。

「何故単結晶だと丸くなるのか?」

溶けたシリコンを四角い容器に入れて冷やしていくと、容器の縁から熱が逃げて冷えていき、あちこちから結晶化が進むので、単結晶になりません。製氷皿で凍らせた氷の内部にいろんな方向のスジが入っている事からもイメージしやすいでしょう。
大きな単結晶を作るには、小さな単結晶のかけらを溶けたシリコンに触れさせて、並んだ結晶に続いて結晶が成長していくように少しずつ大きくしていくしかありません。
結晶が成長したら引き上げて、少しずつ大きくする事を繰り返し、所定のサイズになったら一定速度で引き上げて行けば、見慣れたインゴットの姿になるのです。


(付記)

当方長年不思議に思ってきたのは、例えばCDやDVDで、どのようにして作られ、また手軽に安価に複製できるのかということ。印刷機みたいにペッタンペッタンやっていると言われても、アナログ人間には全くイメージがわかず理解できなかった。
その後、USBメモリーやドライブレコーダーなどが出現し、どうして大量の情報をあのような小さなものに収められるのかとますます疑問に思うようになった。
これらは全て半導体及びその進化によるものとのことだったが、この半導体というのも分かっているようで全く分かっていないということが分かり、今回これ迄の疑問点を念頭に調べてみた。

その結果分かったのは、この半導体の作用、作業というのは全て原子のレベルで行われているということ、また回路の作成、配線はレーザー光で行っているということでようやく納得できた。(アナログ人間の宿命でメカニカルな思考しか頭の中になかったので。)
(また情報の保存も全て0と1だけのシンプルなものなので(デジタル保存)、半導体を小さくできれば比例して半導体デバイスも小さくでき、同じサイズであれば情報はより多く保存できるということになる。)

ということで、ここに記したものは、当方が疑問に思っていたことを、本やネットで調べて、取り合えず納得できる範囲内で纏めたものだが、更なる疑問点については当方の理解力に合わせて習得したことを今後追加して行きたいと思う。(ここまででもういいやという気もあるが。)

 


若者とスマホ(天声人語)

2023-10-17 16:42:49 | 話の種

若者とスマホ

昨日の朝日新聞の「天声人語」に次のような記事があった。

「お昼どき、たまたま目にした小さな定食屋に入った。何を注文しようかと考えていると、店長らしき年配の男性と、まだ10代ではないかと思えるアルバイトの若い女性の会話が聞こえてきた▼「きょうのお薦めはサバだ。おめえ、鯖(さば)って漢字、書けねえだろ」。店長は大きな声で言った。若者はのんびりとした調子で小さく答えた。「いえ、書けます。スマホで調べますから」。しばらくして、壁にかかった品書きの黒板に、彼女はきれいな文字を記した▼私はえっと驚いた。「お薦めメニュー 秋刀魚」と書かれていたからだ。女性は何げない表情で仕事を続けている。わざと、書いたのかな。そう思うと、ちょっと愉快な気分になり、やがて、少し切なくなった▼よし、今夜はサンマを食べよう。思い立って、帰宅途中にスーパーに寄った。時間が遅かったせいか、食品棚にはパック入りのサンマが、ぽつんと1匹だけ。〈さんま、さんま、/さんま苦いか塩つぱいか〉。(以下略)」

最近は当方も寝転がったりしている時に、ちょっとした調べ事があるとスマホを使うことが増えたが、そのあと新聞や雑誌などを読んだりすると文字がぼやけてしばらく戻らない。
(当方近視が強いせいか年をとっても未だに老眼鏡なしで新聞などが読めるが、これはその影響もあるのだろうか。)
最近の若い人たちは頻繁に、かつ長時間スマホを使い続けることも多いようだが、目を悪くしないだろうかと他人事ながら気になって仕方がない。

ところで先の女店員の話だが、これは単にサバとサンマを聞き間違えただけのことかと思われるが。
(わざとそうしたとしたら、書けねえだろと馬鹿にされたと思っての腹いせか。)

(追記)

「若者とスマホ」について、他に最近気になっていることを幾つか記しておく。(少数かと思うが。また余計なお世話かも知れないが。)

・情報が偏っていないか。
(スマホで見るのは自分の選択箇所だけ。最近は新聞などを読まない若い人たちも増えているようなので、物事を幅広く見聞きする機会が減っているのでは。特にSNSなどは一方的な、或いは虚偽の情報も多いので、他にも情報源を広く持っているかどうか。)
・思考停止に陥っていないか。
(スマホは画面が小さいので文章を深く、かつ行間を読むことは難しい。特に最近の若い人たちは時短と称して早読みすることも多いようなので、印象だけで物事を判断するようになってはいないか。)

 


ウクライナ問題

2023-10-17 11:35:16 | 話の種

ウクライナ問題

2022年2月にロシアがウクライナに侵攻し戦争状態となってから1年8カ月が経過したが、未だに終結する見通しは全く立っていない。
何故ロシアはウクライナに侵攻したのか、ここで一度整理してみたいと思う。

[ロシアの近年のウクライナ侵攻の動き]

2014年2月 ロシアがクリミア半島を併合
2014年4月 (ドネツク州で親ロシア派勢力が「ドネツク人民共和国」の建国を宣言)
2014年5月 (ルガンスク州で親ロシア派勢力が「ルガンスク人民共和国」の独立を宣言)  
2022年2月 ロシアがウクライナに再び侵攻、戦争が始まり今日に至る

*ロシアによるウクライナ4州の併合宣言
2022年9月30日、ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部・南部4州(ドネツク州、ルガンスク州、ザポリージャ州、ヘルソン州)の併合宣言を行う。勿論国際社会はこれを認めていない。
(この併合はロシア連邦議会によって承認され、プーチン大統領は10月5日、これら4州をロシア連邦に編入するための条約の批准法案と国内法改正案に署名し、ロシア連邦としての法的手続きを完了させた。)

[ロシアとウクライナの関係(歴史)]

(ロシア)

キエフ大公国(ルーシ)(882-1240)
・バルト海方面から南下したルーシが、先住民の東スラブ人に同化して成立した国家。
・場所は現在のベラルーシ、ロシア、ウクライナの辺り。
・首都はキエフ。
・ベラルーシ、ロシアはこのルーシという名前に由来する。
(ルーシというのはスウェーデンからロシアに移住したノルマン人と考えられ、彼らが先住民のスラブ人と混血し現在のロシア人となったと考えられている。)
・この時代に民族はロシア人(大ロシア人)、ウクライナ人(小ロシア人)、ベラルーシ人(白ロシア人)に分化したとされている。
・1240年モンゴル帝国によりキエフ公国は崩壊

15世紀~モスクワ大公国(首都はモスクワとなる)
1721年 ロシア帝国に国名を改称(首都をサンクトペテルブルクに移す)
1917年 ロシア共和国成立(ロシア革命)
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦成立(首都をモスクワに戻す)
1955年(ワルシャワ条約機構を結成)(*米国は1949年に北大西洋条約機構を結成)
1991年 ソビエト連邦崩壊、ロシア連邦となる

(ウクライナ)

9世紀~キエフ大公国
14世紀~リトアニア大公国の支配下となる
16世紀~ポーランド王国に統合される(リトアニア=ポーランド王国を経てポーランド王国となる)
18世紀~ロシア領となる
1917年 ロシア革命によりウクライナ中央ラーダが成立(ラーダはウクライナ語で会議・議会を意味し、ロシア語のソビエトに相当する)
1918年 ウクライナ人民共和国として独立を宣言する(しかしロシアのボルシェビキ政権やポーランドの介入などで混乱)
1919年 ウクライナ社会主義ソビエト共和国が設立される(内戦で赤軍が勝利する)
1922年 ソビエト連邦に加盟(しかしウクライナの歴史はソ連の歴史として同一視されてしまい、例えばチェルノブイリ原発事故などはソ連=ロシアでの出来事のように受け止められてしまうことになる)
1937年 国名をウクライナ・ソビエト社会主義共和国に改める
1991年 ソ連の崩壊によりウクライナ共和国として独立(首都はキエフ)

(クリミア半島)

1792年 ロシア帝国がオスマントルコ帝国との戦争に勝利し自国に編入
(ロシアとオスマントルコとの間では、17世紀後半から19世紀後半までの200年間に大小の戦争が12回に渡って行われている。)
1853-56年 クリミア戦争(ロシアの南下政策でオスマン帝国に宣戦したが、イギリスとフランス及びサルディーニャ(現在のイタリア)がオスマン帝国を支援して列強間の戦争となった。ロシアが敗北し、パリ条約で講和、オスマン帝国の領土は保全され、ロシアのバルカン方面での南下は一旦抑えられた。)
1954年 ソ連がクリミア半島をウクライナ社会主義共和国に編入(ウクライナ併合300年を記念して行われたもの)
1991年 ソ連の解体により、ロシアはクリミア半島の領有を主張したがウクライナは承知せず、結局ロシアはウクライナの核保有を認めない代わりにクリミア半島領有を認めた。これによりロシアはヤルタの保養地もセヴァストーポリも失うことになり、黒海への出口をふさがれる格好となった。
2014年 ロシアがクリミア半島のロシアへの併合を宣言。ウクライナ領であったクリミア半島内にはクリミア自治共和国とセヴァストーポリ特別市があったが、ロシアとこの2地域の自治政府の3者が条約を締結して併合が承認されたとしている。ウクライナは当然これを認めていない。

[ロシアがウクライナに侵攻した理由」

メディアではいくつかの理由が挙げられているが、共通しているのは「NATOの東方拡大」ということ。ソ連の崩壊後、NATOへの加盟国が相次いで増えており、ロシアがこれに対して危機感を持ったことが最大の理由と言える。中でも東欧諸国の加盟はロシアにとっての脅威であり、ここにきて、同じルーツを持ち国境を接しているウクライナがNATOへの加盟を希望しているということで、我慢の限界に達したものと思われる。

NATOは1949年に旧ソ連(ロシア)など東側諸国に対抗するために結成した軍事同盟で、防衛を最大の目的とし、加盟国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなして集団的自衛権を行使すると規定している。(東側諸国もこれに対抗して1955年にワルシャワ条約機構を結成したが、冷戦終結を受けて1991年に解体された。)

ロシアがNATOの東方拡大を恐れるのは、これ迄幾度となく西欧からの侵攻を受けてきた歴史があるからで、安全保障の観点から東欧諸国を緩衝地帯だと考える意識が強かったようである。
NATOの加盟国は結成当初は12カ国だったが、ウクライナ侵攻当時には30カ国に達しており(現在は31カ国)、数が増えることは勿論脅威だが、それ以上に悩ましいのはこれ迄緩衝地帯だったはずの東欧諸国が逆にNATOに加盟したことである。(ワルシャワ条約機構の加盟国だったが、今度はNATOに加盟した国は、ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア)

プーチン大統領は2021年の記者会見で、1990年の東西ドイツが統一する際、アメリカのベイカー国務長官がゴルバチョフ書記長に「NATOは1インチも拡大しない」と約束したとし、「我々は騙された」と述べているが、この約束と言うのは口頭でのことで文章は残っていないので真偽のほどは分からない。

ウクライナへの侵攻理由としては、次のようなことも言われているが、やはりゼレンスキー政権の誕生に伴うウクライナのNATO加盟への危惧が引き金になったことは間違いないと思われる。

・同じルーツを持つ国としての思い入れ(ロシアとウクライナは同じ民族との考え)
(これについてプーチン大統領は侵攻開始前に「ウクライナは歴史、文化、精神的に譲渡できない不可分の一部だ」と述べている。)
・プーチン大統領はいまだに旧ソビエト時代の意識から脱却出来ないでいる
(ロシア的なものへのアイデンティティーを求める心情。スラブ文明圏の再興への夢想。)
・ウクライナ東部のロシア系住民の期待に応える
(プーチン大統領はウクライナへの攻撃宣言の際に「ロシア、そして国民を守るには他に方法がなかった」と述べているが、これは侵攻を正当化するためのものと理解されている。)

(所感)

今回の侵攻についてロシア側の立場から振り返ってみると、その心情については分からないこともないような気もする。当方プーチン政権のような権威主義は嫌いだし、勿論今回のような強権的な侵攻は否定されるべきものだが、下記考えさせられた。

・ロシアが過去幾度となく西欧から攻め込まれた歴史を考えると、NATOの拡大に脅威を覚えるのは無理からぬこと。米国からの「NATOは1インチも拡大しない」との発言の真偽はともかくとして、侵攻前の米露外相会談でNATOの東方拡大はしないようにとのロシアの要望を米国は拒否したとの報道もあったが、ロシアは西欧諸国に対してかなりの不信感を持っていたのだろう。(これ以前にもNATOの加盟国が増えないようにと、加盟希望国に対して種々働きかけはしていたようだが、全く理解を得られないでいる。)
ロシア自身も昔から覇権主義の体質があり、他国を攻め込んだことは何回もあるので、このような国は自国の立場は分かっても、相手の立場を理解することは難しいようである。(所謂独善的思考に陥ってしまう。例えば今日の中国も然り。)

・クリミア半島はソ連時代にロシアがウクライナに編入したもので、その時はまさか今のように対立的立場になるとは思っていなかっただろうから、返せという気持ちも分からなくはない。(あくまでも気持ちの話。法的には無理がある。)

・ウクライナにもロシア系或いは親ロシアの住民はおり、この人たちの意思はどのように考えたらよいのだろうか。(統計ではウクライナに住むロシア系住民の割合は約2割、西部や中部の諸州では10%以下だが、東部と南部では10~50%で、中でもドンバス地方(ドネツク州、ルガンスク州)では約4割を占め、クリミア(自治)共和国では7割に及ぶ。)

*住民による分離独立運動は世界各地で見られるが、大半はその国の政府により押さえつけられてしまっている。これはどのように考えたらよいのか非常に難しい問題である。


(参考)

「NHK国際ニュースナビ 世界がわかるQ&A」
(【詳しく】ロシアはなぜウクライナに侵攻したのか?背景は?)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/06/02/22500.html

「朝日新聞デジタル」
(【そもそも解説】ロシアはなぜ侵攻したのか? ウクライナ危機の背景)
https://digital.asahi.com/articles/ASQ3Q7XHRQ3LUHBI03X.html

「世界史の窓」(ロシア)
https://www.y-history.net/appendix/wh0602-052.html

「世界史の窓」(ウクライナ)
https://www.y-history.net/appendix/wh1501-119.html

 


パレスチナ問題

2023-10-14 13:21:32 | 話の種

パレスチナ問題

10月7日にパレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスがイスラエルに対し大規模攻撃を行い、イスラエルもこれに対しガザ地区に空爆を行い、双方に多数の死傷者を出しながらも全く終息の見通しが立たないでいる。
今回のハマスの行為は勿論非難されるべきものだが、イスラエル側にこれ迄非がなかったかと言えばそうとも言えないところにこの問題の複雑さがある。(これ迄の欧米諸国の(アラブ諸国もだが)対応にも問題があったと言える。)

イスラエルとパレスチナ(及びアラブ諸国)はこれ迄幾度となく対立の歴史を繰り返しているが、それは何故なのだろうか。

パレスチナの歴史を簡単に振り返ると次のようになる。

パレスチナ地域はかつてオスマントルコ帝国が支配していたが、第1次世界大戦(1914-1918)後イギリスの委任統治領となり(1923-1948)、第2次世界大戦後の国連総会のパレスチナ分割決議(1947)により、この地域をユダヤ人とアラブ人の住む2つの国に分割することになった。(エルサレムは国際管理下に置く)
1948年5月14日にイスラエルは建国宣言を行ったが、パレスチナ側(アラブ諸国連盟)はこの分割に反発し翌日第1次中東戦争が始まり、その後も戦争の繰り返しとなってしまう。
(パレスチナというのは地域の名称。このパレスチナに住んでいるアラブ人をパレスチナ人と称している。)

*第1次中東戦争
パレスチナ側がこの分割に反発したのは、当時パレスチナの人口の2/3がアラブ人でユダヤ人は1/3に過ぎなかったが、パレスチナの土地の半分以上がユダヤ人に分割されることになったため。
この戦争はイスラエルの勝利に終わり、多くのアラブ人が土地を追い出されて難民となった。(パレスチナ難民 )

*第3次中東戦争
1964年にパレスチナ難民の中からパレスチナ解放機構(PLO)が結成されたが、これを警戒したイスラエルは1967年に自ら戦争を仕掛け、休戦ラインを越えて、国際法上認められていない地域まで占領した。(シナイ半島・ヨルダン川西岸・ガザ地区など)
(また、国際法に反するイスラエルの入植地活動も、これ以降加速する。)

*オスロ合意
1993年アメリカとノルウェーの仲介でパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)が成立、翌年パレスチナ暫定自治行政府(実体はPLO)が設立され、ヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ人による暫定自治(先行自治)が始まる。

*対立の再燃
2000年にイスラエルの右派のシャロン党首(翌年に首相となる)がエルサレムの「岩のドーム」(イスラム教の聖地)に立ち入り、これを見たイスラム教徒が暴徒化、これをきっかけにイスラエルの街中では爆弾テロが起こり、これに対しイスラエルはパレスチナの過激派の拠点の空爆を行い、対立が激化する。(シャロン政権はヨルダン川西岸地域に分離壁を作り、高さは最も高いところで8メートル、全長は700キロ以上にもなる。)
その後、パレスチナ側では過激派のハマスが台頭し、ヨルダン川西岸は穏健派のファタハが統治を続けているものの、ガザ地区は2006年の総選挙で第一党となったハマスが2007年より支配するようになり、パレスチナは分裂状態になった。
(イスラエルはガザ地区にも壁やフェンスを張り巡らしているので、この地区は非常に人口密度が高い上に、人や物の厳しい封鎖が続いていることから「天井のない監獄」と呼ばれている。)
ハマスはイスラエルの存在を認めておらず(一部のアラブ諸国にもその傾向はあるが)、その後幾度となくハマスとイスラエルの砲撃と空爆の応酬が続いており今日に至っている。
(欧米諸国もこれ迄、違法なイスラエルの入植活動に強い態度で出ることはなく既成事実化してしまっている。)

では何故このような対立が幾度となく続いているのかということだが、そのきっかけはイスラエルの建国にあると言える。

2000年程前、パレスチナにはユダヤ人の王国があったがローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人はパレスチナを追い出され世界中に散り散りになり、永住の地がなくなってしまった。(ディアスポラ)
一方その後パレスチナの地には、変遷はあるもののアラブ人(パレスチナ人)が住み続けることになった。
散り散りになったユダヤ人だが、ヨーロッパではキリスト教が広まるとともに、イエス・キリストを処刑した者たちということで差別や迫害の対象となり、職業面でも普通の人がなかなか就かないような仕事に就かざるを得なかったが、その中でも金融業では、その需要が高まるにつれ富を蓄えるようになり、また教育にも力を入れたので、次第に知識階級の間でも影響力を持つようになった。
そして、ユダヤ人の間では、かつて自分たちの王国があったパレスチナに永住、安住の地を作ることが悲願となり(シオニズム)、第1次世界大戦時のイギリスの約束や(三枚舌外交だったが)、ナチス・ドイツによるホロコーストへの同情などもあったことより、第2次世界大戦後これが国連総会の決議で認められることになったもの。

*(悪名高い)イギリスの三枚舌外交
1915年 アラブ人に独立国家を約束(フセイン・マクマホン協定)
   (これはアラブ地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すため)
1916年 フランスと中東を分割支配(サイクス・ピコ協定)
   (これにより結局オスマン帝国の領土は英仏で2分割することになる)
1917年 ユダヤ人に国家建設を支持(バルフォア宣言)
   (ユダヤ系の財閥、ロスチャイルドから資金援助を引き出すため)

*(サイクス・ピコ協定を加えずに二枚舌外交ということもある)

以上がイスラエル建国に至った理由だが、一方パレスチナ側からしたら、なんでこれ迄自分たちが住んでいた土地にイスラエルなどという国が作られるのだということになる。(しかも不平等な割合で)
過去ユダヤ人を差別、迫害してきたのはキリスト教徒であるヨーロッパ人で、何故今になって自分たちがその尻拭いをしなければならないのかということ。
ましてや、第1次中東戦争でイスラエルにより自分たちは未だに国も持てない難民となってしまい、これではたまったものではない。
もとを正せば、紛争の原因はイスラエルの建国にあり、国連総会の決議も欧米諸国の主導でなされたもので、自分たちの都合で勝手にパレスチナにイスラエルという国を作ったことにあるということになる。

これらを見てくると、アラブ諸国がこれ迄しばしば欧米諸国に反発してきたのも、単に宗教上の問題だけではなく根深いものがあり、この問題の解決は容易ではないと考えられる。
(今回の紛争で米英仏独伊の欧米5カ国がいち早く揃ってイスラエル支援を打ち出したのも問題の残るところと思われる。)


(参考)

「NHK みんなでプラス/クロ現 取材ノート」
(パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ)
 https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic015.html

「世界史の窓」(中東問題/パレスチナ問題)
 https://www.y-history.net/appendix/wh1601-143.html

 


朝鮮半島の歴史(略史)

2023-09-29 15:02:49 | 話の種

朝鮮半島の歴史(略史)

古朝鮮(紀元前)
「檀君朝鮮」(神話と思われる)
「箕子朝鮮」(中国の殷の箕子が建国したとされている)
「衛氏朝鮮」(中国の燕から亡命した衛満が建国したとされる)

三国時代(4世紀中~676)(この時代は、中国は三国時代~隋・唐の時代)
「高句麗」(BC37建国とされている、~668、新羅に滅ぼされる)
「百済」
「新羅」
(「任那」)

二国並立(*この時代の中国は唐の時代)
「統一新羅」(676~935)(高句麗の南半分も領有し、ほぼ初めての統一政権となる)
「渤海」(698~926)(高句麗の滅亡後建国した高句麗流民中心の国家)

後三国時代
「新羅」(676~935)
「後百済」(892~936)
「後高句麗」(894~918)→「高麗」

918~1392 「高麗」
918 後高句麗の豪族の王健が王位を簒奪し、高麗を建国する
933 後唐の冊封を受ける
935 新羅の敬順王が高麗に国を譲渡し、新羅は滅亡する
936 後百済を滅ぼし、朝鮮半島統一

1392~1897 「李氏朝鮮」
1392 李成桂が元の武官を経て高麗の武官となり、高麗の恭譲王から王位を簒奪し高麗王に即位、李氏王朝を創設。明の皇帝と相談し新たな国号を「朝鮮」とし、漢陽(現ソウル)を都に制定する

1897~1910 「大韓帝国」(日本の保護国の時期 1905~1910)
1897 日清戦争後の日本と清との間の下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、国号を朝鮮国から大韓帝国とする
1905 第二次日韓条約により、日本は韓国政府の外交権を剥奪する
1906 日本が韓国総督府を設置、韓国政府の権力を無力化する

1910~1945 日本統治時代
1910 日韓併合条約を結び、大日本帝国に併合される

1945~1948 連合軍管轄期
1945.08  第二次世界大戦終結、朝鮮半島の日本統治が終わり、連合軍の管轄となる。(北緯38度線以北をソ連が、同以南を米国が管轄する)
1948.08  米ソ両国が、南北にそれぞれ自国寄りの政権を立てる。南側で「大韓民国」(8/13)(大統領は李承晩)、北側で「朝鮮民主主義人民共和国」(9/9)(朝鮮労働党中央委員長は金日成)樹立宣言。    

1950~1953 朝鮮戦争
1950.06 北側の朝鮮人民軍が38度線を越えて南進、米軍で構成された国連軍・中国共産党義勇軍の双方が戦闘に参加。
1953.07 板門店で休戦協定調印
(休戦協定は国連軍を代表する米国と北朝鮮、中国の三者が結び、韓国の李承晩大統領は休戦を拒んで署名しなかった。しかし、韓国軍だけで中国や北朝鮮との戦闘を継続することはできないので、結局、李承晩は休戦協定に調印はしないが、協定を尊重・順守するという姿勢を取った。その代わり、李承晩は韓国の安全を保証してもらうため、米韓相互防衛条約の締結と、その証しとして米陸軍の2個師団を韓国に駐留させることに成功。)


(参考)

冊封体制:
中国が周辺諸国と形式上の君臣関係を結ぶ体制で、簡単に言うと、中国が「親分」で、周りの国々を「子分」とみなす関係。「子分」の国々は中国の皇帝に対し、貢物を持って挨拶しにやってきて(朝貢)、その見返りとして、中国は朝貢にやってきた国のリーダーに対し官爵を与え、その統治を承認した。(朝鮮の他に、日本(倭国)、琉球、チベット、東南アジア諸国など多くの国がこの関係にあった)


(おまけ)1

[李丙勳(イ・ビョンフン)監督の朝鮮時代劇に出てくる朝鮮王朝(李氏朝鮮)の王とドラマの主人公との関係]
(王自体は実在人物だがドラマの内容及び登場人物の設定はフィクションが入っており、チャングム、トンイは実在の人物をモデルとしているがオクニョは全く架空の人物。)

「チャングムの誓い」
11代王 中宗(チュンジョン)(在位1506~1544)(第9代成宗の二男)
(チャングムが仕えた王)

「オクニョ」
13代王 明宗(ミョンジョン)(在位1545~1567)(第11代中宗の二男)
(オクニョを愛したがオクニョとは異母兄妹だったという設定)

「トンイ」
19代王 粛宗(スクチョン)(在位1674~1720)(第18代顕宗の息子)
(トンイを愛した王)
21代王 英祖(ヨンジョ)(在位1724~1770)(第19代粛宗とトンイの間にできた息子)

「イ・サン」
22代王 正祖(チョンジョ)(在位1776~1800)(第21代英祖の孫であり思悼世子の息子)
(イ・サンの主人公)

 

(おまけ)2

[朝鮮王朝の三大悪女(実在人物)]

張緑水(チャン・ノクス)
10代王・燕山君(ヨンサングン)(在位1494~1506)(朝鮮王朝最悪の暴君)の側室
*(国家の財政を破綻寸前にさせるほど贅沢三昧に暮らしたが、燕山君の廃位の後に斬首)

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)
11代王・中宗(チュンジョン)の3番目の王妃で13代王・明宗の生母の文定(ムンジョン)王后(これも悪女)の弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)(これも悪人)の2番目の妻
*(文定王后は12代王・仁宗(インジョン)(在位1544~1545)(2番目の王妃の長男)を毒殺したと言われており、その手先となったのが鄭蘭貞で後に自殺)

張禧嬪(チャン・ヒビン)
19代王 粛宗(スクチョン)の2番目の王妃で20代王・景宗(在位1720~1724)の生母
*(最初の王妃・仁顕王后(イニョンワンフ)を王宮から追い出したが、後に降格・死罪)

 

 


「国家」(成立要件と現況)

2023-09-24 14:02:05 | 話の種

「国家」(成立要件と現況)

(成立要件)

「台湾は中国の領土だった?」のところでも触れたが、一般的に国家の成立要件の3要素は「領域」「国民」「主権」と言われている。(ドイツの法学者イェリネックが提唱)

「領域」:領土、領海、領空が明確にあること。
「国民」:国家を構成する人々が存在すること。
「主権」:国家が持つ最高の権力(=統治権)のことで、対外的には他国からの干渉や制約を受けず、独自の意思決定を行う権利(=独立)のことで、対内的には国土や国民など国家を治める権利のこと。(主権をもつ者(国家を支配する者)を主権者といい、主権をもつ国を主権国家という。)

*主権に含まれる対外能力(外交能力)を「政府」として別途記載し、4要件とすることもある(モンテビデオ条約)。

*以前は「国家承認」(既存の他国からの承認)も要件に含まれるとされていたこともあったが、今は含まれないとされているようである。

(現況)

〇「世界の国家の数」:196ケ国
(日本が承認している195ケ国に日本を加えた数)(2023.3.20現在)

〇「国連の加盟国数」:193ケ国
(日本が承認している195ケ国に日本・北朝鮮を加え、未加盟国を引いたもの)

〇「国連の未加盟国」:4ケ国
(バチカン、コソボ、クック諸島、ニウエ)

(参考)

〇「日本が承認していない国」(8ケ国)

[何らかの外交関係を有する国]
・台湾(中華民国)
・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)(国連加盟国で日本が唯一の未承認国)
・パレスチナ自治政府(パレスチナ国)

[外交関係を一切有しない国]
・サハラ・アラブ民主共和国(西サハラ、モロッコが実効支配している)(国連加盟国のうち45ケ国が承認)
・北キプロス・トルコ共和国(キプロス北部のトルコ系実行支配地域)(国連加盟国のうちトルコのみ承認)
・アブハジア共和国(ジョージア国アブハジア地域)(国連加盟国のうち4ケ国が承認)
・南オセチア共和国(ジョージア国南オセチア地域)(国連加盟国のうち4ケ国が承認)

[外交関係を一切有しない主権実体]
・マルタ騎士団(1522年マルタ島を領土とする。1798年領土失墜。)

(注)イスラエル(国家承認はしているが、エルサレムが首都であることは承認していない)


(参考)

〇「ロシアによるグルジア紛争とウクライナ戦争」

2008年のグルジア(ジョージア)紛争で、ロシアはアブハジア(アブハジア自治共和国)と南オセチア(南オセチア自治共和国)の独立を一方的に承認した。(今でもロシア軍が駐留している)

ウクライナのドネツク州(ドネツク人民共和国)、ルハンシク州(ルハンシク人民共和国)は2014年に一方的に独立宣言を行い、ウクライナ政府との間で内戦になっていたが、ロシアは2022年のウクライナ侵攻の直前(2日前)に独立を承認。更にウクライナのザポリージャ州、ヘルソン州も併合し、4州の併合、独立を一方的に宣言、承認している。
もちろん国際社会の大多数の国はこれを認めていない。

(ロシアがクリミア半島を併合した翌月の2014年4月7日、ドネツク州で政府の建物を占拠した親ロシア派勢力が「ドネツク人民共和国」の建国を宣言。同年5月11日には、ルガンスク州でも親ロシア派勢力が「ルガンスク人民共和国」の独立を宣言した。)
(2つの「人民共和国」があるドンバス地域は、ドネツ炭田の周辺に広がるウクライナ屈指の重工業地帯。旧ソ連時代に多くの労働者が移住してきた関係で、ウクライナでも特にロシア系の住民が多い。)

*アブハジア共和国と南オセチア共和国を承認しているのはロシア、ニカラグア、ベネズエラ、ナウルの4カ国
*ドネツク人民共和国とルハンシク人民共和国を承認しているのはロシア、シリア、北朝鮮の3ケ国

〇「沿ドニエストル共和国」

モルドバ共和国の東部の沿ドニエストル地域は(沿ドニエストル共和国)は親ロシア派勢力の支配地域で、1990年代前半にモルドバと内戦状態になり、ロシア軍の支援を受けて「独立」を宣言し、モルドバ共和国から離れた。ロシア人、ウクライナ人、モルドバ人の3民族が共存している。
一方的に独立を宣言したものの、国際的な国家承認は受けていない。

〇その他

・ソマリランド(ソマリランド共和国)
(ソマリア北西部の旧英領ソマリランド地域、ソマリアから分離、独立宣言したものの国家承認した国はなし)

・ナゴルノ・カラバフ紛争(アゼルバイジャン)
(アルメニア共和国とアゼルバイジャン共和国のナゴルノ・カラバフ自治州を巡る争い。この戦争でナゴルノ・カラバフの大部分に加え、周辺のアゼルバイジャン領土もアルメニアに占領されたが、2020年の第二次戦争の停戦協定により占領地域の3分の2がアゼルバイジャンに返還され、残りの3分の1はアルメニア(アルツァフ共和国)により占領されている。)
*(アルメニアはロシア、アゼルバイジャンはトルコと同盟関係にある)

(追記)*「ナゴルノ停戦合意 アゼルバイジャン「勝利」」(朝日新聞2023.09.21)

「アゼルバイジャン領ナゴルノ・カラバフのアルメニア系住民の実効支配地域をアゼルバイジャンが攻撃した問題で、アゼルバイジャン国防省と現地のアルメニア系住民組織は20日、現地時間同日午後1時に戦闘を停止することで合意した。
アルメニア側は停戦条件の武装解除を受け入れており、30年以上続いた紛争は、(僅か1日で)アゼルバイジャンの「勝利」で決着に向かうことになった。」

 


台湾は中国の領土だった?

2023-09-24 13:41:36 | 話の種

台湾は中国の領土だった?

先日テレビのワイドショーでデーブ・スペクター氏が「台湾が中国(中華人民共和国)の領土だったことはなく統一というのはおかしい」と言っていた。

確かに台湾を領土としていたのは清朝及びそれに続く中華民国であり、中華人民共和国が台湾を領土としたことは一度もない。従って台湾を自分たちのものと言うのは語弊がある。
(統一という言葉は使ってもよいと思うが。)

まず台湾の歴史だが、簡単に表記すると次のようになる。

~1624   原住民の社会 
1624~1661 オランダの支配(一部の地域はスペインの支配)
1661~1683 鄭成功の支配(明の武将だった鄭成功がオランダを退ける)
1683~1895 清の支配(清が鄭成功を降伏させる)
1894~1895 日清戦争
1895~1945 日本の植民地(日本が清に勝利し下関条約により台湾は日本に割譲される)
1945.10.25 日本の敗戦により台湾は中華民国に返還される(中華民国台湾省となる)
1945~   中華民国の統治(1945~1949は国共内戦)

1945 中華民国は国連の安全保障理事会の常任理事国に名を連ねる
1971 国連総会での決議により中華民国は国連の「中国」の代表権を失う(国連を脱退する)
1975 蒋介石死去
1988 李登輝政権(初めての本省人による総統)が誕生し大胆な民主化が推進される
1990 初めての直接選挙による総統選挙で李登輝が再任される
2000 李登輝退任後の選挙で民進党の陳水扁が当選し、台湾で初めて国民党以外の政党が政権につく

*(李登輝は中国共産党との内戦状態に終結宣言を行い、共産党が大陸を支配するのを容認し、大陸と台湾という「2つの中国」の並立を認めた。) 

一方中国は清朝以降の歴史は次のようになる。

1616~  清(清国)
1911.10 辛亥革命(孫文が指導する)
1912.01 孫文により中華民国が建国される(首都は南京、孫文は臨時大統領となる)
1912.02 宣統帝が退位し清朝が滅亡する
1912.03 孫文はその地位を袁世凱に譲る(袁世凱はその後独裁政治を行う)
1916.06 袁世凱病死、その後中国は軍閥が割拠し分裂状態となる
1919.10 孫文により中国国民党が作られる
1921.07 中国共産党結党(当時の名前はコミンテルン(国際共産主義組織)中国支部、党員57名、結党大会参加者13名、毛沢東も参加)
1924.01 第一次国共合作
1925.03 孫文死去、蒋介石が広州国民政府の国民革命軍の総司令官となる
1927.04 蒋介石が共産党勢力を排除し南京に国民政府を樹立
1927.07 第一次国共分裂
1928.06 蒋介石が北伐を完了し全国を統一
1931.09 満州事変起る(柳条溝事件)
1931.11 中国共産党が瑞金に中華ソビエト共和国臨時政府樹立(主席は毛沢東)(1934.10事実上消滅)
1932.01 上海事件起る
1932.03 日本による満州国建国宣言
1937.07 日中戦争起る(盧溝橋事件)
1937.09 第二次国共合作
1945.08 第二次世界大戦終戦
1945.10 第二次国共内戦(本格的には1946.06~)
1946.10 蒋介石が国民政府の首席となる
1949.10 中華人民共和国樹立(首都は北京、中国共産党の毛沢東が首席)
1949.12 内戦に敗れ蒋介石の国民政府は台湾に移る(中華民国はそのまま存続、大陸の領土は中国共産党に占拠されているが、あくまでも中華民国のものという考え)

ここで問題となるのは国家とは何かということ。

一般的に国家の成立要件の3要素は「領域」「国民」「主権」と言われている。(ドイツの法学者イェリネックが提唱)

「領域」:領土、領海、領空が明確にあること。
「国民」:国家を構成する人々が存在すること。
「主権」:国家が持つ最高の権力(=統治権)のことで、対外的には他国からの干渉や制約を受けず、独自の意思決定を行う権利(=独立)のことで、対内的には国土や国民など国家を治める権利のこと。(主権をもつ者(国家を支配する者)を主権者といい、主権をもつ国を主権国家という。)

*主権に含まれる対外能力(外交能力)を「政府」として別途記載し、4要件とすることもある(モンテビデオ条約)。

*以前は「国家承認」(既存の他国からの承認)も要件に含まれるとされていたこともあったが、今は含まれないとされているようである。

中華民国(台湾)は国家としての要件を十分に満たしているが、現在(2023年3月現在)台湾との国交締結国(「中華民国」承認国)は13カ国しかない。
*(日本は1972年に中華人民共和国を承認し国交を樹立、同時に台湾を非承認国としている。ちなみに米国は1972年に中国との間で事実上の相互承認をしているが、最終的には1979年に国交正常化を行っている。)
*(現在、中華民国(台湾)を承認している主な国は、ツバル、マーシャル諸島、パラオ、ナウル、バチカン、グアテマラ、ハイチ、パラグアイ、ベリーズなど)

つまり、「国家承認」は国家としての要件ではないとしても、やはり国際社会で認められるための重要な要素であることは間違いない。
これが理屈では割り切れない、力関係がものをいう国際政治の難しいところだろう。

話を元に戻すと、ともかく中国(中華人民共和国)が台湾を自国の領土だというのは、その歴史を見れば全く理不尽なものと言わざるを得ない。(今の中国というのはそのような国であることは確かだが。)

*ついでに言うならば、中国(中華人民共和国)は9月3日を「抗日戦争勝利記念日」として記念行事を行っているが、日本に勝ったのは米国であり、一歩譲って中国も連合国の一員だったからとしても、この時の中国は蒋介石の国民党政府で、中華人民共和国が成立したのは戦後のことでこの時はまだ存在しておらず、全く事実と相容れないものである。(毛沢東の中国共産党は存在しており日本と戦っていたと言いたいのだろうが。)

中国は日本に対して事あるごとに歴史を忘れるな、直視せよというが、歴史を直視する必要があるのはどちらだろうか。

 

 


「草枕」の冒頭文について(人間関係)

2023-09-18 16:02:46 | 話の種

「草枕」の冒頭文について(人間関係)

夏目漱石の「草枕」の冒頭文に次のような言葉がある。

■山路を登りながら、こう考えた。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

この言葉の意味について、参考までにネットで見つけたものをいくつか記しておく。
(どれも同じようなことだが)

〇「理性ばかりでは他人と衝突し、情に流されれば足元をすくわれる。意地を通しても窮屈で、全く人の世の中というのは住みにくいものだ」

〇理知・理屈で割り切った行動ばかりしていると世間と摩擦が生じる。
個人的な感情を優先させれば、それに引きずられて事態を悪化させる。
また意志を強く持ってそれに固執すれば、窮屈な生き方を強いられる。
人間社会に生きてゆくことは容易ではない。
(「知・情・意」のいずれに力点を置いても問題が生じるということ。)

〇世間の人とつきあうときには、
頭のいいところが見えすぎると嫌われる。
あまりにも情が深いとそれに流されてしまう。
また自分の意見を強く押し出すと、衝突することも多く世間を狭くする。
人づきあいというのはなかなか困難なことだ。
(人づきあいの難しさを説いたもので、智と情と意地のバランスを上手にとらなければならないということ。)


なぜこれを取り上げたかと言うと、私も現役のサラリーマン時代にこのことは身に染みて感じていたことで、漱石は社会で生きていくことの難しさを適格・簡潔に表現しており、流石に頭のいい人だとつくづく思ったから。

社会生活に於ける人間関係の難しさというのは時代を超えての永遠のテーマといえる。
というのも人それぞれ価値観、感受性が違うからで、この違いは遺伝子の他に、性格や特性などの個人差、経験の差、環境の違い、時代背景など様々な要因が組み合わさって形成、もたらされるものであるから。
つまり、違いがあるのは当然かつ必然的なことで、そうである以上このような摩擦・衝突は必ず起こり得ると言える。(どちらが良い/悪い、正しい/正しくないという問題ではなく。)

では、どうしたらよいのかということになるが、仙人のように山奥で一人で暮らすことが出来ない以上、このような摩擦や衝突を軽減させることを考えるしか方法はないことになる。
(避けることができればそれに越したことはないが、社会生活を営む以上それは難しいことなので。)

これについてのChatGPTの回答は次の通り。
(ごく普通の一般的な回答だが、ChatGPTは「人間関係の難しさに対する一般的な解決策をいくつか提案します」と述べており、この分野は彼ら(ChatGPT)の得意とする領域ではなく、これは人間の思考とは異なるAIの手法の限界かも知れない。)

User
夏目漱石の小説、草枕の冒頭文に、人間関係の難しさについて書かれていますが、それぞれについて解決策を教えてください。

ChatGPT(回答の説明部分は省略)
・コミュニケーションの重要性
・共感と思いやり
・適切な境界の設定
・対話と妥協
・自己成長と理解
・時間と忍耐

この中で特に必要なこととしているのは、自分の意見や価値観を守りながら、相手の立場や気持ちを理解しようとする姿勢で、また適当な距離感を持って客観視することや、時には妥協も必要だということ。

*ここで、私の体験を踏まえた(ある意味自戒の念を込めた)冒頭文の解釈(注釈)を幾つか付け加えておく。

智に働けば角が立つ:
物事を理屈だけで押し通そうとすると、相手から「何を偉そうに」と思われる。
また会話の中で、独演会のごとく一人で喋り続ける人がいるが、こちらに興味のないことをいくら物知り顔で話されても疲れるだけ、迷惑なだけである。

情に棹させば流される:
人情は大切だが、深みにはまると思わぬ痛手を被ることがある。
中には、人の親切心や同情心につけ込む者もいる。
また情を示すことが必ずしも相手の役に立つとは限らない。

意地を通せば窮屈だ:
意地でも自分の意見を通そうとすれば、顰蹙(ひんしゅく)を買い、疎外感を味わうだけ。
あまりに強情だと、あいつには何を言っても無駄だということで見放されてしまい、以後注意・忠告もしてくれなくなり、自身の交友関係や考え方を狭めてしまう。


ところで、当方が定年退職をしてまず最初に何よりも良かったと感じたのは、サラリーマン時代の人間関係のストレスから解放されたということ。
(当方も退職後は好きな旅行三昧で、行先は温泉の他に、清流、湧水、花畑、日本庭園、里山巡りなどで、自然との付き合いが中心となっており、心身ともに癒されている。)
昔隠居と言う言葉があったが(今でもあるが)、社会から離れて静かに暮らす。人付き合いは気心の知れた者だけでいい。このような隠居生活(?)を送れるというのは幸せなことなのだろう。

*本日(2023/9/13)の朝日新聞の天声人語に「人はなぜ、老いるのか」と題して次のような記事があった。

「シェークスピアの『リア王』は老いに悩む人の物語である。「わしは今や、統治の大権も、国土の領有も、政務の繁雑も脱ぎ捨てるつもりだ」。年老いた王はそう引退を宣言し、3人の娘に財産を分け与えようとする▼ところが、思い望んだ安寧な老後生活はかなわない。いつの世も、誰にとっても、老いをいかに生きるかは難題のようだ。」
「そもそも老後は、野生の動物にはない。老いは進化の過程で、生物としてのヒトが手にした特権だという。」
(この後半の部分は東京大学教授で生物学者の小林武彦氏の談話で、同氏の意見は逆に隠居などするなという事だったが。)

 

話を元に戻すと、ともかく私の現役時代は昭和の良き時代と言われるように、高度経済成長期で恵まれていた時代だったとは思うが、それでも人間関係のストレスはあったのだから、今の現役の人たちは競争社会、格差社会、SNS等の同調圧力などの中にあって、さぞかし生き辛い窮屈な思いをしているのではないかと同情の念を禁じ得ない。
(更に言うならば、共働きをしなければ生活できない、年金の減額、支給開始時期の延長などということもあり、老後の隠居生活など考えられない事かも知れない。)

 


日本は男尊女卑の国?(「パンドラの憂鬱」より)

2023-09-18 15:47:36 | 話の種

日本は男尊女卑の国?(「パンドラの憂鬱」より)

投稿サイト「パンドラの憂鬱」に本日次のような記事があった。

〇「各国の女性客室乗務員の待遇が一目で分かる映像が世界的な話題に」

「今回は、投稿から短期間で再生回数が1700万超えと、海外のインターネット上で大きな話題になっている、各国の客室乗務員(CA)さんたちが、飛行機のドアを閉める様子にスポットを当てた動画から。

映像では、ロシア、ウクライナ、マレーシア、アメリカ、タイ、韓国、フィリピン、日本、アラブ首長国連邦、ベトナム、インド、中国の順でドア閉めの様子を紹介。

ほとんどの国では、飛行機の中にいる女性のCAさんたちが、重たいドアを若干大変そうに閉じているのですが、日本の場合は外にいる男性のグラウンドスタッフさんが担当。
またドアが閉まった後には、飛行機の中にいるCAさんが、ドアが間違いなく完全に閉じられているか、入念にダブルチェックする様子も映されています。

各国の違いがハッキリと分かる事から、コメント欄には日本に対する称賛の声が文字通り殺到しています。
その一部をご紹介しますので、ごらんください。」

サイトのURL:
http://pandora11.com/blog-entry-4704.html

(編集者のコメント)

「3500を超えるコメントの半数は、日本に言及していました。
なお、男性が女性の重い荷物を持ったり、男性が車道側を歩くなどの「紳士的行動」が見られるのは、日本だけだと外国人女性たちが話しているのを聞いた事があります。」

(読者のコメント)抜粋

・Japan is the best ……。とても紳士的で素敵 +10 イギリス
・日本は女性に敬意が払われていて素敵 +22 ドバイ在住
・日本は一番女性の事が考えられてる国 +61 
・女性への敬意の面では、日本がベストだ。 +65 イギリス
・安全性の面でも、女性への配慮でも、日本が優勝。 +127

 

日本は「男女平等」の後進国と言われ、「女性差別」とか「女性蔑視」とかの言葉もよく聞くが、このようなことを声高に言っている人たちは、これを見てどう思うのだろうか。
(当方もこれが全てではないことは承知しているが。)