酔月庵 A Side

設計屋系システム屋から見た世界

正しいコミュニケーションはそんなに簡単な事ではない

2004-08-12 23:59:05 | コミュニケーション
 私が考える「ポジティブ・コミュニケーション」というものについて、私の考えを書いてみます。( H-Yamaguchi.net考えること、伝えることを読んだ事も書こうと思ったきっかけの一つです。)
 少し長い上に寄り道の多い文章ですがご容赦ください。

 以前に私の日本のBLOGの可能性というエントリーの中でBLOGを通した創造的コミュニケーションの可能性について書きました。それに対し、週間!木村剛からネガティブ・バトルからポジティブ・コミュニケーションへというエントリーでトラックバックをいただきました。この「ネガティブ・バトルからポジティブ・コミュニケーションへ」という考えかたには全面的に賛同します。この考えかたに賛同している方は、その後の「週間!木村剛」での反応を見る限り、私だけではないはずです。多くの方が、ポジティブ・コミュニケーションという考えかたに賛同しているのに、賛同を表明している方の中からもネガティブバトル的なやり取りが発生しているのを見ると、とても悲しくなります。

 一旦話がそれますが、私の仕事について少し述べてみます。私はシステムエンジニア(以下SE)の仕事をしています。私の仕事はSEの仕事の中でも特にアプリケーションエンジニア(以下AE)という部類に属しており、システムの設計を中心とした仕事をしています。具体的には、システム化の対象とする業務についてお客様と打ち合わせをして、その内容を設計書(仕様書という言い方がこの業界では一般的ですが)を作成します。この設計書を元にして、開発者(プログラマーと言われる開発のプロフェッショナルの方々)がソフトウェアを作成していくわけです。
 AEとしての私の仕事はコミュニケーションが主体です。お客様がやりたい事を正しく設計書に表現できるか、私の意図を正しくプログラマーに伝えられる設計書になっているか、お客様に対する聞き手としての役割と開発者に対する伝え手としての役割の両方の役割を持っています。AEが正しくコミュニケーションが取れないと、ばかげた伝言ゲームのように、お客様の意図するものとはかけ離れたものが出来上がってしまいます。そうならないために、我々AEは、正しく相手の意図を把握する事と正しくこちらの意図を伝える事に対しては、相当の注意を払い相当の労力をかけています。(だから我々の仕事は時間もお金も掛かるのデスヨ)
 「言い換えると、こういう事ですよね?」と、相手が言った事を別の言葉で言い換えたり、「すると、この場合にはこんな結果になりますよね」と例を(極端な例も交えた方がより間違いが無い)挙げて確認をしたり、「その関係を図に書くとこうなりますよね」とホワイトボードに図を書いてみたりと相手の発言を正しく理解するために相当の労力をかけています。そして聞いた内容を元に文章や図を使った設計書を作成して、内容を説明した上で「この内容で宜しいですね?」とお客様の了解を得て、やっと正しく相手の言う事を理解するに至るわけです。これだけの労力をかけないと、誤解というものがあちらこちらに入り込んでしまうのです。
 同様に、伝える局面においても、異なる視点から表現した複数の設計書を作成して、口頭でも説明をして、相手が理解したかどうかを確認する「じゃぁ、こういう場合はどういう結果になる?」と例を挙げて質問をして(説明をした後に相手が「分かりました」と言ったとしても、多くの場合完全に正しくは理解されていない)、やっと正しく伝えられたという状態になります。
 正しいコミュニケーションのために、我々AEはこれだけの労力をかけています。

 さて、そんな私の考えからすると、BLOG等におけるせいぜい数十行の文章から相手の意図を正しく理解する事や、数十行のコメントから相手に意図を伝える事など不可能だと思えるのです。
 我々AEが最も危険視するのは、すぐに「分かった」と言う人です。頭の良い人ほど、その人の知識や経験を元にして先を読み、すぐに「分かった」と言います。確かに80%くらいの割合でそれは正しいのだけれど、20%くらいの割合で正しく理解していない。すぐに「分かった」と言う人は、結論を導き出す際にその人の推測が入ってしまうのです

 わずかの文章から、相手の意図を正しく理解する事はできない。理解したと思ったとしても、それは読み手が書き手の行間を補う「推測」が行われているのです。事実ではなく推測を元にした結論は、必ずしも正しいとは限りません。

 あまりにも長くなったので、エントリーを分けます。