酔月庵 A Side

設計屋系システム屋から見た世界

勘とは何か、システムとは何か

2005-05-16 02:56:53 | 仕事
 R30さんの、【映画評】交渉人 真下正義というエントリーにおいて、「デジタル」対「勘」というようなお話が述べられているのですが、気になった事があったので久しぶりにエントリー。

 仕事をしていて思うのですが、「勘」とは何かを誤解している人が(特に若い人において)少なくない。勘を論理的な指向とは相反する物として捉えている人や、さらには超能力か何かと勘違いしている人がいますが、勘とはそんなものではありません。勘とは、インプットとアウトプットの因果関係を経験の積み重ねによって無意識に見出し、無意識のうちに判断を行う事を言うものです。
 勘というものは、分析していけば何故その結論に至ったかが論理的に説明可能なものです。もし論理的に説明できないならば、それは単なる思い付きでしかありません。 

 そして、システム(私の飯の種である、コンピュータを使った情報システム)とは、この従来は職人の頭の中だけにあった「勘」をロジックとして明文化し、自動化させたものです。
 決して、勘とシステムとは、相反するものでは無いのです。
 
 ただ、厄介なのは、勘で仕事をしている人はその判断を全く無意識に行っているために、本人は何を元にしてどのように判断したのかについて、無自覚である事が多い事です。判断の元にしている情報は、相手の表情、肌で感じた気温や湿度、音の変化、手触り、世間話から仕入れた情報、など様々です。これらの情報が自分の判断の材料になっているという事を、本人達はあまり自覚していません。そのため、(自分では)勘の説明が上手くできない人も多いのです。だから、勘というものは一見非論理的に見えてしまうのです。
 システムを作るという事は、これらの職人の頭の中で無意識に行っている事を、コンピュータを使って再現する事です。その際に、判断に使用している情報に漏れがあれば、システムが出した結論は職人の勘に劣ります。また、システムは一度作られればそのままで、経験を元に成長するという事がありません。状況が変化した時にはシステムも変更しなければなりませんが、どのように変更すべきかを、システムが自動で判断する事はありません。どう変更するかは、設計者(というよりもそれ以前の分析者かな)の腕です。

 ちなみに、本物の職人は、自分の勘を過信する事無く、因果関係を整理したり、論理的な裏づけを得るために勉強して知識を得たりしています(伊達に今の日本の繁栄を支えてきたわけではありません)。このあたりのことは、畑村洋太郎「失敗学のすすめ」にも書いてあります。(読んだ事のある人は多いと思いますが、読んだ事の無い人はご一読をお勧めいたします。)

 そんなの分かっているよ、という人が大半(そうでなきゃおかしい)だとは思いますケドね。