酔月庵 A Side

設計屋系システム屋から見た世界

BLOGを書く上での、私の立ち位置

2004-12-12 14:19:54 | BLOG
 BLOGを書くにあたり、私が考えている事をまず書いてみたいと思います。

 書き手側の都合ではなく読み手側の都合を考えた場合に、BLOGというものはどれだけの価値を読み手に提供できるものでしょうか。簡単に言ってしまえば、読み手が持っていない情報や視点を得る事が、BLOGの読み手にとっての価値なのだろうと思うのです。
 さて、私がBLOGを通じてどれだけ読み手の皆さんが知らない情報や視点を提供できるかと考えてみても、私はそんな希少価値を主張できるものを持ち合わせていません。(あったとしても、それは「守秘義務」に抵触するものであり、BLOGはもちろん日常会話としても話題に上げる事もできません)。では、読み手にとっての希少価値の無い人間が、BLOGを通して何ができるでしょうか。

 そもそも人の視点や考えと言うものは、年齢・性別・職業等が異なれば価値観や利害関係が異なるために、大きく異なってくるものだと思うのです。あるカテゴリーに属する人にとってプラスとなる事は、別のカテゴリーに属する人にとってはマイナスになるかも知れません。(例えば年金など)。利害関係が異なれば、視点と言うものも自ずと違ってくるものです。

 私は平均値的とは言わないまでも、平均値から1標準偏差くらい離れたくらいに平均的な人間ではあります。しかし、それも私が属するほぼ30歳、独身男性、(アプリケーションエンジニア系の)システムエンジニアというカテゴリーにおいてのものです。これらのカテゴリーに属している人にとっては当たり前の感覚であっても、年齢・性別・家族構成・職業等が異なるカテゴリーに属する人達の中では、また違った考えかたや視点が常識的になっている事でしょう。

 私自身、多くのBLOGを拝見するにあたり、自分とは異なるカテゴリーに属する方々が書かれた文章から新しい情報や新しい視点を数多く得ています。同様に、私とは異なるカテゴリーに属する方々にとって、私のなんでもないBLOGが多少なりとも新しい価値を提供できる事になれば、こんなに嬉しい事はありません。

 そんなわけで私は、30代・独身男性・(アプリケーションエンジニア系)システムエンジニア・横浜在住、というカテゴリーに属する者の視点で見た事・考えた事を、このBLOGに書いていきたいと思うのであります。
  

再開

2004-12-10 02:27:19 | BLOG
仕事が忙しくて時間が取れず、BLOGの更新を長い間サボっていましたが、
何だか久しぶりに書きたい気持ちが湧いてきたので、更新を再開してみようかと思います。

これを機会にBLOGの名前を変えてみました。
「淡辛口」

この名前を使うのは、これで3度目です。

プライドとブランドイメージ

2004-11-13 23:59:15 | BLOG
あるサイトの日記の、プライドと自尊心という文章を読んで思った事。

 プライドとブランドイメージは似ているとふと思った。
 プライドの場合、誇りに思っているものは自分自身のブランドイメージ
なのだと思う。
 例えば、「品質が良い」とか「高級である」といったブランドイメージを保つために、
品質に対して絶対に妥協しない、良い製品を作るために手を抜かない、という姿勢は
まさにブランドに対してプライドを持つという事だ。

 一方で、「品質が良い」というブランドイメージがあるにも関わらず、実態は
品質が悪かった場合に、品質が悪いという実態を示す事実を隠そうとするのもまた、
ブランドイメージを守るための行動の一つだ。

 同じブランドイメージを守ろうとする行動であっても、中身を保とうとする行動と、
見た目だけを取繕うための行動では、出来上がったものはまるで違う。品質の向上に
貢献する努力と貢献しない努力という、大きな違いがある。

 プライドというものも、自分自身(もしくは自分が帰属している組織等)に対して
他者と自分自身が持っているイメージを誇りに思い、守ろうとする気持ちなのだと思う。

 あなたが持っている自分自身のイメージと実態は合っていますか?
 そうかけ離れていないのならば、あなたの持っているプライドは、きっとあなたを
より良いものにしてくれるはずだと、私は思います。

殴った方が骨折する事もある(ネット上での他人批判の話)

2004-08-05 04:28:29 | BLOG
 週間!木村剛ジャーナリストなら匿名性に逃げ込まないでほしい!のエントリーで言及されている例などのように、ネットにおける他人批判が問題になるケースが、ここのところいくつか発生しているようです。これらについて簡単に私の考えを述べてみます。

 仮にA氏がB氏の事を批判しているとします。
 匿名であれ、実名であれ、B氏を批判するA氏の文章・発言に説得力が無ければ、良識ある読み手・聞き手ならば、批判対象のB氏ではなく、非難を行っているA氏に対して悪い印象を持つでしょう。
 
 根拠薄弱な他人批判を書いたエントリーに対して、良識ある第三者の冷静なコメントが続くのを見ると、私は少し安心します。
書き手の個人的な感情に扇動されて批判先に対して悪い印象を持つほど、読者は馬鹿ではありません。

 他人批判をするならば、その他人批判によって御自分の評価を自ら貶めるリスクがある事をお忘れなく。良識ある人ならば、いい加減な根拠で批判なんかできないはずだし、批判に説得力を持たせようとするならば、根拠の説明を十分に行うはずだ。そうしなければ、批判しているつもりが自分の恥を晒すだけの結果に終わります。

BLOGで議論をポジティブに進めるために

2004-08-01 21:20:48 | BLOG
 週間!木村剛「悩める母親党」が投げかけたコト:政策論とポジティブ・コミュニケーションというエントリーと、その前後に行われた議論について、思った事を書いてみます。(&、専業主婦の逆襲のニシオさんへのリスペクトを込めて)

 BLOGでの議論には、誤解が入り込む余地が多いのではないかと私は考えます。
 通常の会話であれば、すぐに不明点について確認の質問があり、何度か質問と回答を繰り返す事で、お互いの認識を合わせていきます。
 しかし、ネットなどにおける文字をベースとしたリアルタイムではないコミュニケーションの場合には、内容を相手に確認しながら議論を進める事が難しいため、書き手の意図を誤解する事が多くなるのではないでしょうか。
 特にBLOGの場合、話題の即時性から十分な時間をかけて文章を練っている余裕が無い場合が多く、文章のみから書き手の意図を完全に正しく読み取る事は難しく、誤解が入り込む事も多いのではないかと思います。

 そんなBLOGにおいてコミュニケーションをポジティブに進めていくために、
反対意見を書く場合には以下のような書き方をしてはどうだろうか、と私は考えます。

(1)相手の考えの全てに対して反対なのか、それとも部分的に反対なのか
(2)全てに対して反対の場合は、代案としてどのような考え方をあなたは考えるのか
   (何もしない方が良い、というのも代案の一つではあります)
(3)部分的に反対ならば、どの部分をどのように変えれば良いと考えるのか

 文章の書き方によっては「一部を変えた方が良い」という改善の提案のつもりで書いた文章が、文章のみからでの印象では全否定の内容のように解釈されてしまう事も有ります。こういった誤解から、議論にブレーキがかかってしまう事があるとしたら残念でなりません。


 という事を踏まえた上で、

 私は木村剛さんの悩める母親を救うために力を結集しようという、考え方には賛成します。
 しかし、「母親」に限定しては「多くの人の賛同を得る」事は不可能であると考えます。それは、「父親も悩むべきだ」というべき論ではなく、既に「父親も悩んでいる」という事実があるからです。

 想像してみてください。田舎を離れて東京で家族三人で暮らしている家族の事を。
仮に子供が幼稚園生だったとしましょう。母親が病気で一日、たった一日、寝込んだとします。そんな時、誰が子供を幼稚園まで連れて行くのですか?誰が子供のお弁当を作るのですか?誰が子供を幼稚園に迎えにいくのですか?そんな時には父親しかいないのです。他に選択肢が無いのですから父親が幼稚園への送り迎えや(手段はどうあれ)お弁当を用意するのです。そんな過程において、父親が子育てに無関心でいられるわけが無いのです。
 「父親も悩むべきだ」ではなく、「既に父親は母親と一緒に悩んでる」のです。
 そういう事実があるのに、わざわざ「母親」と限定する事で、一緒に悩んでいる「父親」を仲間はずれにする必要は無いでしょう。彼ら「悩める父親」が快く賛同できるような名前をつけた方が、より多くの方の賛同が得られるのではないかと思います。

 私自身は独身なのですが、私と同年代の親子だけで暮らしている父親達は、みな上記のような悩みを持っています。
(そして、彼らが困っているときに仕事でサポートする役割が我々独身者に回ってくるのですが。)

 否定ではなく改善の要望として、私の考えと同じような考えを述べられている方も多くいらっしゃると思うのですが、『「母親」というジェンダー用語で反発してしまう人たち』という言葉でひとくくりにされてしまったとしたら悲しいことです。

 今回の木村さんのエントリーの趣旨からは多少外れてしまうとしても、木村さんのエントリーにポジティブな考えを持ちながら改善要求をしてくださった方々のために、
「この指摘は尤もだ。しかし、」という議論の進め方をしていただければ、このエントリーに対する読者の印象は、ずっと良いものになったのではないでしょうか?

 誤解からポジティブな議論にブレーキがかからないように、反対意見を書くときは、全てが反対なのか、部分的に反対なのか、そしてどうすれば良いと考えているのか、を書くようにしていきませんか?

世界は変わり続けている

2004-07-28 02:42:55 | BLOG
 燃え尽き症候群というわけではないけれど、ここのところBLOGの更新が滞り気味です。
時間が無いとBLOGを頻繁に更新するのは難しいですね。

 話題が無いというわけではなく、書きたい事がある時ほど、伝えたい事をちゃんと伝えられる
文章を書こうとすると、時間が無いとなかなかまとめられない。
「時間が無いし眠いし、また明日」
などと思っていると、翌日になると、新しい出来事が起き、新しい情報が入り、世界は昨日とは
少し違っている。そうなると、昨日書こうと思った事は既に陳腐化していて、また新しい事が書きたくなる。
 そんな事を繰り返しているうちに、世界はどんどん変わっていく。
 そのリアルタイム性がまた、BLOGの魅力なんでしょうね。

 

驚き。

2004-06-29 03:33:50 | BLOG
前の記事からの続き

PHSを使って、電車の中で自分のBLOGをチェックしてみると、
週間!木村剛からトラックバックが来ているではありませんか。

 BLOGを見ていると、キムタケさんから初回のトラックバックをもらった方々は、
皆さんその感動をBLOGに書いていらっしゃいますよね。
(でも、はしゃいだ文章を書くのは私の性に合わないしなぁ)

などと思いながら、


 リンクを辿り、
 記事を読み始め、
 下へとスクロールしていくと、
 ネガティブ・バトルからポジティブ・コミュニケーションへという記事の中に
私のサイトへのリンクが、

 ん?

 リンクの下に、、、
 下に、、、、

 下に?!
 
 ??!!

 私の文章が引用されてる!!!
 (それもほぼ全文が!)
 
 さすがに驚きました。
 PHSの小さい画面だとなおさら引用部分が長く感じられました。
 (いや、実際長い文章でしたけど。)

 自分の文章をこういった形で読むと、非常に恥ずかしいものですね。
 (改めて読んでみると、我ながら毒のある文章だ。まぁ、私らしいといえば私らしい文章ですが。)

 と、まぁそんなわけで、私も結局「週間!木村剛」からの初トラックバックの感動を
BLOGに書いてしまう羽目になったのでした。

 驚き。

NETならでは

2004-06-12 02:14:53 | BLOG
週刊!木村剛マスコミが指摘しないカネボウと三菱自動車の共通点は何か?というコラムで
監査役の責任について言及されています。

なるほど、木村さんのBLOGを読むまで監査役の存在をすっかり忘れていました。高校までに
少なくとも一度は監査役の役割について習っているはずなのですが、いざ会社人間になってから
の監査役のイメージは学校で習った事とは全く異なっています。経営の第一線を退いた人の
ための名誉職?と思うほどに、取締役を退任して監査役に就任、なんて発表でしか「監査役」と
いう単語にお目にかかる事はありませんでした。

BLOGがメディアとしての役割を果たし、既存のメディアとは異なる切り口での視点を提供して
くれるならば、きっとこの国も良くなる事でしょう。
このまま形骸化した日本の監査役を見直す動きが出てこないものかな。

ちなみに、今回こちらのLaw ManiacさんのBLOGの存在を知った事は大きな収穫。
面白いです。

テレビや新聞雑誌からでは得ることのできない新しい視点に出会えることが、ネットの一番の
魅力だと私は思っています。


日本のBLOGの可能性

2004-06-09 07:16:31 | BLOG
 ちょっと前にBLOGを始めて1週間目の感想として、「BLOGってすばらしい」ってな感想を
書いたのですが、今回BLOGの可能性に書かれた週刊!木村剛(通称ゴーログ)の
ココログユーザーは100万人!?という記事に関連して、私の考える今のBLOGについて
少し書いてみたいと思います。

 以前にも書いたように、BLOGがアメリカで流行る前から、日本には所謂「テキストサイト」と呼ばれる
個人が運営する文章中心のWebサイトにおいて、文中に他のサイトの文章へとリンクを張って自論を
展開するというコミュニケーションが存在していました。
 BLOGが出始めた頃には、
「日本においてBLOGは目新しいものではなく、大騒ぎするほどのものではない」
という議論もありました。しかし、BLOGの本当の凄さは前にも
書きましたが、誰でも簡単に更新ができ、しかも、いとも簡単に他のBLOGへのリンクが張る事ができる
共通のシステム(ルール)にあります。(このシステム化こそがアメリカの最も得意とするところです)
 それまでは、ホームページ作成ソフトやHTMLの知識が必要だった事が、それらの知識が全く不要
のままに、同じ事が実現できるようになりました。この便利さは実際にBLOGを始めてみて実感できました。
その効果は、現在の爆発的に増えたBLOGの数を見れば明らかです。Webを通じて不特定多数の相手と
コミュニケーションを図る事がより一層簡単になりました。

 しかし、日本においてもBLOGが爆発的に普及するに至って再び日本とアメリカの差が現れてきました。
それは「日本人がちゃんとした議論が下手だ」という事です。
日本人の言う「議論」というものがどんなものかは、ディベートについて学んだアメリカの小学生にさえ
鼻で笑われそうな、典型的な「詭弁」をあろう事か国民に向かって平気で使う政治家さんや、
事実と意見の切り分けという報道の基本中の基本すら守れていない(むしろ意図的に混在させている)
マスコミ家さんの報道を見れば良く分かると思います。
 そんな議論下手な日本人が、アメリカのようにBLOGを通じで議論を交わし、BLOGを第三のメディア
と呼ばれるまでの場に育て上げる事ができるのか、私は疑問に思っていました。

 しかし、最近のBLOGの流れを見ていると、テレビに映る日本に失望しそうになる支離滅裂な議論や
公正さを感じない意図を持った報道とは全く違った、建設的な意見交換ができている流れがある事に
気付きました。その流れの中心にあるBLOG、それが今のゴーログです。
 今までも日本にはちゃんとした意見交換がしたいというニーズはあったと思うのです。その表れの一つが、
斜に構え一見不真面目を装いながらも案外真面目に議論が行われている2chではないかと思うのです。
しかし、2chではその匿名性から、言い捨ての言葉が中心であり、ある程度以上真剣な議論には発展
し得ませんでした。
 一方で、BLOGを用いたコミュニケーションであれば、発言者には発言者のBLOGという、
その人の人間性を証明する背景があります。BLOGが背景にあればたとえ匿名であっても、その人の
言葉の軌跡であるBLOG(まさにLOG)があれば、ちゃんとした議論は可能です。(むしろ初対面で
背景を全く知らない相手との対面コミュニケーションよりもやりやすいくらいです)
そして、そのBLOGは簡単に誰でも始める事ができる。BLOGの出現により、日本でもWeb上でちゃんとした
意見交換をするための土台はできていました。しかし、それだけでは不十分でした。
 そこに現れたのがゴーログ。
 書いている人の実名も背景も分かる信頼できる人のBLOGである事。毎日新しい記事が発表される事。
そして、トラックバックを行った相手に対する真摯な態度でのコメント。意見交換の核となる場所になるには
十分でした。この人ならば、自分の考えをぶつけても大丈夫だ。信用できる。そう思えるBLOGなのです。
かくして、ゴーログを中心にBLOGでの意見交換の流れができ始めました。

 議論下手と言われる日本人が、BLOGを通じて正しい議論を実践的に身に付け、日本人の
コミュニケーションスキルが向上すれば、この国はきっと良くなる。BLOGはそんな日本大復活の可能性を、
私はゴーログとゴーログに集まる方々のBLOGに感じました。
 今の日本の閉塞感を打破するのは、さらにはこれからの歴史を動かすのは、BLOGにおける意見交換が
きっかけになるのではないか、と私は思うのです。

 歴史を変える一歩として、まずはトラックバックから。