日付も変わり、クリスマスイブからクリスマスになりました。
いつもなら終電近くまで多くの人が仕事をしている職場も、クリスマスイブの夜には21:30にはあらかた人がいなくなっていました。(21:30を「早い」と感じるのは、この業界特有かもしれませんが)
それにしても、本来宗教的に重要な日であるクリスマスを「恋人と過ごすロマンチックな日」にしようとする風潮はいつから生まれたのでしょうね?
それでも今年は、本格的な不況の入り口にさしかかっているせいか、はたまた作り上げられたクリスマスのイメージに対する違和感を感じる人が増えてきたせいか、随分と落ち着いた雰囲気であるような気がします。(私のアンテナの感度が鈍っているせいかも知れませんが)
日本のクリスマスについて時々思うのですが、クリスマスを恋人たちの日として位置付ける文化は、バブル期に生まれては消えた幾多の文化と同様に、一時的に葉でに咲いただけで後世に種を残さず消えていく徒花なのかも知れないと。何十年かしたら、日本でも欧米と同じようにクリスマスは家族と過ごすような落ち着いた日へと回帰していくのではなかろうか、と。
特に、日本がこれから「黄昏の時代」に移り変わっていくのだとしたらなおさら。これから、私たちの世代が「当たり前」だと思っていた事が、実は一時的な例外だったという事も、数多く起こるのかも知れません。これまでと同じ事がこれからも続くなんて、きっと環境は許してはくれないでしょう。
さて、私は今年のクリスマスも(確信犯的に)遅くまで仕事をして、一人ビールを飲むクリスマスでした。BGMには流行歌というより賛美歌に近いようなクリスマスソング(?)
普段聴かない厳かな曲を聴いていると、何やら日頃の自分の言動を悔い改めたくなってきます。そうでなくとも、このところ自分の不甲斐無さと覇気の無さを情けなく感じているというのに。この止まったままのBLOGの更新頻度並みにちゃんと自分を振り返って考える事の少なくなっている近年、状況を変えるために行動を起こさないといけないとつくづく感じています。そのためには、意識を変える必要がありそうです。(一体何年眠っていたのやら)
何故だか饒舌(キーボードをたたき続けているるだけであって、舌がにぎやかになっているわけではないので「饒舌」という表現も不適切ですが)なのは、きっとお酒のせいでしょう、多分。
いつもなら終電近くまで多くの人が仕事をしている職場も、クリスマスイブの夜には21:30にはあらかた人がいなくなっていました。(21:30を「早い」と感じるのは、この業界特有かもしれませんが)
それにしても、本来宗教的に重要な日であるクリスマスを「恋人と過ごすロマンチックな日」にしようとする風潮はいつから生まれたのでしょうね?
それでも今年は、本格的な不況の入り口にさしかかっているせいか、はたまた作り上げられたクリスマスのイメージに対する違和感を感じる人が増えてきたせいか、随分と落ち着いた雰囲気であるような気がします。(私のアンテナの感度が鈍っているせいかも知れませんが)
日本のクリスマスについて時々思うのですが、クリスマスを恋人たちの日として位置付ける文化は、バブル期に生まれては消えた幾多の文化と同様に、一時的に葉でに咲いただけで後世に種を残さず消えていく徒花なのかも知れないと。何十年かしたら、日本でも欧米と同じようにクリスマスは家族と過ごすような落ち着いた日へと回帰していくのではなかろうか、と。
特に、日本がこれから「黄昏の時代」に移り変わっていくのだとしたらなおさら。これから、私たちの世代が「当たり前」だと思っていた事が、実は一時的な例外だったという事も、数多く起こるのかも知れません。これまでと同じ事がこれからも続くなんて、きっと環境は許してはくれないでしょう。
さて、私は今年のクリスマスも(確信犯的に)遅くまで仕事をして、一人ビールを飲むクリスマスでした。BGMには流行歌というより賛美歌に近いようなクリスマスソング(?)
普段聴かない厳かな曲を聴いていると、何やら日頃の自分の言動を悔い改めたくなってきます。そうでなくとも、このところ自分の不甲斐無さと覇気の無さを情けなく感じているというのに。この止まったままのBLOGの更新頻度並みにちゃんと自分を振り返って考える事の少なくなっている近年、状況を変えるために行動を起こさないといけないとつくづく感じています。そのためには、意識を変える必要がありそうです。(一体何年眠っていたのやら)
何故だか饒舌(キーボードをたたき続けているるだけであって、舌がにぎやかになっているわけではないので「饒舌」という表現も不適切ですが)なのは、きっとお酒のせいでしょう、多分。