「お金」から解放されて「本当の自分」の生活へ

お金に振り回される人生はバカバカしいものです。「お金の毒」から抜け出し、右脳的感性中心の本当の自分の生活に戻りましょう。

へそ曲り、宗教、事業再生の話

2009年12月26日 10時33分39秒 | 私的世界思考論
年末もあり、また不景気ということもあり、なんだか肌寒い毎日が続きますね。私なんか寒がりですから、多少なら地球温暖化も良いんじゃないかなんて考えたりしますが、どうも地球も天邪鬼な性格で、へそを曲げて寒冷化してんじゃないかと思ってしまいます。その場合地球のへそは北極でしょうか?

この不景気は私が生きてきた中では、いまだかつて経験したことがないものです。東京の街ではあたりまえのように女性の浮浪者が増えてきました。なんだか、哀しい姿で両手にたくさんの買い物袋をぶらさげてトボトボ歩いていたりします。若い女性もいます。

自分が子供のころは道路で人が倒れていたら、誰かがすぐ救急車を呼んだりしたものですが、今では男性のみならず女性が倒れていても浮浪者か酔っ払いだと誰もがシランプリです。今、世の中はコペルニクス的経済大変化(大津波)が起きようとしています。

こんな世の中になると怪しい宗教が増殖しやすい状況になるように思います。宗教はいつの世でも考え方の変化を嫌いますが、乱世ではその乱れが新興宗教にとってチャンスとなります。宗教も浮き沈みが発生します。

ちなみに私自身は無宗教です。無宗教ですから、逆に「心とは、意識とは何か?」については「理解できない不思議なもの」として、とても興味があります。ここ最近は「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」というロジャー・ペンローズの脳量子論を読みました。(といっても難解なのでぺロリと舐めただけです。)

宗教を信じれる幸せな人は、それらに対する答えが教義の中にすでに出されていて、絶対なもの(変化しない考え)でしょうが、偉そうなことを言って申し訳ありませんが、私にとってはそういう絶対なものはないみたいです。

私は、脳天気なので幸せな時にはまず考えることはありませんが、苦しいときには突如として、にわか哲学者となって「生きるとはなにか?幸せとはなにか?嗚呼、人生不可解なり!」なんて考えてしまいます。

自分の会社の事業が破たんしそうになった時には、誰でもそうでしょうが哲学が度を越して、その解を「生命保険証書」に求めたり、高速道路を走っているときはこのまま壁に衝突したら自動的に解決するなんて考えてみたりしたものです。

ただ、死んでも借金を返せるほどの保険金額ではなく、むしろ笑えるほどの「焼け石に水」状態でしたから、今でもシブトク生きているわけです。

その究極の答えが欲しくて、苦しくて、「宗教にすがろうかな。」、と思ったこともありますが、こういった状況下で安易にそう思う自分自身が情けなく許せなく、また元来がへそ曲りで「御本尊様に従えば間違いなく、右だ!当り前だろう。」と強く言われると、左に行きたくなる性格ですから、宗教の絶対性自体にとても嫌気をだして、そうなりませんでした。陰謀論的な、へそ曲り的な話が好きなのもそういった性格からくるものでしょう。

意識や心について、「それはねぇ、○○なんだよ。」なんて始めから決めかかられると、「なにおっ、このガチガチやろうめ。」と思ってしまうわけです。(宗教を信じていらっしゃる方、大変すみません。あくまでも私個人の脳内劇場での出来事です。劇場から漏れてポロっと出てしまいました。勘弁してください。)

宗教のみならず、「1+1=2」みたいなことを平気で紋切口調で語る銀行系常識派は好きではないみたいですね。つまらない奴だと思ってしまいます。(これも、また言い過ぎですみません。世の中は常識的な人がいなければ大変な世の中になってしまいます。)

私は本質的に理科系感覚系アホ人間ですので「変化に対して常にオープンであること」のほうが、正しいのではないか、なんて思ったりします。ある意味では「優柔不断なバカ野郎」ということでしょうか。

科学のようにニュートン力学から量子力学、相対論へ、と正しいと思えば恥も外聞もなくコロコロ考え方が変化しちゃう方が、まだ好きみたいです。宗教だったらブードゥ教から仏教へ、はたまたコーラの瓶を神だと崇めたりとクルクル変化すること、すなわち、他の宗教へ転ぶことは滅多にありえません。

ただし、私は、けっして科学のアルゴリズム的な考え方が好きなわけじゃなく、「物事を絶対視せずに、常に考えようとする姿勢」のある方がまともじゃないかと考えるわけなんです。

「世の中に絶対なんてない。それじゃぁ、つまらないじゃないか。」、と考えていたからこそ、事業を再生させることもできました。普通なら我社など倒産で終わってしまって「ハイ、それまでぇーよ!」な運命でした。見栄も外聞も捨て、お金に対するコペルニクス的発想の展開ができたからこそ、無事に成功することができたように思います。

絶対観の塊人間だったら世間の荒波にドボンと沈没していたでしょう。

また、へそ曲りでアホな性格が、ウジャウジャいる怪しい再生コンサルタントの詐欺にもあわずに無事すんだ大きな理由かもしれません。とにかく、右と言われると「ホントに右?左じゃないの?、もしかして後ろかも?」と考えるわけですから。

相談するコンサルにとってみたら、面倒な奴ということですね。


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