こんにちは。
昨日の続きです。
私が31歳の時、父が肝臓癌の為病院に2週間入院して亡くなりました。
それと同時に私が努めていた商社を退職しまたハローワークへ行き今度はトラックの長距離運転のを見つけ早速面接に行ったら即来て欲しいとの事で東京へ一度車の助手席に乗せてもらっただけで後は自分で車を運転して行ったんですよ。
私はかねがね東京へ行きたくてこの仕事を選んだので、もう嬉しくて嬉しくて仕方がありませでした。
週に2度は東京で、月に1度は九州方面です。
初めての給料袋を封を開けずに母親に渡したら、「わー、これでこの家もやって行ける」っと言いながら顔は万弁の笑みを浮かべていました。
なんせサラリーマン時代より給料が倍になっていたんですからね。
でもそんな良い時はいつまでも続かず、7年くらいで運送会社が倒産しすぐまたハローハークへ行きましたがなかなか仕事が無く泣く泣く家の仕事を継ぐ様になりました。
そうこうしている内に、15年が過ぎた頃今度は母親が膵臓癌でステージ4との事で、余命1ヵ月との事でした。
平成16年3月初めに入院して何度か延命治療を試みましたが平成16年7月13日に息を引き取りました。
今度は私が病気で救急病院へ搬送され今は両杖で歩ける様になり、言葉も大分話せる様になって来ました。
でも細かい作業、例えば手紙に文字を書く事やスマホでメールを打つ事がまだまだ出来ません。
メールはもう一度チャレンジしてみますね。
またいつか逢えるといいのにね。
それでは、もとの「たばちゃん日記」に戻ります。
ほなね。