Subang Jaya より

「人生は冒険だ」の言葉に痛く共感し飛び出した日本。その後はどうなったか?

マレーシアで再び輝く

2014年01月30日 | 日記
子供のころ、

たぶん兄が中学に入る前ころまで、我が家は夏休みに一泊の家族旅行に行くのが慣わしでした。

草津か伊香保がお決まりだったように思います。
草津は一井ホテルだったような。

小学校低学年の頃、家にはミゼットかN360トラックしかなかった。
父は歯医者の友人に乗用車を借りて夏休みの家族旅行に連れて行ってくれました。

その車がこれ、


ダットサンP310ブルーバードです。
写真はフロントグリルの形状から正確にはマイナーチェンジ版のP312です。
実際にお借りした車は水色と白のツートーンだったような気がします。

これは、毎日昼飯を食べる経済飯屋の近くの自動車修理屋さんで見つけました。
レストア中でしょうか?イグニッションコイルとバッテリーは新品です。
ボディもパテだらけ。
バルクヘッドのプレートには DATSUN 1963年式 11??cc・・・・・と書かれています。
ここまでどうやって来たのか。 マレーシアの地をあちこち見て回ったのか?
こんな地の果てマレーシアで再会するなんて。マレーシアでまた輝けるかもしれない。

ここで、夏休み家族旅行のシーンが走馬灯のように蘇れば美談なんですが、・・・

思い出すのは、アルバムに貼られていた車と兄のモノクロ写真です。




ドアの鍵穴にもこんな蓋が付いていたことを思い出します。




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