月影堂 書棚

ここに記す事は全て私の身に起きた事実であり、私は、私が感じた全てを言葉に換言し、記録しております。

不思議な緣

2021-03-28 20:38:00 | わたしの気持ち
ブログ数日ぶりに開きました

こんばんは、月影堂です。

1年以上前から楽しみにしていた

リネージュIIM

その日の前日、神社にお参りに行きました。

参道を歩いている時に、

いきなり

こもれびからビジョンが見えてきました。

白と紺色の勾玉のような私たちの魂が

☯️のように、クルクルまわり、

さくらんぼう🍒のようにくっつく!!!!

こんなビジョンを見るのは、

はじめてでした。

神さまからも

《ようやく会えますね》

あたたかいメッセージをいただきました。






境内は神秘的な、

あたたかい気で満ちていて、

元気をたくさんいただきました。

無風なのに、

紙垂が左回りに回転していて、

とても驚きました。

その深夜、

《6》

ずっとこの言葉が心の奥深くにひびき、

その数字で鯖を選びました。

以前にブログに書いた、

過去世の人物をキャラクター名にして、

ゲームを開始しました。

あんまり急いでキャラクターを作ったため、

希望職を選べなかったのですが、相方との心で結んだ大事な約束だったので、そのまま鯖を変えることなくがんばりました。

ふと、

ランキングを見ると、相方と思しきお名前がありました!!

その名前は嫌だって心の会話で言っていたのに、ちゃんと再会できるように私がお願いしたお名前で、キャラメイクしていてくれました( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )

感謝(TдT) アリガトウ

実際にチャットを見ると、

ーーーうん、やっぱり相方だ!!ーーー

こう思いました。

相方と仲の良い友達も、そこにいました。

その時、

18年前にはじめて会ったあの時のような感覚…。

身体の中のエネルギーが忙しくグルグル回るような感覚になり、

またトイレに(/;;´Д`)/┃︎wc

というわけで、

たぶん、再会しました(*^^*)v

ゲーム内ですが…(●︎´▽︎`●︎)

ラグビー早く応援行きたいです~♡


コロナ早く収まりますよーに!!


読んでいただきありがとうございました


LineageⅡMもうすぐサービス開始!

2021-03-23 17:17:00 | 日記・雑多なこと
わくわくします

もうすぐ「LineageIIM」が始まります!

サーバーは、

日中にずっと

《バーツだよ》

《バーツだからね》

《バーツ鯖だぞ〜!!》

と繰り返しメッセージが笑

《マジ、サジ、バーツ?》

《FE(笑)懐かし》

こんなやり取りずっとしていました笑。
ほんと不思議(⌯˃̶᷄ ⁻̫ ˂̶᷄⌯)


選ぶ鯖は、

「バーツ」

これにする予定です…!!

私のスマホでいけるかなあ…。

あと、この「罰鯖」ガチ目になりそうな予感…。

《いいじゃん賑やかな方が笑》

《そうだけど…笑》

う〜ん…緊張する!!!
何故だあ…なぜ(´Д`≡*゚-゚)why

気持ちを落ち着かせるために

桜でもみよっと…🌸






緑星

2021-03-22 16:53:00 | 絵画制作など
今日は
以前にクンダリーニで
第2チャクラを
内観した際に見た
緑色の星を描きました。





以下は、まとめです。
あくまでも、私がみたイメージです。
同一人物でも
別のイメージで見える時もあります。



第1チャクラは、群青の渦(うずまき)




第2チャクラは、緑色の星(緑星)




第3チャクラは、金色の龍(雷龍)







第4チャクラは、宮殿
第5チャクラは、透明
第6チャクラは、守護天使(ミカエル)
第7チャクラは、機械仕掛けの文明

回想〜春分の日のねがいごと

2021-03-21 18:23:00 | わたしの気持ち
うちの子は

寝る時も、
常に抱っこが好きだった。

床に置かれるのを、
ひどく嫌がった。

言葉を話すのが、遅かった。

なんでも
気になることは

「あっ!」

と指指しながら教えてくれた。

2歳の誕生日がすぎた
ある日、

私は原因不明の熱病による
全身の発疹で
医大に入院させられた。

その時、

半ば強制的に
はじめての母子における
別離体験をした。

子どもは
母からも
母乳からも離され、
私の実家におくられた。

子どもには
さみしい思いをさせてしまった。

私自身も
40度近い発熱と発疹が
1週間以上続き
しかも部屋は、
トイレしかない個室。

医師看護師以外は誰も来ず、
誰も、見舞いに来ることは無かった。

入院して、1週間たち
容態は安定してきた。

相変わらず見舞いに来る人はいなかった。
夫も見舞いに来てくれなかった。

唯一、
休日だけは来てくれるかもと
少しだけ、期待していた。


…けれども、来てはくれなかった。
かなしくて涙が出た。

来れないにしても
いくら愛情がなかったとしても、
電話くらいくれてもいいのにくれなかった。



その時、



《自立しよう》



そう思った。

熱がない時に、
スマホで職を探した。

私と夫にも、
その時から分離が始まった。
 
その後
3年後には別居をした。

離婚したのは、
それからさらに2年後だった。

名古屋での結婚生活は、
修行以外の何ものでもなかった。

唯一、
子どもが私の側にいてくれた事が
何よりの救いだった。
生きる糧だった。

そんな子どもと
昨日
神社でお参りした際に
神さまにお願いをした。


愛する人と
しあわせになりたい


無我に近い私の、ただひとつの願い