月影堂 書棚

ここに記す事は全て私の身に起きた事実であり、私は、私が感じた全てを言葉に換言し、記録しております。

願いを叶える過程とは

2022-01-17 00:26:00 | 哲学・思想
--人生すべて計画どおりに進めたい…!!--



…なんてことを考えるのは、不遜だよ。

どうするか?
を決めるのは、


確かにあなた自身。

だけど…。


どうなるか
を決めるのは、


あなたではない。


だから、
人生が思いどおりにいかないからって、
願ったことが、なかなか叶わないからって、


自分自身を責めたり、
自信をなくしたり、
怒ったり、
なにかに当り散らしたり…。



そういうことでは、余計に遠ざかる。

なぜ、思うように進まないのか…?



まずは、

しっかり結果を受け止める!

諦めない!!

挑戦し続ける!!!


そうしていくうちに、

あなたの思い描く未来が、

目の前に現れるのだ







樂天

2021-10-26 07:56:00 | 哲学・思想
この頃、

嵐のような心の日や、

今朝のような清々しい心の日が、

目まぐるしく交互に訪れる。


これは、

きっと、

私の深層にある様々な不安を炙り出す作業なのだと思う。


台風のような荒れた日も、

台風が去ったあとの清々しい朝も、

どちらも私の心と同じ。


天気は、

私の心と同じ。

私の心は、

天気と同じ。


天と統合すれば…。

天に楽(ねが)えば…。

もっと自由になれる。

迷いはなくなる。







そうか、

楽天とは…、

こういう事だったのか。



性格の違いって何❓

2021-09-29 12:57:00 | 哲学・思想
性格の違いって何かと考えてみた。

私にとっての、

性格の違いというのは、

善悪を判断する基準がどうか、品格がどうか、どれだけ善徳を積んで来られたか、

今のところ、この3点です。

(3点と言っても同じような事を言い換えているだけですが…。)

感情とか、生活のクセとかは特に問題がないことです。

(一般的な性格の違いと言えば「感情」ですが、感情なんて一人ひとり個性があるから素晴らしい👏✨訳ですし、違う方がいいのです。)

私が考える「性格」とは、

簡単に言えば、性エネルギーの質の違いです。

違いとは、

その人が、善か悪か、というところです。

エゴが強い人は悪に近づきます。

エゴが良い心がけで昇華された人は善に近づきます。

善か悪かは、波動にも影響があります。


儒学では、徳を積むことが、聖人になるための修養のひとつだった。

儒学で言うところの聖人や君子が、所謂、波動の高い、世界の導き手になるのだと思う。

儒学では鬼や霊を否定する場面もあるけれど、スピリチュアルの分野でも、やっぱり儒学は見直されるべきだと思う。

心のフィルターについて

2021-07-30 18:56:00 | 哲学・思想
わたしは、

鈍感な人間だと思っていた…。

だけど、

どうも、それは少しちがうみたい。。


何も気づいていないようでも、

何も感じていないようでも、

実は、

「わたし」が気付く前に「わたしの本心」は全て知っていて、

そこで、「わたし」とも違う、「わたしの本心とは別の何か」が、

さっと、何事もなかったかのように、隠す。


わたしの本心とは違う何か、とは、誰か。


それは、

わたしの本心を守るもの。

結界のようなフィルター。



見るべきものは、通過し、

見るべからざるものは、遮断される。


このフィルターの編み目が細かいほど、

見なくても良いものは、通過せず、気が付かない。


ただ、

その基準は、まちまちで、フィルターにもいろいろある。


霊的なものを透過しないフィルター

人の感情を透過しないフィルター

人の愛を透過しないフィルター


これらのフィルターの取捨は、自分では選べないかもしれない。


ただし、

自身の人生経験によって、フィルターの編み目の細かさは変わってくるかもしれない。


例えば、

愛を知らない人が、愛を感じることができるようになった。

これは、愛のフィルターの編み目が荒くなって愛の心理が見えやすくなったから。。

極端な例をあげるなら、


愛のフィルターが全くなくなってしまったとする…。


そうすると、

愛の真理が全て露見し、悟れるわけで、

本当は嬉しい事なんだけど、

愛の光がまぶしくてまぶしくて、身体がついていけなくなるかもしれない。



だから、

身体がそこになれるまでは、

大変な日々が続くかもしれない。



けれども、

大変な日々を乗り越え先には、

普通の人がなかなか辿り着けない悟りの境地があると、そう思うのです。

悟って、使命を得るかもしれない。



だから、

急な出来事や、人生の転機で身体と心がついていけないようなしんどい時があったとしても、

それは、人生の深みを増す、素敵な出会いなのだ、と思って乗り越えてほしい。


世の中は、必然性で出来上がっているから。

あなたの、わたしの人生に必要な事しか起こらない。


受け止めるのが辛く苦しいこともある。

けれども、その分必ず、幸せが振り子のように返ってくると思うのです。




で、、、

わたしのツインレイのフィルターは、ほぼ外せそう。

もう、ちょっと!!

あと、すこし!!!

あと少しで、出会えるはず

生活のための結婚?

2021-04-25 00:49:00 | 哲学・思想
ー2番目に好きな人と結婚すると幸せになるー

こんなジンクスみたいなものが、あるんですね。



正直、他人のことは非難できないけど、

要は、それって

「生活のために結婚した」

って事なのかなあ、と思います。

「浮気しなそうだから」、とか、

「生活力があるから」、とか、

その人自身の内面性云々じゃなくて、生活スペックで結婚を考えてしまう…。

なんか改めて考えると、

残酷な選択だなあ、と思います。



確かに、

愛していなくても、結婚はできるけど…

それって、やっぱり「本心」は、喜んでいないんじゃないかなと思う。



男女ともに35歳過ぎた頃から、

プラトニックな分野に関心をもつ人が増えるという。

(かく言う私も、その類だけれど…。)

「本心」が愛を希求するようになる。


誰と結婚するのも、独身でいるのも、個人の自由意志だ。けれど、自分自身の「心」は、やっぱり誤魔化せ無い。

2番目に好きな人と結婚した、と「気づいて」しまった人が、「本心」から幸せを感じられるとは、どう考えても、そうは思えない。

1番に好きな、特別な人は、確かに色々超えなくてはいけない障壁や試練が多くて、2番目に好きな人に逃げたくなるのも分かる。

けれど、それで2番目に逃げたところで…その2番目に好きな人を1番の方と同等以上に愛することが出来ればいいけど、それが出来なければ、お互いにとって残念な関係になる。子どもや生活のために我慢して、添い遂げる人もいるだろう。


色々考えた結果、

「生活を考えて結婚しなくちゃいけない」

これが今の世の中での1番の悪の元凶。

先進国のひとつである日本でも、未だに、

「生活のために結婚を考える人が多い」

という事実。

これは、日本がまだまだ子育てしにくい環境を国民に強いてるから。

子育てが、どのような生活背景であっても、子どもを育てて行く上で多くのサポートを得られる環境が整っていれば、生活のために結婚相手を選ぶ必要なんて無いわけだ。

同時に、女性が子育てをしつつ、無理なく働ける環境作りがまだまだ足りず、サポートが必要なんだと思う。