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小笠原大閻魔帳

長年お世話になったT-ちゃんが
店を畳むと言うのでこちらに引っ越してきました。

小笠原を無視するな。ユニデンよオマエもか・・

2006-03-05 10:30:43 | ノンジャンル
昨日は毎年恒例の『ちびっこくらぶ・さよなら遠足』に同行。
昨日はそうでもなかったけど、今日は朝からだるいのよー。
今夜はクジラフェスタの撮影。本番は6時からだけど
リハ見たり、カメラの位置決めしたりで結局一日仕事かしら?
その一方で、某お役所関係の編集を抱えているですが、
素材が足りないわ、ナレーションの収録は終わってないわ、
納期は迫るわで、テンテコ舞ざんす。
こうしてブログに愚痴書いている暇があったら
素材の追加撮影に行けって感じですが、だるい・・・・。

お役所編集に関連して、
薄くて大きなモニターを購入することになったのですが、
安くて大きいものは無いかいなと物色していたとき、
テレビで綾小路きみまろさんが宣伝している
ユニデンの液晶テレビのことを知りました。
おお、安い!大きい!これだっ!
早速、ユニデンのWEBサイトを検索して、
調べた上で、通販センターとやらに電話して
いろいろと確認してみたのですが、
ぬわーんと!
小笠原諸島には発送不可能だとか。

ユニデンのWEBサイトでは
発送不可の地区一覧が見られるのですが
それに小笠原は載っていないから
問題ないのかと思ったら、そうではなく
単に忘れられた存在だったようです・・・・。
つまり、小笠原なんて眼中に無いってことか・・・・。

やあね。

なんかさ、きみまろさんが悪いわけじゃないのに
きみまろさんがいい加減な人に見えてきますよね。

ユニデンが提示した解決策は、
内地の発送可能地域の知り合い宅に送って
そこから他の配送業者使って
小笠原へ転送してもらうというもの。

めんどくせーよ!

でも、それしか方法が無いならしょうがねえな、と
今度はクロネコWEBを探して調べてみたり電話してみたり。

結局、大きさからして
『引越し便』しか利用できないんですって。
料金は1万4千円前後になるだろうとの事。

高けーよ!

おまけに
配送センターへの電話はつながらないわ
つながったと思ったらタライ回しにされるわ
こっちはユニデンのヘタレ具合を知った時点で
ヒートアップしてますから、
なおの事ムカムカしちゃいましたよん。

でも、電話に出る人のせいじゃないんですよね。
それはもう充分分かっているので、
そういう方たちに当たったりはしませんが
「非常に不便ですから上の人に伝えて下さい」
くらいのことは言います。


結局、他に方法は無いし、
自腹切るわけじゃないから(これは大きい)
このユニデンの液晶32型を茅ヶ崎実家経由で
購入することになるのでしょう。
しかし、なーんか納得いかね。

私、ビデオサロンという専門誌を
かれこれ15年くらい講読しているのですが
それに、ユニデンのこのモニターのことが載っていました。
評論家先生によると、

一世代前の感は否めないが
W-XGAパネルで解像度は遜色なし。
明るさコントラストも充分、

だそうで。
多分、この液晶テレビが
皆さんのお眼に触れる場所に
設置されることになるのでしょう。

旅チャンネルでいいの?

2006-03-01 14:36:59 | ノンジャンル
観光協会の会誌『ハローボニン』が昨日届いていましたが、
オークションの処理などで手が離せず
本日になってようやく眼を通すことが出来ました。

取材補助金の行方は
スカパー277ch『旅チャンネル』の
番組制作会社が提出した企画に決まったそうです。

会社名 JIC(株)ジャパンイメージコミュニケーションズ
媒 体 CSスカイパーフェクTV『旅チャンネル』

笑いました。大笑いさせて頂きましたよ。

以前の書き込みでは面白おかしくするために
少々大げさに書いてみたのですが
心のどこかでは、幾らなんでも
そんなバカなことにはならないだろう。
きっと予想もしなかった大きな仕掛けが隠されていて
100人中100人が納得してしまう
泣く子も黙る大どんでん返しがあるに違いないと
少なからず期待していたのでございます。

撮影は4月頃で、放送は6、7月だそうで
60分番組を2本制作し、
再放送を含め10回程度の放送を予定
雑誌とのタイアップも交渉中とか。

ウチはスカパーを受信する環境を持っていますが
旅チャンネル』は契約していないから見られません。
そんなもんです。
周りを見渡して
スカパーの視聴環境を持った友人知人がどれだけいます?
雑誌とタイアップしたからって
機材を買い揃えてまで番組見ますか?
この、ほぼ日本国内限定の、
極ごく限られた人たちしか見ることが出来ない番組で
どれほどの宣伝効果を期待できるのでしょうか?
この会社が出した企画書の中身を見てみたいですね。
それに、なぜCSなのかも選考委員達に問いたい。

撮影隊が島に来て、ロケ時にどこの業者を使うか等
いろいろ見届けるお楽しみもありますな。

あ、そういえば
素材提供有りで、編集して2次利用も可だとか・・。
それってウチにとっては間接的な営業妨害じゃんか。
笑っている場合じゃなかった・・・・。

CSでいいの?

2006-02-10 19:56:42 | ノンジャンル
 観光協会が補助金300万を出す企画募集の選考が行われ、私が関わるかもしれなかった案は選考に漏れました。最終選考に残った企画は、CSでの企画と雑誌の企画が幾つか。

 って・・・・えーっ!CS!?聞き違いだよな?CSじゃなくてBS(デジタル)だろ?などと思いながら、もう一度観光協会に電話で確認したところ、やっぱりCSでした・・・・。

 今後、最終選考が行われ、結果は書面などにて正式に発表されるのだそうです。私は最終選考に残った企画書も見てないし、落選した企画書に名前が載っていることからも、この件に関していろいろ言うのは反則なのですが、それにしても、いくらなんでもCSとは・・・・。

 CSって、見たいチャンネルしか契約しないし、視聴者だって地上波に比べれば限られるし、画質も音質もイマイチだし、大雨降ると見られなくなるしで、観光PRをするための媒体としてはあまりに不向きのような?返還30周年のときに、村が記念ビデオを制作しましたが、事もあろうにスチルのカメラマンにビデオの制作を依頼しちゃって、出来上がった作品は尺の大半が借り物素材で出来上がっていたって事がありました。(あれはあれで面白かったけど、借りた素材の大半は無償提供だったってのも問題でして・・)今回もそれに近い‘やっちまったな感’が漂っているような気がするんですが、どうなのかな~?

 もっとも、300万の補助では地上波局(=BS局も)が見向きもしないと思われるので、テレビ関係からの応募は、いつも少ない予算でやり繰りしているCS番組制作会社からしか無かった、という事も考えられますね。何れにしても募集期間が短すぎましたね。大きな企業を動かすには、それなりの準備期間を提供しなければならないでしょうし、今回集まった企画にしてもかなり慌てて制作したに違いないのですから、そんな急ごしらえの企画書がどこまでアテに出来るのか分かったもんじゃない、という気が致しますですね。

巨星落つ

2006-02-09 18:54:53 | ノンジャンル
 土曜の夜9時、TBSで『世界・ふしぎ発見!』という番組が長いこと放送されておりますが(過去には小笠原の特集もありましたね)この数ヶ月その枠で黒沢明監督を取り上げたCMが流れています。

 これに使われているBGMが何故か東宝のSF特撮作品『宇宙大戦争』のテーマ曲。黒沢映画には『静かなる決闘』という作品のみで楽曲を提供している伊福部昭さんによるものです。宇宙大戦争のテーマは好事家の人気も高い血沸き肉踊る勇壮な楽曲です。

 私も伊福部さんの曲が大好きで、数多くのCDを所有していますが、少なくとも我が家の中では評価は二分されているので、昔ほど頻繁に聴く機会がなくなりました。

 そうしたことから、ウチの2歳児も伊福部音楽にはほとんど接した事が無いハズなのですが、テレビからこの宇宙大戦争マーチが流れ出した途端立ち上がり、まるでリズムを取るように身体を動かし始めました。幼児すら魅了する御大の楽曲。流石です。その様子を見ていた女房がボソリと一言「遺伝子が反応した・・」一方で、ガッツポーズを取り心の中で「でかしたぞセガレ!」と叫んだ私が居たことは言うまでもありません。

 てな、内容の書き込みをしようと思っていたのが昨日の事で、一夜明けたら訃報が・・。年齢的に言ったら天寿を全うしたと言えなくも有りませんが、それにしても惜しいし、寂しいことです。合掌。


以下、ネット上からのコピペ。
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伊福部 昭さん死去
ゴジラ作曲、釧路出身

  
 映画「ゴジラ」の音楽で知られる釧路市出身の作曲家伊福部昭(いふくべ・あきら)さんが八日夜、東京都内の病院で死去した。九十一歳。連絡先は東京都文京区音羽一の二の三、キングレコード総合宣伝部。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。

 一九一四年(大正三年)生まれ。札幌で暮らし、九歳で十勝管内音更町に移った。旧制札幌二中(現札幌西高)では、彫刻家佐藤忠良氏や小説家船山馨氏らと親交を深め、独学で音楽を学んだ。

 北海道帝大(現北大)に進学し、二十歳の時、のちに映画「羅生門」の音楽などを手がけた早坂文雄氏=札幌市出身=らと「新音楽連盟」を結成。第一回国際現代音楽祭を札幌で開き北海道の音楽史に大きな足跡を残した。

 三五年に大学卒業後、林務官として道内で働きながら活動を続けた。同年、「日本狂詩曲」で「チェレプニン賞」の首席入賞を果たし、世界的な評価を得た。終戦後の四六年、東京音楽学校(現東京芸大)で教壇に立ち、芥川也寸志氏、黛敏郎氏らを育てた。このころから映画音楽を手がけ「ゴジラ」のほか、「ビルマの竪琴(たてごと)」(五六年)など二百曲以上を作った。七六年に東京音楽大学長。

 少年時代に聴いたムックリの演奏などアイヌ民族の音楽に影響を受け、西洋の影響を受けた音楽が多く作られる中、民族的色彩を帯びた独自の世界を築き上げた。

 八七年、勲三等瑞宝章を受章。二○○三年二月に日本映画批評家大賞功労賞、同十月に文化功労者に選ばれた。

【北海道新聞】