空と僕の間に最近ずっとある一枚の座布団のような雲が
今日もまだスッキリと取れない朝ですが
週末の静けさの中 本日も穏やかな一日になりそうです。
みなさんおはようございます。
そして本日8月6日は広島に原爆が投下された日。
昭和20年と言えば僕が生まれる13年前の1945年。
父が「この建物の頭の上で原爆が爆発したんで。よ~覚えとけ~よ」と
言っていたのを思い出す。

僕の実家からは車で15分ほどの原爆ドームですが
小さい頃は、この場所に来るとなんだかとても恐かった。
小学生の頃の課外授業でドームの近くに建つ原爆記念館を見学した時には
見るものひとつひとつが童心に重く
熱で溶けたジュースの瓶や熱で折れ曲がった丸い腕時計
それから火傷の子を背負った傷だらけの母親のオブジェなど
恐くて恐くて友達と離れない様に、
そしてとにかく早くこの場所から去りたいと思ってた。
広島市内から約1時間程車を北に走らせると吉田という町があり
当時中学生だった僕の母親はそこで生まれ育った。
今でこそファミレスや大きな多目的集合スーパーなどが出来ているが
当時は田んぼと畑と小さな商店街しかない典型的な田舎の町だ。
そんな山間(やまあい)の町から
広島市内の方向に原爆のキノコ雲が見えたと言っていたから
その光景は相当なものだっただろう。
それからと言うもの、中学校の裏山に焼けただれた多数のご遺体が
トラックに山積みで来る日も来る日も運ばれてきたかと思えば
その場所でメラメラと魂の揺らぐ
数えきれない程の火の玉のようなものを初めて見たと言っていた。
世代は移り、今となっては当時を知る語り部の方たちも年々減り
戦争をしらない子供達だった僕達ももう50歳を越えた。

そして先の大地震。
直接的な被害だけにとどまる筈もなく
米や肉や野菜や、それこそ命の源の土や水までが汚染されて
まさに自国が自ら爆弾を落としたに等しい。
これからまた復興そして再生の日々が続く。
色んな事を記し念じる”記念日”という名が相応しいかどうかはわからないが
喜び事だけに使われる言葉ではないらしい。
こういう日があるからこそ、毎年の様に一瞬でも想い考え
人にはわからない小さな幸せの欠片にだって
感謝する気持ちになれればそれが大事。
そして戦争や大地震で得た大切な記憶や教訓を風化させてしまわないように
次の世代に伝えてゆく使命が僕ら大人にはあると思う。
とても偉そうだけど、そう思う。
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今日の一曲-------------------------------

夏川りみー花になる(2000)YOUTUBEより拝借
私ごとで恐縮ですが。りみちゃんの「花になる」。
特に今日のテーマに沿っているわけではないけれど
このブログで8月6日の事を書いていた時、ふと
この曲にしようと思った。
シングルは2000年の発売だけど、この吉川忠英氏アレンジのアコースティックバージョンは
その次のシングル「涙そうそう」のカップリング。
当時の僕のデモテープはむしろこちらのテイストに近かったように記憶する。
曲先で書いて、作詞は田久保真見さん。
こういうテイストの曲は歌詞が先の方がいい場合もあるけれど
当時僕も何か適当に言葉をはめながら作った覚えがあり
サビの後半のハミングな感じと解決のしかたなどが自分でも妙に気に入って
こりゃいい!と手を打ち、本当に手前味噌の状態だった。
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ちなみにこの”手前味噌”という言葉。
なにげに使っていたが、調べてみたら
「手前味噌という際の「手前」は自分のすぐ前という意味ではなく
自家製や自前の事をさす。
味噌という言葉自体に「自慢」の意味が含まれる事から
自分を自慢する言葉として「手前味噌」が使われる様になったらしい。
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恐縮です。
今日もまだスッキリと取れない朝ですが
週末の静けさの中 本日も穏やかな一日になりそうです。
みなさんおはようございます。
そして本日8月6日は広島に原爆が投下された日。
昭和20年と言えば僕が生まれる13年前の1945年。
父が「この建物の頭の上で原爆が爆発したんで。よ~覚えとけ~よ」と
言っていたのを思い出す。

僕の実家からは車で15分ほどの原爆ドームですが
小さい頃は、この場所に来るとなんだかとても恐かった。
小学生の頃の課外授業でドームの近くに建つ原爆記念館を見学した時には
見るものひとつひとつが童心に重く
熱で溶けたジュースの瓶や熱で折れ曲がった丸い腕時計
それから火傷の子を背負った傷だらけの母親のオブジェなど
恐くて恐くて友達と離れない様に、
そしてとにかく早くこの場所から去りたいと思ってた。
広島市内から約1時間程車を北に走らせると吉田という町があり
当時中学生だった僕の母親はそこで生まれ育った。
今でこそファミレスや大きな多目的集合スーパーなどが出来ているが
当時は田んぼと畑と小さな商店街しかない典型的な田舎の町だ。
そんな山間(やまあい)の町から
広島市内の方向に原爆のキノコ雲が見えたと言っていたから
その光景は相当なものだっただろう。
それからと言うもの、中学校の裏山に焼けただれた多数のご遺体が
トラックに山積みで来る日も来る日も運ばれてきたかと思えば
その場所でメラメラと魂の揺らぐ
数えきれない程の火の玉のようなものを初めて見たと言っていた。
世代は移り、今となっては当時を知る語り部の方たちも年々減り
戦争をしらない子供達だった僕達ももう50歳を越えた。

そして先の大地震。
直接的な被害だけにとどまる筈もなく
米や肉や野菜や、それこそ命の源の土や水までが汚染されて
まさに自国が自ら爆弾を落としたに等しい。
これからまた復興そして再生の日々が続く。
色んな事を記し念じる”記念日”という名が相応しいかどうかはわからないが
喜び事だけに使われる言葉ではないらしい。
こういう日があるからこそ、毎年の様に一瞬でも想い考え
人にはわからない小さな幸せの欠片にだって
感謝する気持ちになれればそれが大事。
そして戦争や大地震で得た大切な記憶や教訓を風化させてしまわないように
次の世代に伝えてゆく使命が僕ら大人にはあると思う。
とても偉そうだけど、そう思う。
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夏川りみー花になる(2000)YOUTUBEより拝借
私ごとで恐縮ですが。りみちゃんの「花になる」。
特に今日のテーマに沿っているわけではないけれど
このブログで8月6日の事を書いていた時、ふと
この曲にしようと思った。
シングルは2000年の発売だけど、この吉川忠英氏アレンジのアコースティックバージョンは
その次のシングル「涙そうそう」のカップリング。
当時の僕のデモテープはむしろこちらのテイストに近かったように記憶する。
曲先で書いて、作詞は田久保真見さん。
こういうテイストの曲は歌詞が先の方がいい場合もあるけれど
当時僕も何か適当に言葉をはめながら作った覚えがあり
サビの後半のハミングな感じと解決のしかたなどが自分でも妙に気に入って
こりゃいい!と手を打ち、本当に手前味噌の状態だった。

ちなみにこの”手前味噌”という言葉。
なにげに使っていたが、調べてみたら
「手前味噌という際の「手前」は自分のすぐ前という意味ではなく
自家製や自前の事をさす。
味噌という言葉自体に「自慢」の意味が含まれる事から
自分を自慢する言葉として「手前味噌」が使われる様になったらしい。
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恐縮です。