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適当論

2006-05-01 | 
タレントの高田純次 著


テレビに映る高田純次と言えば、適当で無責任な事ばかり言ったり、

やったりしていて悩みもなく、とてもお気楽に生きているような

イメージではないだろうかw。


それでいてタレントとして確固たるポジションを築き、息の

長い活躍、人気もそれなりにある。



しかし、ただの適当、いい加減な人ならば、スグにテレビの

画面から消えてしまうだろう。


そうならないのは、やっぱりそれなりのことを考え、常に

自分自身と闘っているからに他ならない。


芸能界には自分とキャラのかぶる人はいないという自負もある。




1971年に自由劇場の舞台を見て俳優を目指して入団。

同じ研究生仲間だったイッセー尾形と劇団を結成するも

半年で解散。

サラリーマンをやったあと1977年劇団「東京乾電池」に入団。

紆余曲折を経て芸能界に入った。





こういう厳しい時代だから、生真面目な人にとってはとても

生きずらい世の中である。


高田純次のように毎日、笑いながら楽しく暮らせたらどんなに

良いだろう、と最近ではそんな高田純次に憧れ、彼のように

なりたいという人達が増えているのだとか。



そういう人達の為に「高田純次」が、よりよくわかるように

書かれた本である。


精神科医の和田秀樹氏との対談方式で、精神科医の目から

専門的に見た「高田純次」という人間を、いろんな角度から

分析、暴いていく。



当然の事ながら、生まれ持った楽天的性格以外にキャラクター

として、適当や無責任を演じている部分もたくさんある。


彼の持論は「適当とはバランス」である。

つまり成功と失敗、幸福と不幸をバランスで見ており、成功のあとに

は失敗があり、不幸のあとには幸福があるという認識。


現実は否定せず、全て肯定するという。

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何でも面白がってやってきた。

疫病神はいっこうにめげない自分を「張り合いのないヤツ」と

見限って、他のヤツを探してどこかに行ってしまった。

そうこうしているうちに遠くから眺めていた福の神が「変なヤツ」と

顔を覗きにきたと考えている。

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このほか、そういう経験を通して身につけた「3番手主義」、

「3無主義」(かつての若者を評した無気力、無関心、無感動、

ではなく無知、無恥、無節操)などの紹介。



どうすれば「適当」「無責任」でも愛されるのか? 

人生を明るく楽しいものに変えたいと思う人には、いいヒントを

与えてくれるかもしれない。


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