大山康晴全集の謎

2006-10-04 00:21:49 | 倉庫
 大山康晴全集(1991 毎日コミュニケーションズ 全三巻 補遺には三巻以降の1992年度~1993年度を収める)には不可解な点がいくつかある。
(1)1979年初頭の時間の短い対局が集中的に洩れている
(2)1953年度以前の棋譜の対局日時が明確である
(3)新聞発表のものと比べての手順前後が十段戦で目立つ
 なぜこのようなことが起きたのか勝手な推測をしてみた。
 まずこの全集の棋譜は連盟や新聞社が出してきたものではなく、大山自身がつけていた記録から起こしたものと思う。(2)ゆえにそう思う。これは他の棋士にはまず見られないことで、連盟が全記録をつけることにした1954年度より前の対局日時などはかなりいい加減なものである。木村義雄や升田幸三の全集でも実際の対局日ではなく、掲載開始日や掲載号の日付がそのまま対局日とされていることが多い。大山の対局についてはそういうことがなく、掲載より幾分前の日付がしっかり載っている(こういうのは他には建部和歌夫くらいだと思う)。
 その前提で(1)と(3)について推測。(1)は大山の多忙ゆえに記録を取る時間すらなかったのだろう。この時期は関西将棋会館建設のために動き回っている時期で、対局も関西に出向いていることが多い。早指戦やNHK杯の記録も他の時期はしっかりしているので、何かこの時期特有の理由を見出すとすれば、多忙、以外にはなさそう。(3)はなんだろう?どの棋戦にもそれなりの手順前後が見られるならば大山の記憶違いによるもの、と思うところだが、十段戦だけが突出している。これは升田や中原の記録にも見られる傾向で、読売の将棋担当の能力が足りなくて単に間違えていたか、あるいは意図的に改竄でもしていたのではないかと、ちょっと意地の悪い想像をしたくなる。蓋然性のある推測は思いつかない。

脱線1
昨年発売された升田幸三全局集、少し問題がある。漏れが多い。新聞発表より後に対局したことになってしまう日付がある。東の他の仕事でのデータの扱いはしっかりしているので、他の人が担当したと思いたい。
脱線2
年表をググっていたら関西将棋会館の将棋史年表がひっかかった。中を見てみると近世以前が木村義徳『持駒使用の謎』(2001 日本将棋連盟)べったりの内容。木村自身が批判していた囲碁四千年の歴史に少しでも追いつこうという涙ぐましい努力だ。

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