大正十三年東京朝日新聞第47局

2006-12-12 20:49:12 | 棋譜
開始日時:1924/12/01
棋戦:その他の棋戦
戦型:角交換その他
先手:萩原 淳
後手:根岸 勇

場所:東京市麹町区平河町「関根将棋所」
*放映日:1924/12/01-07
*棋戦詳細:(東朝)高段名手勝継将棋
*「萩原 淳四段」vs「根岸 勇四段」
▲7六歩 △3四歩 ▲5六歩 △5四歩 ▲2二角成 △同 銀
▲5三角 △6二銀 ▲8六角成 △5二金右 ▲7七馬 △3三角
▲6六歩 △3二金 ▲6八銀 △4一玉 ▲5八飛 △5三銀
▲5七銀 △4四歩 ▲4六歩 △2四歩 ▲3六歩 △2三銀
▲3七桂 △2二角 ▲2六歩 △4三金左 ▲3八銀 △3二玉
▲4八玉 △6四歩 ▲7五歩 △6三金 ▲7六馬 △8四歩
▲3九玉 △7四歩 ▲7八飛 △7二飛 ▲8六歩 △6二銀
▲7四歩 △同 金 ▲7五歩 △7三金 ▲2八玉 △3五歩
▲5八馬 △6五歩 ▲3五歩 △6六歩 ▲同 銀 △4五歩
▲5五歩 △6四金 ▲6八飛 △6五歩 ▲同 銀 △5五金
▲6三歩 △5三銀 ▲4五桂 △4四銀 ▲6二歩成 △同 飛
▲5四銀 △6六歩 ▲6三歩 △8二飛 ▲4三銀成 △同 玉
▲7六馬
*掲載は7七馬
△6五銀 ▲5六歩 △5四金 ▲8七馬 △7六歩 ▲5八金左
△3五銀 ▲3六歩 △4四銀 ▲5七金 △3四銀 ▲6六金
△同 銀 ▲同 飛 △4五銀直 ▲同 歩 △6六角 ▲7六馬
△6五歩 ▲6六馬 △同 歩 ▲4四金 △同 金 ▲同 歩
△3三玉 ▲5五角 △3七歩 ▲4三歩成 △同 玉 ▲4四金
△5二玉 ▲5三銀 △6三玉 ▲7四銀 △7二玉 ▲3四金
△3八歩成 ▲同 金 △7三歩 ▲6三銀打 △7一玉 ▲6二銀右成
△同 飛 ▲同銀成 △同 玉 ▲2二飛 △5二銀 ▲6三歩
△6一玉 ▲2一飛成 △4一歩 ▲5四桂 △5三銀打 ▲6二歩成
△同 銀 ▲同桂成 △同 玉 ▲6三歩 △7二玉 ▲2二龍
△3二歩 ▲同 龍 △2七銀 ▲同 玉 △5七飛 ▲3七銀
△4二角 ▲同 龍 △同 歩 ▲6二歩成 △同 玉 ▲3五角
△5三歩 ▲6三歩 △同 銀 ▲5七角 △2九飛 ▲1八玉
△4九飛成 ▲6三銀成 △同 玉 ▲3九銀 △1五桂 ▲2八銀引
△4七金 ▲2九銀 △1四桂 ▲3五角 △4五金 ▲6五飛
△7二玉 ▲7三角成 △同 桂 ▲4五飛 △3八金 ▲4九飛
△同 金 ▲3八銀直 △7八飛 ▲4五飛 △5八角 ▲4二飛成
△8三玉 ▲4七歩 △7五飛成 ▲6五歩 △3七歩 ▲同銀直
△3九金 ▲3八金 △4九角成 ▲1六歩 △3八金 ▲1五歩
△2八金 ▲同銀引 △1七銀
まで190手で後手の勝ち
113手目~117手目の銀には何もついてません。見ればわかるでしょってことなんでしょう。
以前、根岸の死期を知りたいと書きましたが、ここへ来て変な情報が。2007年1月号近代将棋の漫画では三段のまま1919年末の木村義雄との二局から間もなく、療養生活に入りそのまま死んだような描かれ方をしています。(近将お得意の誤植ではなさそうです)漫画の原作は監修の武者野勝巳六段です。なぜあのような描き方になったのか邪推をしてみました。話の基本になっているのは木村義雄の将棋一代、棋譜は木村義雄実戦集と思います。将棋一代では、木村は根岸との三段への昇段争いで先んじることができたと書かれており、実戦集の一巻では根岸が早世したことにも触れられていたと思います。そのあたりから、根岸が間もなく死亡したと原作者は思い込んだのではないでしょうか?他に三段で死亡したという(木村名人や金九段による)口伝や著作があるとすれば同情すべきでしょうか。実戦集に根岸四段vs木村五段の対局も収録されているので、少しは調べて欲しかったなあと思います。

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