誤差逆伝播の記事がランクインしてたんだが
ヒトなどの生物の場合 AIのように予め単純な「正解データ」基準によって学習させているのではなく
生物の場合は最初から感覚器からの入力や大脳辺縁系による情動バイアスによって「嫌なことを避けて 気持ちよくなることを学習」するようになっていて
扁桃核による好き嫌いを満たすための「手段」として物事を識別するようになるのであって AIの場合は識別そのものしか学習させていないという違いがある
自動運転AIは 予め「危険とはこういうものだ」という「正解データ」を学習させているだけであって 「なぜ危険だといけないのか」を理解してはいない
しかし ヒトの場合は危険だと取り返しがつかなくなるから危険を回避するためという目的のために手段として危険を認識しようとするのであって
動物的には「怖い」とか「痛い」とか「苦しい」ことから逃げようとするための手段として様々な識別能力を獲得しているのである
しかし スズメやペンギンが集団につられて行動するのと同様に ヒトもまた集団につられて8割がイジメを傍観放置するのであって 動物的には「怖い」かどうかで行動が決定しているのであって 「危険かどうか」を論理客観的に理解して行動しているわけでもない
だからこそイジメは暴走的に過激化してしまうのである
それは自動運転AIが学習していない危険を危険として認識していないのと同じようなものである
イジメをやっている加害者達は 本当は「自分がなぜイジメをしているのか」を理解していない
東大刺傷事件の17歳も 「自分の行動を理解把握していない」のである
ちゃんと医学的意識はあって 名前も年齢も住所も言える状態であるにも関わらず 自分の行動を理解していないから暴走するのである
荒川河川敷の道路を自転車で走っていると 草むらにスズメの群れが隠れていることがあって 最初に一羽が飛び立つと他の大多数もつられて同じ方向に飛び立つもんだから 自転車の直前を大量に横切ることがある
スズメは危険かどうかを「考え」て認識しているのではなく 「皆が飛び立ったから怖くなってつられて飛んでいる」だけだから 自転車の直前を大量に横切るような行動に陥るのである
スズメの場合は「何度か天敵に喰われてみる」という経験はできないので 主観(情動)的に「怖い」と思ったら反射的に逃げ出さなければ生き残ることができない
その行動が合理的かどうかなど 「考え」て認識している暇など自然界では通用しないのである
振り込め詐欺に騙されるのも同じメカニズムで 主観(情動)的恐怖を解消することが優先することによって 詐欺師の話を鵜呑みにしてしまうのである
ことほど左様に 情動というものは時々合理性のないバカみたいな危険行為を促してしまうことがある
ヒトも含めて動物の脳というのは 安心と安全の区別が明確につかない性質が先天的にあって だからこそ主観によって促される「錯覚」によってヒトは間違った行動に陥ることがあるのだ
動物の場合はそれでも良い
別にイワシがカツオに喰われようが それで生態系が維持されているのならば ヒトが関与するようなことではない
しかし ヒトの場合はそうはいかない
「他人を助けないと 自分も助けてもらえない」といった合理性に基づいた判断に限らず そもそも「近所の小学生が酔っぱらいに轢かれて亡くなってしまったら生きている意味がわからなくなる」から安全を優先するのである
社会持続可能性がないのに 自分が生き続けても意味がないから 社会安全性の為なら死んでも良いと思うのである
だって どうせ必ず最後は死ぬんだもの
衆愚からバカにされようとも 少数異端だと排除されて野垂れ死にしようとも どうせ死ぬなら真理のために死ぬべきである
嘘やデマや大衆観念に迎合して生き延びるくらいなら 真理のために死んだ方が「人間としての尊厳」というものである
「真理を大切にする」というお題目を唱えても 呪文じゃねぇんだから唱えただけじゃクソの役にも立ちゃしない
フリードリヒ:ニーチェは「信念は真理の最大の敵」だとか言っていたが 信念に客観的合理性があるかどうかが問題なのであって 「実証不能の観念を振り回して」しまうのは信念に客観的合理性や根拠がないのが原因である
バカみたいに何の信念も持たずに名言っぽい話を鵜呑みにしてりゃマウントとったような錯覚に陥って満足するんだろうけども それは「ブタの皿」ってもんだよ
それこそが社会的生活習慣病というものである
Ende;