東京電力福島第一原子力発電所においては 津波に対する脆弱性を放置し 組織の利益を優先し 自律的な社会的責任を負わない方が その環境においての「適応」にはなる
日本大学の組織内部においては 田中英寿理事長による腐敗組織体制に同調迎合忖度服従しておいた方が その組織内部においては「適応」したことになる
イジメの蔓延している学級においては イジメに加担して加害者側に回るか 傍観放置して無視する方が その学級内においては「適応」したことになり 適応できなければ死ぬ(淘汰される)のである
これらの淘汰圧力は 集団組織の温存や 統率的協調性による「大きな力」を発揮する上においては有利に働くが 安全性や公平性においては逆効果となる
子供達だけで放置しておくと イジメや差別は勝手に発生する
イジメや差別はヒトという種の生物の先天的本能習性であり 特定の「怖い」相手に忖度し 媚びへつらい同調迎合して服従することによって 統率的協調性をも発揮するようになるという 動物的な本能習性による行動バイアスの結果である
ヒトは文明を築いてから「王」を頂点とした封建的社会を構築してきた
ローマ帝国時代などでは 民衆は奴隷の殺し合いをエンターテイメントとして求め 暴君による他国への圧政こそが自分達の利益となるため 激しい戦争を繰り返してきた
それは近代になっても武力を用いた威圧こそが安全保障だと錯覚し 自国の軍隊の増強の正当性を主張し 一方で他国の軍備は「地域の安全を脅かす」などと批難するのである
現代においても 梅沢富美男が「こんな奴は死刑にしちまぇ!」と 怒鳴り散らしても衆愚人気は得られる
これらを見てもヒトというのは暴力によって誰かに懲罰的抑圧をかけていれば「解決」だと錯覚する習性が存在しているのは明らかである
ナチス政権やプーチン政権といった腐敗した独裁政権が作り出されるのも 決してドイツ人やロシア民族にのみ見られるものではなく ヒトでありさえすればカンボジアでも日本でもミャンマーでも 世界中どこでも見られるものなのである
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験による検証結果に対し 一般普通のヒトは「自分には関係がないことだ」「特殊な条件でのみ生ずる現象に過ぎない」と勝手に分類し 他人事として意識から外して「なかったこと」にするものである
その方が「気分が良くなる」からである
主観的に「気分が良くなる」ことだけを信用するということは つまり自分の先天的情動や 生育環境としての社会から刷り込み学習された「常識」に基づいた好き嫌い判断を 絶対的に正しいものであるという観念に基づいた行動である
ヒトは誰しも自分の意思で産まれてきたわけではない
自分の遺伝子も自分では選べず
その遺伝子によって作られた自分の脳も 情動を作り出す大脳辺縁系の構造も 自分の意思とは無関係に作られたものに過ぎず
生まれ育った社会や時代といった環境から刷り込み学習させられたあらゆる価値観も それだけでは何の選択可能性の論証にもならない
選択可能なのは 論理客観的根拠に基づいて どの価値観を優先するかにのみ存在するのである
安全で持続可能で 公平で平等な社会 それなしには個人の生き続ける人間としての存在価値などあり得ない
どんなに自分が置かれた環境に「適応」して利己的利益を得ようとも 最終的には必ず死ぬのであって 過剰な「適応」は結局社会を崩壊に導いてしまう無責任な行動にも陥ってしまうことになり 最終的には合理性が何もない
ヒトには個性というものがあり 人それぞれ能力や好き嫌いに違いがある
個人的好き嫌いだけで他人を差別してしまえば公平性は失われてしまうが 能力の違いを相互に補い合えば より安全で公平な社会を作ることも可能となるのである
ヒトは 「差別は良くない」と知りながらも 残虐な無差別殺人犯に対しては「死刑にしちまぇ!」と短絡的に「処分」すれば「解決」だと思ってしまうものである
ウクライナの刑事裁判では 最高でも終身刑だと言われているので 死刑制度は廃止されているらしい
21歳のロシア兵を終身刑にしたら ロシア兵による虐殺の原因究明や再発防止になるかと言えば ならない
論理的相関関係が何もないからだ
そもそも兵隊というのは命令に対して盲目的に忠誠忠実に服従するよう「訓練(学習)」させられているのであって 自分で物事の善悪を判断しないように訓練されているからこそ 戦争などというバカげた殺し合いにも便利に使えるのであり
それは独裁政権下におけるウクライナ武装警察が市民への実弾発砲をしたことと同じことである
ヒトには先天的に「上」と見なした対象に対する盲目的服従性が存在し これが祖先の生息環境においては「繁殖の継続」において有利に働いた結果として 遺伝子が拡がったのであって
より盲目的に権威に服従し 封建的順位序列を甘んじて受け入れる卑屈さ 権威に対する媚び諂い 「畏敬の念」 「滅私奉公」といった忠誠忠実さに対する美徳(主観的快楽)によって促されるバイアスによって ヒトは自分が属する集団組織の利益を優先することによって 個人は自律的な社会全体に対する責任判断選択を簡単に放棄する原因ともなるのである
政府に対する盲目的服従性に過ぎない特攻隊に対し 「特攻隊が命がけで戦ったから 今の平和がある」などという根拠のないこじつけをすることで「英霊」などと称した評価をしたがるが
政府が無駄に戦争を長引かせるために利用されただけの搾取のことを 都合良く解釈し過ぎである
宗教というものは 決して個人が自律的に社会の安全や平和 公平性や格差解消を目的としたものではなく
単に個人的 利己的に 自分の主観的気分が良くなるように盲目的に「信じたい」ことを信じているに過ぎない
宗教者は決して異教徒を受け入れず 公平や平等を望まず 差別排除による満足ばかりを求めようとするものなのである
中東由来の一神教の信者は 「神がいないのであれば 何をしても許される」などと言い出すものである
「許す」「許さない」の問題は 「許してくれる対象」ありきの話であって 自律ではなく他律の問題へのすり替えに他ならない
神の有無に関わらず 「人間」として必要なのは自律的な社会的責任判断選択であって 神の有無は人間性とは無関係である
神は所詮ヒトにとって「他人」でしかない
特定の個人を崇め敬って盲目的に信頼しておけば 自分の頭で物事の真偽を判断しなくても済むと そう「思って」いるからこそ実証不能の神にすがっていないといられない
そういう先天性の中毒に過ぎない
ヒトの問題は ヒトが解決しなければならないのであって 他人に過ぎぬ神に何を期待しても無駄である
ロシア人の大半がプーチン政権を支持するのも ロシア正教に基づいた宗教的盲信が背景にある
それは日本軍が天皇崇拝を利用したのと同じような手口であり ナチスが優生学を盲信したのも同じである
左側頭葉の一部に強力な磁気刺激を与えると 「神を感じる」と言われているが 「神を感じて」いるということは それが快楽だから「神」だと感じているのであって 気分が悪ければ「悪魔を感じる」ことになる
ヒトは哺乳類であるために 産まれてくれば初期的には「親」に頼り 服従し 好むように先天的に情動バイアスが働くように出来ている
その情動行動を促すコラムが左側頭葉の一部に組み込まれており シーケンシャルに「上」と見なした対象への服従や忖度の行動として促されるように出来ているのである
ネコはイヌのような集団統率的協調性までは発揮されないものの やはり順位序列は存在し よりケンカの強いオスの方がメスを独占できることになり これが結果的にケンカの強いオスの遺伝子が拡がることになったのである
イヌの場合にも 統率的協調行動によって獲物を捕らえたりはするものの 結局繁殖行動が出来るのは群れのボスだけであり やはりより強い個体の遺伝子だけが拡がった結果 それが生息環境において「繁殖の継続」に適したという結果でしかない
イヌやネコに限らず 草食獣でもオスはメスを巡って争い 結果的に身体が大きくケンカの強い個体への収斂進化が環境に適応したという結果を導いたのである
そして こうした暴力性はサルにもヒトにも受け継がれ 現代社会においては金儲け能力の高い個体の遺伝子が拡がりやすいという結果をもたらし より他人から効率的に資産を独占することの得意な個体変異への収斂進化を促したことで ヒトは社会格差が拡がるような利己的な世間的成功ばかりを求めるように「進化」したのである
組織が腐敗していようとも 嘘や欺瞞に満ちた独裁政権であろうとも それに忖度し服従しておいた方が その政権の中では「適応」したことにはなり 結果的にプーチンは大統領になったのである
結果的に日本大学理事長になれた田中英寿も同じであり 独裁体制というものは それを支える体制内部の個人の自律判断の欠如によって作り出されるものであり
「組織は頭から腐る」というのは 組織を構成する個人の責任逃れの「はぐらかし」や「言い訳」にしかなっていない
ナチス政権に対しても ヒトの大半はヒトラーだけが異常だったかのような「解釈」をしがちで ヒトラー一人の洗脳能力こそが異常な大量虐殺を引き起こしたかのような解釈をしようとするが 実際には組織に忠誠忠実なだけのアドルフ:アイヒマンのような無意識な部下達によって虐殺は実行されたのであり こうした組織に対する忠誠忠実さというもの 盲目的服従性というものは ヒトでありさえすれば民族国籍によらず ヒト全般に見られる先天的な認知上の欠陥によって促されるものなのである
ヒトは 一度自分が信じた相手を疑おうとはしなくなる性質がある
一度信じた過去の自分の判断が間違っていたことを認めると 自分の頭の悪さを自覚認識しなければならず それが気分的に嫌なので ヒトは「信じたい話」だけを盲目的に信じようとし続けるものなのである
洗脳というものは 洗脳されている状態の方が快楽で安心だから洗脳が成立するのであって 逆洗脳では拒絶反応を引き起こすのは必然的な現象である
カルト宗教の信者に対し 「お前さんの信じ込んでいる教祖は嘘つきだぞ」と言えば 信者は「いや そんなことはない 尊師は間違ったことなど言っていない」と突っぱねるものなのである
それは 振り込め詐欺師を信じた人が 「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」と頑なに言い張るのと同じことであり 自己に対する客観的根拠の何もない主観的「印象」や「直感」だけが優先しているのが原因である
養老孟司は衆愚やマスコミには人気があり 著作が売れて金儲けに成功しているものの 言っている内容には論理客観的根拠は何もないのである
養老が散々主張していた「脳化社会」云々の話というのは 大衆観念に基づいた「都市対田舎」といった短絡的二元論に基づいたものであり 理論的には支離滅裂な話ばかりであり その支離滅裂さを指摘すると 今度は「私は教科書に墨を塗らされた」と称して「間違っていない本なんかないんだから 間違っていたら墨を塗れば良い」などと主張し 一切間違いを訂正しないというふてぶてしい態度を平気で採るペテン師である
酷い場合には 相手がバカだと見積もった瞬間に 「私は禁煙と書かれた看板の前でタバコを吸う ほら 私は脳化していない」などと言い出す始末である
「みなさんは電車やバスを利用するから脳化している」だの まるで電車やバスに乗ることが悪いことであるかのように言い出すなど 何の根拠もない支離滅裂な話で大衆マスコミを煙に巻いて人気を得ているに過ぎないのである
しかも 「客観的事実などない」などという 科学を根底から覆すようなデマを主張しているにも関わらず 大衆マスコミの大半はそれが異常だとは誰も思っていないのである
こうしたペテンは養老に限ったことではなく マルクス:ガブリエルにおいても マイケル:サンデルによる「トロッコ問題」においても見られるものであり 100年以上もイマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容が論理客観的根拠というものを飛躍した実証不能の「悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智界」だのといったオカルトファンタジーに過ぎないことまで誰も信じて疑わなかったのである
ヒトの大半は 教えられたことをただ「知っている」ことを知能だと思っているが
「知っている」だけで自分の頭で考えないなら それは知能でも何でもないのである
何にも気づかない奴は どんなに知識の「量」があってもバカである
そして 学力偏差値も 学歴も 知能の論証にも 人間としての優秀さや序列の根拠にもならない
学歴と同様に 権威肩書もまた知能の論証にはならない
生物学者達が遺伝的進化についての「典型的な間違い」を 論理客観的に訂正しないのは 今まで間違った説明をし続けていた自分達の「不祥事」を黙殺隠蔽するための「はぐらかし」に他ならない
従来の生物学における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」というものは 遺伝的進化というものが万能で目的に則った都合の良い進化を選択可能であるかのような説明の全てである
「擬態は天敵から見つからないようにするため」だとか 「天敵から逃げ切るために逃げ足が速くなるよう進化を選んだ」だとか 従来の生物学の教科書には無数の「間違い」が混入しているのである
その全てを訂正すれば 生物学者はほぼ全員無能者として職を失うであろう
それを嫌がって更科功は「生きているだけでも立派なものなのだ」などという主観を 客観的根拠の伴った科学的論証であるかのように「はぐらかし」ているのである
こうした生物学界の組織的腐敗を認識できない報道機関もまたバカの群れ 烏合の衆に過ぎない
Ende;