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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

自律と甘え。

2011年08月13日 17時07分56秒 | 意識論関連
 以前、「暴動」というタイトルの記事の中で、自発的に「甘え」を断ち切る意思が重要だって書いたことがあるんだけど。誤解があってはいけないので追加しておく。

 子供が親や大人を頼りにすることは必ずしも「甘え」であるとは言えない。あくまで「自発的」に断ち切ることが重要なんであって、単なるネグレクト、育児放棄の理由にはならない。

 子供を無理に放置するというのは、むしろ放置している親の方の自律が欠けている。

 自己自身の「甘え」を自発的に断ち切るようになるためには、親の顔色をうかがわなくてはならないような服従性を植え付けないことが必要。

 親が子供に過酷な強制を行わないことが、むしろ子供自身の「甘え」を断ち切れるようになるための布石となる。

 つまり、「甘え」というのは親大人から強制的に「断ち切らせる」ような環境依存的なものではだめで。あくまで自発的に「断ち切れる」自発性を育むことが先。

 それによって、結果的に自発的に自己自身の「甘え」を断ち切れるようになるのである。

 虐待をされて育った人ほど、自己自身の「甘え」を断ち切ることが困難であり。だからこそ自律的に虐待を止めることができないのである。

 アインシュタインの懸念であった、「人工的権威、力を用いた強制性」こそが、暴動だの振り込め詐欺、通り魔やひったくりの根源となっているのである。

 子供の自発性を重んじることを「甘え」と勘違いしては絶対にならない。どうも大衆観念に基づいた勘違いを自律的には修正できない「甘え」たヒトが多すぎる。雰囲気で行動を決定するのではなく。きちんとした論理的思考に基づいた行動選択をして頂きたい。

 本質的合理性というものも、目先の経済性の追求などではなくて、キチンと社会全体の利益、公益的な視点に基づいて合理的判断をすることが重要なのであり。大衆観念に基づく「利己的な合理性」が本質的には合理性でも何でもないのと同じことである。



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