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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

〇真理の追求なくして人間性は成立しない。

2018年12月01日 01時41分11秒 | 意識論関連
先天的本能習性としては 繁殖不能な幼女を犯して殺害することもあるのだが

こうした本能習性というのは 自己自身で選択したものではなく 無意識な行動バイアスの範疇である

従って 先天的性癖としてペドフィリア(幼児性愛)傾向などがあるからといって いきなり「人間としてダメ」ということにはならない

先天的本能習性として どのような相手と性交したいのかなどの欲求は個人の自律的な意識(論理検証)的行動選択の範疇にはないものであり

どのような欲望であれ 現在時点で自分の行動を選択可能性があれば それこそが人間としての意思なのである

先天的な本能習性というものは 祖先が偶発的に生き残った「結果」以上に意味はなく どんなに強い欲求であろうとも先天的本能習性が促す行動バイアスである限り これは無意識の範疇に該当する

先天的本能習性が促す欲求というものは 状況や環境によっても様々に変化するものであり 一貫性を持った合理的行動選択をむしろ阻害するものでもある

状況や環境に因らずに 自律的に行動選択出来れば この現在時点での選択可能性こそが人間性の本質であり合理的行動選択をする意識だと言える

既に脳に機械学習によって促される条件反射的無意識行動が どんなに非合理で不条理であろうとも それに抗い制御出来れば人間性は発揮可能である

本質意識としての自律的論理検証性が働いていないからこそ その場限りに状況や環境によって促される先天的欲望の流されてしまうのであり 先天的本能習性が促すあらゆる欲望は それだけでは人間の本質的意識とは言えない

ヒト以外の生物では 何をどうしようが先天的本能習性には抗えないが ヒトは精神や脳に異常がなければ自律的に欲求を制御することが不可能ではない これこそがヒトとヒト以外の動物との決定的な違いである

しかし ヒトの全てが常に自分の欲望を合理的に選択出来るわけではない

だからと言って他人をランクづけして優劣で選別するような野蛮な行為に人間性はない

ヒトの人間性というのは遺伝によって先天的に決定しているわけではなく 人間性で選別しても遺伝的進化のようなものが促されるわけでもない

人間性というのは先天的に決定しているのではなく あくまで自律的論理検証性によって合理的行動選択を行うことであり 他人をランクづけすることに合理性はない

ヒトの多くが他人をランクづけしたがるのは それによって自分の評価が上がるという妄想錯覚に由来する強迫観念からである

ヒトが他人からの評価を求めるのは 元は親からの評価承認の癖(甘え)によって醸成された中毒であり 子供時代に親から甘えることを許されずに 親からの評価ばかりに怯えて育つことによって 満たされなかった甘えを社会に求めるようになることで承認欲求中毒に陥るのである

親子関係に強烈なヒエラルキーがあった場合に ヒエラルキー意識(無意識)を機械学習してしまうことによって 順位序列や勝ち負けだけが絶対的正義として植え付けられ 自律的に物事を論理検証する本質的意識も喪失することになる



他人からの評価を基準にしている限り 自律的に物事を判断する能力は養われることはない

江川紹子女史は以前 「他人から見て恥ずかしくない行動をしたい」と述べていたが これは江川紹子女史が「誰から見て恥ずかしくない行動」を自律的に選択出来るから成立する話であって

糞DQNが「何も考えていないバカな多数大衆や糞DQNから見られて恥ずかしくない行動」とは 他人の迷惑を一切省みない糞DQNの正義に基づいた行動選択しか促すことはない

SNSに溢れかえる悪ノリ投稿が後を絶たないのは閲覧回数で得られる利益や目立つことばかりが目的だからである

評価承認中毒患者が評価承認に異常な執着をするのは それが中毒だからに他ならない

評価承認にあまり興味のない者にとっては 別にSNSの「いいね」には大した快楽も得られることはない

他人からの評価に興味が薄ければ 多数からの同調圧力や組織体質に流されることなく 自律的に物事を判断することも可能となる

アスペルガー傾向など 先天的に多数派同調圧力に興味が薄い場合もあるのだが 先天的欲求に流されることなく自律的に判断出来る選択可能性が人間性であることに違いはなく 別に先天的に興味が薄いからといって人間として優れている論証には全くならない

人間としての価値とは 他人と比べて特定能力を比較することで測れるようなものではなく あくまで自律的に自らの先天的欲求を制御出来るかどうかによるものであって これもまた他人と比べて順位序列をつけられるわけではない

一生のうちに資産をどれだけ集められたとか 何年生きたとか クイズの正解率や既存の学歴学位を他人と比べて競争することが人間としての存在価値や尊厳には全くならない

バカが治らない原因とは 自らの頭の悪さを認識することを反射的に拒絶する無意識さであり 「自分は頭が良いはずだ」という錯覚に中毒になっているから自分の頭の悪さを認識することが出来なくなるのである

それは カルト宗教の信者達が自分が既に信じ込んでいる神に疑いを持たなくなるメカニズム構造と一緒であり 学力偏差値に対する一種の信仰によって 他人との順位序列にも何の疑いも持たなくなるのである

それは形式上科学に関わる組織であろうとも 誰も何も論理検証されることがないのであれば科学や哲学からは逸脱してゆくだけである

権威と多数派からみなされている相手から教えられたことを ただ漫然と鵜呑みにしているだけで何ら自律的に論理検証しないからこそ 科学が宗教のように盲目になってしまい その社会的機能を喪失してしまうのである



Ende;

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