個人の利益を追求するために学問があるわけではない
多数他人から評価されて世間的成功をするために学問があるわけではない
学問というのは既存の学術権威からの評価を得ることが目的ではない
目的意識とは 自発的論理検証によって合理性のある行動選択のためのものであって
これは自己の様々な情動の中から客観的合理性に基づいて選択するものであり 目先の情動の程度や強度に無意識に流されているから 主体的目的意識を喪失することになる
勝ち負けや順位序列を競うのは それが個体の生存価にとって有利だからであるが 個体が利己的に有利さを追求している社会というのは持続可能性や安全性が蔑ろにされてしまうものである
生存価というものは利己そのものである
利己的利益追求というのは 個体の生存価と同義であり 個体の生存価にとって有利な行動だけを追求すれば 必然的に社会的安全性は無視されることになる
多数他人や権威からの評価承認ばかりに意識を奪われていれば 社会安全性は自発的には追求されることはなくなる そもそも他人からの評価承認自体が本質的には自発的ではないからだ
生物学における遺伝的進化のメカニズムというものが あたかも全て合理性を伴った完全無欠の万能の願望器か何かと勘違いしているからこそ アダム:スミスの言った「見えざる神の手」などという根拠のない妄想神話を鵜呑みにすることになるのである
遺伝的進化が起きるためには 生存に適した個体以外が全て死滅する必要性がある 現在の社会の貧富格差というのは 自然界における淘汰圧力を経済に導入しようとした資本主義の必然的結果に過ぎない
つまり 資本主義というのは無数の貧困者を淘汰することで 金儲け能力が高い者だけが生き残るためのものなのである
「個人が利己的利益を追求しておけば自動的に社会全体が潤う」という 論理的には何の根拠もない妄想神話を鵜呑みにしているからこそ 貧富格差の拡大が止まらないのである
ヒトという種の生物は 多数や権威に服従同調迎合しておけば気分的に安心して何も考えなくなる 逆に言えば服従同調迎合に対する強迫観念に意識を奪われることにより自発的論理検証に意識が働かなくなるのであろう
オイラにゃそんな強迫観念があんまりないので ようわからん
多数派でよってたかって個人攻撃さえしておけば 全てが解決したかのような錯覚が「正義」の正体であり
刑罰という非合理な社会制度を「解決」だとみなして それ以上何も対策しない だから根本治療にならず 何度も同じような過ちを繰り返すことになるのである
学力成績評価こそが「救い」か何かと勘違いし 盲目的に教えられたことを鵜呑みにしていれば安心になる しかし その安心というのは盲目性が作り出した神話錯覚に過ぎない
論理的には「人が人を殺してはいけない理由」などないのだが
「人と人が殺し合うような社会に生き続ける理由」もまたないのである
生存というのは生物の結果であって 目的ではない
人間の存在意義というのは生存とは関係がなく 存在としての尊厳というものは生存価にとって不利になることも珍しいことではない
マハトマ:ガンディやルーサー:キング牧師などの非暴力主義という一方的な大人対応をしなければならなくなるのは 大多数の平均的な大衆が暴力的であることが原因である
生存にとって不利な行動選択に至ったからといって 人間としての尊厳が失われるわけではない
たとえその場限りに生存にとって有利な行動選択をしたからといって 永遠の命が得られるわけではない
人間としての尊厳においては「どう生きるか」というのは 「どう死ぬか」と同義なのである
何やら観念的に悩ましい話を読んで 悩ましい気分に陥ったことを短絡的に「自分は頭を使った」と錯覚して その錯覚で短絡的に「自分は何かを考えた」と勘違いし「自分の頭は良くなった」と妄想するのは簡単である
それはとても簡単なことであるため 大衆から人気を得られるのである
ヒトの大多数は先天的な社会形成習性が促す強迫観念行動バイアスによって 多数派に同調し 権威に服従していないと不安で仕方ないため 自律的な社会的責任判断との葛藤で悩み苦しむことに陥るのだが 「悩んで」いる時点で既に人間性としての自律的な社会的責任判断を放棄する気だろうが!
だから「煩悩」っつうんだよ!
人権のために命懸けで活動した偉人達を褒めたたえておきながら いざ自分の選択になると「悩み」苦しんだことを「考え」たと勘違いして満足する
それを「バカ」という以外にどう形容すりゃ良いのか オイラにゃさっぱりわからんわ
Ende;
多数他人から評価されて世間的成功をするために学問があるわけではない
学問というのは既存の学術権威からの評価を得ることが目的ではない
目的意識とは 自発的論理検証によって合理性のある行動選択のためのものであって
これは自己の様々な情動の中から客観的合理性に基づいて選択するものであり 目先の情動の程度や強度に無意識に流されているから 主体的目的意識を喪失することになる
勝ち負けや順位序列を競うのは それが個体の生存価にとって有利だからであるが 個体が利己的に有利さを追求している社会というのは持続可能性や安全性が蔑ろにされてしまうものである
生存価というものは利己そのものである
利己的利益追求というのは 個体の生存価と同義であり 個体の生存価にとって有利な行動だけを追求すれば 必然的に社会的安全性は無視されることになる
多数他人や権威からの評価承認ばかりに意識を奪われていれば 社会安全性は自発的には追求されることはなくなる そもそも他人からの評価承認自体が本質的には自発的ではないからだ
生物学における遺伝的進化のメカニズムというものが あたかも全て合理性を伴った完全無欠の万能の願望器か何かと勘違いしているからこそ アダム:スミスの言った「見えざる神の手」などという根拠のない妄想神話を鵜呑みにすることになるのである
遺伝的進化が起きるためには 生存に適した個体以外が全て死滅する必要性がある 現在の社会の貧富格差というのは 自然界における淘汰圧力を経済に導入しようとした資本主義の必然的結果に過ぎない
つまり 資本主義というのは無数の貧困者を淘汰することで 金儲け能力が高い者だけが生き残るためのものなのである
「個人が利己的利益を追求しておけば自動的に社会全体が潤う」という 論理的には何の根拠もない妄想神話を鵜呑みにしているからこそ 貧富格差の拡大が止まらないのである
ヒトという種の生物は 多数や権威に服従同調迎合しておけば気分的に安心して何も考えなくなる 逆に言えば服従同調迎合に対する強迫観念に意識を奪われることにより自発的論理検証に意識が働かなくなるのであろう
オイラにゃそんな強迫観念があんまりないので ようわからん
多数派でよってたかって個人攻撃さえしておけば 全てが解決したかのような錯覚が「正義」の正体であり
刑罰という非合理な社会制度を「解決」だとみなして それ以上何も対策しない だから根本治療にならず 何度も同じような過ちを繰り返すことになるのである
学力成績評価こそが「救い」か何かと勘違いし 盲目的に教えられたことを鵜呑みにしていれば安心になる しかし その安心というのは盲目性が作り出した神話錯覚に過ぎない
論理的には「人が人を殺してはいけない理由」などないのだが
「人と人が殺し合うような社会に生き続ける理由」もまたないのである
生存というのは生物の結果であって 目的ではない
人間の存在意義というのは生存とは関係がなく 存在としての尊厳というものは生存価にとって不利になることも珍しいことではない
マハトマ:ガンディやルーサー:キング牧師などの非暴力主義という一方的な大人対応をしなければならなくなるのは 大多数の平均的な大衆が暴力的であることが原因である
生存にとって不利な行動選択に至ったからといって 人間としての尊厳が失われるわけではない
たとえその場限りに生存にとって有利な行動選択をしたからといって 永遠の命が得られるわけではない
人間としての尊厳においては「どう生きるか」というのは 「どう死ぬか」と同義なのである
何やら観念的に悩ましい話を読んで 悩ましい気分に陥ったことを短絡的に「自分は頭を使った」と錯覚して その錯覚で短絡的に「自分は何かを考えた」と勘違いし「自分の頭は良くなった」と妄想するのは簡単である
それはとても簡単なことであるため 大衆から人気を得られるのである
ヒトの大多数は先天的な社会形成習性が促す強迫観念行動バイアスによって 多数派に同調し 権威に服従していないと不安で仕方ないため 自律的な社会的責任判断との葛藤で悩み苦しむことに陥るのだが 「悩んで」いる時点で既に人間性としての自律的な社会的責任判断を放棄する気だろうが!
だから「煩悩」っつうんだよ!
人権のために命懸けで活動した偉人達を褒めたたえておきながら いざ自分の選択になると「悩み」苦しんだことを「考え」たと勘違いして満足する
それを「バカ」という以外にどう形容すりゃ良いのか オイラにゃさっぱりわからんわ
Ende;