○論理検証の本質。
論理検証の本質とは、統合的でなければ論理検証とは言えない。
あらゆる可能性を考えられうる限りに検証してはじめて本質的論理検証と言うことができるのであって、断片的な検証だけで満足放置してしまうことは本質的には論理検証ではない。
考えられうる限りまで考えが及ばないのは、問題に対する意識、自発的意欲が欠けているからであって。これが想定外だの検証範囲外といった思考放棄、検証放棄の原因なのである。
「人間とは何か。」への本質的な自発的探究心がない奴に何を言っても無駄である。多数や権威からの評価報酬への反射的行動バイアスでしか行われない研究である以上、むしろ積極的に思考停止に持ち込もうとするからである。
こういう奴はとっとと公的研究機関からは排除しなくては、社会的な負荷にしかならないのである。これは懲罰の類ではなく、合理化である。本質的知能を持たないバカに研究を任せておいてもクソの役にも立たないのであるから、これは観念的な「甘やかし」によって放置すべきものではない。
Ende;