視聴率という「組織の儲け」を優先して嘘を垂れ流しているというのは
言うなれば閲覧数稼ぎを優先する迷惑系ユーチューバーと一緒であり 到底公共放送がやるべきようなことではない
テレビ東京の「やりすぎ都市伝説」は タイトルから「やりすぎ」で「都市伝説」だと宣言しているのであるから これは罪のないファンタジーに過ぎないが 学術権威(肩書)の主張だからと称して論理科学的に間違った内容を垂れ流して視聴率稼ぎをしても良いわけではない
視聴率が短絡的に「業績」として扱われるからといって 「業績」だけを目的として良いわけではない
警察が違反者の取り締まりで点数稼ぎが「業績」としてカウント評価されるからといって 右折禁止の交差点を曲がった先で取り締まりをしているようなものであり 右折による事故そのものを減らすことにはならないのと同じことである
社会的な「本当の目的」を忘れ 目先の「業績」を脳への報酬として条件反射的に求めているから「無意識」だと言っているのである
どんなにNHKの組織内部における「業績」評価を得て報酬が増えようとも 嘘を報道することによって真実が捻じ曲げられていたのでは社会安全性に重大な損害となる可能性が否定できない
「メディア・リテラシー」と称して判断責任の全てが視聴者側に存在するかのように主張することは簡単だが それは間違いや嘘を垂れ流し続けても良い理由には全くならない
NHKは「サイエンスZERO」において ワクチンが全面的に「素晴らしい」かどうかをプロパガンダしていたが これは科学番組として間違った説明の仕方である
科学番組であるならば リスクとベネフィットの両方がどれだけあるのかを説明し 接種の判断は視聴者に任せるべきであって メッセンジャーRNAワクチンがどれだけ「素晴らしい」かどうかは科学とは関係がない主観的印象に過ぎない
2001年9月11日のテロによる貿易センタービル火災においても 航空燃料であるケロシン(灯油のようなもの)では鉄骨が熔けて流れるような現象は起きないはずであるにも関わらず 実際に熔けた鉄のような赤く発熱したドロドロの液体が流れ落ちている映像が残っているのであり 計画解体の陰謀が100%完全否定されているわけではない
ただ ビルのどの階層に航空機が突入するのかを予め予測して施工することも困難であり それでは熔け落ちている鉄のようなものは一体何なのかは結局誰も説明できないのである
アメリカ政府の公式発表においては計画解体の陰謀はなかったと結論付けているものの 陰謀自体がアメリカ政府やその一部によるものであれば 全面的に信用して良い話にもならない
結局 現段階においては陰謀があったのかどうかは「わからない」のである
科学は全てがわかるわけではなく 山梨県道志村での少女失踪事件においてもいくら科学捜査をしても事件の真相はわからないかも知れないのである
それは ヒトコロナウイルスの弱毒化プロセスが「わからない」のも同じであり 「ウイルスが困るから 適応した変異だけがどんどん起こる」などという大手町の医師の主張には科学的根拠がないのである
因果関係はまだ不明とは言え ワクチンを打った数日後に死亡した事例も実際には存在している
「ワクチンは打ちたくない」という判断をしたとしても それは個人の判断に委ねるべきであって プロパガンダ的に「素晴らしい」かどうかを「科学番組」が主張すべきではない
また 言うまでもなくワクチンを打つと判断した人達を妨害する権利もない
そういう「力による一方的な現状変更」という身勝手な正義を振り回すから「迷惑」になるのである
「わからない」ものは「わからない」ものとして判断を保留するのが科学的判断というものであって 「わからない」時点ではどちらにも正義も真理も存在していないのである
養老孟司はこう述べたことがある
「わからないなら わからないなりに わかったとする そういうわかりかたもあるのかと 思っていただければ幸いである」と
これは個人的主観にとって都合の良い解釈を科学的理解と混同させるためのこじつけに利用することができる意味のない話であり 読み手が都合良く気分が良くなるような解釈をこじつけることが可能であるが故に養老は衆愚人気を集めているのである
こうした都合の良い勝手な解釈をこじつけられる話というのはフリードリヒ:ニーチェの「迷言」の数々にも見られるものであり 無意識がでっち上げる「エピソード記憶」を正当化するのに都合が良いから衆愚人気が得られるのである
「信念は真理の敵」だの「できそうにないことは やらない方が良い」だのといった根拠や基準の曖昧な決めつけの方が衆愚には人気を得られるものなのである
Ende;