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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

反省。

2013年08月29日 16時01分56秒 | 意識論関連
○どんなに「反省」しても自律的な社会的責任判断力の保証にはなりません。

 その場限りに反省している風味を装うことは簡単である。演技でなくても、単にその場限りの気分で反省しているだけなら、反省を促されないと反省もしないし、自律的に責任判断も行わない。

 糞チンピラが下手くそなパラパラ漫画に感動するのと同様、その場限りに「反省」しても自律判断力の証明には全くならない。

 外見上その場限りに反省している風味、後悔している風味を醸し出していれば、バカな大人は短絡的に「反省しているから大丈夫、安心だ。」と錯覚するであろうが。これこそが典型的な文科系大衆観念である。

 その場限りの気分感情が行動に直結している短絡性こそが、自律的責任判断の喪失原因であって、騙されている大人の方も無責任であり、同罪である。

 「バカガキが反省しているから、赦してやろう。」などというその場限りの気分だけで判断していることもまた、バカヲヤヂの無責任性を作り出しているのであり、バカである点において全く同じである。

 その場限りの気分的安心と、論理的安全性を履き違えていることは、社会的無責任というものである。

 こういった文科系大衆観念に基づいた、論理的根拠のない身勝手な解釈による無責任な判断をしているからこそ、社会全体から安全性が失われることに陥るのである。

 「気分感情=心」などという短絡的で安易な観念を鵜呑みにしているからこそ、「反省=人間性」などという身勝手な判断をすることに陥るのである。

 気分的に「赦してやる。」というのは、論理的根拠のない個人の主観的観念に過ぎず。個人の主観的判断を、あたかも社会的価値として扱っている時点で、とんでもないペテンと言う他ない。



Ende;

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