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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

泣いてもダメです。

2013年08月23日 15時34分59秒 | 意識論関連
○号泣。

 糞チンピラが鉄拳の漫画見て号泣したからといって、それが短絡的に人間性の証明には全くならない。

 感動しやすいというのは、現実には情動と行動が直結しやすい短絡性を意味するものであって。その場限りの気分で行動が決定する単なるバカに過ぎない。

 DV男が暴力を振るった後、脳内物質の相転移によって外見上急に優しくなるのと同様。その場限りに外見的に感動したり優しくなるというのは人間性の論証ではなく、むしろ動物的な「ヒト」習性が強いことを意味しているに過ぎない。

 糞チンピラが糞チンピラ足りうる所以とは、その場限りの環境依存的に起因する気分感情だけで行動が決定してしまう短絡性であり。「感動したから人間性だ。」などという話は典型的に論理的根拠を持たない文科系大衆観念に他ならない。

 DV男に暴力を振るわれても、相手を「優しい所もある。」などと錯覚するバカ女同様。「感動したから人間性がある。」などと言う話も、実際には論理的根拠を全く伴わない大衆観念的錯覚に過ぎない。

 芸術作品というのは、どんなに多数大衆の大脳辺縁系を「感動」させたとしても、それが短絡的に社会安全性や持続可能性に影響するような社会的意義を持つわけでも何でもない。

 芸術作品というのは、あくまで個人の主観的好き嫌いに依存するものであって、多数派が「感動」する作品に感動しないからといって短絡的に「人間性がない。」ことの論証にも全くならないし。むしろヘタクソなパラパラ漫画に過剰に「感動」する方が異常と言えるのである。

 どんなに芸術的に優れた作品が作られようとも、それをナチス政権下のドイツ人に見せればユダヤ人虐殺が止まるわけでもなく。非情な独裁者に見せて感動させたとしても独裁自体に影響は及ぼさない。

 東電原発安全担当者に芸術的に優れた作品を見せれば原発の危険性が放置されなくなる論理的根拠も全く存在せず。あくまで「感動」などというのは大脳辺縁系が促す気分感情が促す行動バイアス以上の何でもない。

 むしろ芸術作品というものは、オウム真理教が洗脳に安っぽいアニメーション映画を用いたように。被洗脳者の気分感情としての恐怖心、強迫観念を植え付けるのには有効であるが。自律的な論理検証性が促されることはない。

 そもそも芸術作品を鑑賞して「感動した。」などというのは、自発的意欲に起因するものではなく。環境依存的に気分感情を動かされているだけであって、その場限りの雰囲気に流されているに過ぎないのである。

 「感動」などというのは脳内物質の相転移に過ぎず、どんなにその場限りに脳内物質の相転移が生じても、論理的には自律的な社会的責任判断能力とは全く関係がない。

 感動しやすいというのは、気分感情に流され易いことを意味し。イジメを行う心理的な動機としての嫌悪感がイジメという差別排除迫害に直結し易いことと関連がある。

 その場限りにヘタクソなパラパラ漫画に異常に感動したりするからこそ、その場限りに集団に迎合しない個人を差別排除したがるのであって。こうした「その場限り。」の短絡的錯覚を鵜呑みにしているからこそ、問題の本質を論理的に検証出来なくなるのである。

 ヒトの脳は錯覚に流される性質がある。錯覚を錯覚であると自律的に認識できなければ、錯覚に基づいた間違った認識でしか行動が促されることはない。

 同じ過ちを何度も繰り返すというのは、文科系大衆観念的な錯覚を、錯覚として認識していないという非合理性が生み出すものであり。合理性がないから努力辛抱根性的精神論に陥ることになるのである。

 「懲罰さえ与えておけば、犯罪が減る。」などという観念に基づいた固定観念こそが、現在の司法システムの根源的無駄を助長していることを、多くのヒトは全く認識しようとはしないように。「感動さえさせておけば糞チンピラが更生する。」などと思っているから糞チンピラが糞チンピラのまま放置されるのである。

 どんなに気分感情的に「感動」しても、自律的な社会的責任判断力にはつながらない。

 こんな論理的には極めて簡単なことであっても、自律的には誰も気付かない頭の悪さこそが、社会を崩壊へと導くことを認識しなければならない。



 その場限りに気分感情に流され易い者に人間性が伴うというのは、とんでもない錯覚である。

 自律的に社会的責任判断を行うためには、その場限りの気分感情に流されることなく、客観的統合判断を失わない冷静さを伴わなければならない。それこそが社会安全性の基本なのである。


Ende;

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