フリードリヒ:ヴィルヘルム:ニーチェでググると実存主義だと形容しているが
これは頭の悪いエセ哲学者による身勝手な解釈に過ぎない
実存(哲学)というのは主観的な「癒やし」だの「満足」だの「悩みの解消」を得ることが目的ではない
哲学の目的は客観的な真理であり
主観的感覚を客観的真理と区別出来ていない時点で哲学者としてはクソポンコツとしか言いようがない
自己の生存というものを特別に尊大なものだと思う事が大間違いである
養老孟司も「命に関わることは人生において一大事」などと述べていたが
そもそも「生きていること」自体が自己の主体的選択ではなく 「死ぬこと」も同じである
生に対する執着(中毒)に苛まされているから煩悩なのであって
執着したからといって永遠に生きられるわけでもなく
悩むだけ無駄だと悟るべきである
「死ぬのが怖い」というのは主観的感覚であって客観的には自己個人など1/70億の一人に過ぎないのであり さしたる存在意義などありゃしないのである
自分のことを必要以上に社会において存在意義を求めるから 評価が得られないと勝手に憤慨して無差別報復に暴走したりするようになるのである
真理の追求に他人からの評価をアテにする必要性はない
主体的純粋に真理を求めることが哲学や科学であって 大多数がバカで真理を理解出来ないとしても それは大多数がバカであるからに過ぎず 知ったことではない
ガリレオの地動説を誰も理解出来ないとしても それはガリレオにとっては知ったことではない
唯「それでも地球は回っている」と述べるのみである
Ende;
これは頭の悪いエセ哲学者による身勝手な解釈に過ぎない
実存(哲学)というのは主観的な「癒やし」だの「満足」だの「悩みの解消」を得ることが目的ではない
哲学の目的は客観的な真理であり
主観的感覚を客観的真理と区別出来ていない時点で哲学者としてはクソポンコツとしか言いようがない
自己の生存というものを特別に尊大なものだと思う事が大間違いである
養老孟司も「命に関わることは人生において一大事」などと述べていたが
そもそも「生きていること」自体が自己の主体的選択ではなく 「死ぬこと」も同じである
生に対する執着(中毒)に苛まされているから煩悩なのであって
執着したからといって永遠に生きられるわけでもなく
悩むだけ無駄だと悟るべきである
「死ぬのが怖い」というのは主観的感覚であって客観的には自己個人など1/70億の一人に過ぎないのであり さしたる存在意義などありゃしないのである
自分のことを必要以上に社会において存在意義を求めるから 評価が得られないと勝手に憤慨して無差別報復に暴走したりするようになるのである
真理の追求に他人からの評価をアテにする必要性はない
主体的純粋に真理を求めることが哲学や科学であって 大多数がバカで真理を理解出来ないとしても それは大多数がバカであるからに過ぎず 知ったことではない
ガリレオの地動説を誰も理解出来ないとしても それはガリレオにとっては知ったことではない
唯「それでも地球は回っている」と述べるのみである
Ende;