遺伝的進化において変異による多様性拡大は不可欠なものであるが だからといって「人間社会において多様性を許容すること」とは意味が全く異なる
遺伝的進化というのは 全て結果的に死滅せずに繁殖を継続することに成功しただけであって 変異の結果生存に適さない個体の全てを淘汰(見捨てる)ことで起こった「結果」でしかない
人間社会において「変異に失敗したから淘汰断種の対象」にするなどというのは非人道的も甚だしい
ヒトは その遺伝的進化の過程において 民族浄化バイアスが組み込まれているために 異質な個体を差別排除するという先天的本能習性があるため 多様性を許容することが出来ないのである
少数異端を「火炙り」にでもしておけば安心満足で 何が真実なのかを個人が自律的に検証することはほとんど誰もせず ただ既存の権威や多数や「常識」に則って機械手続き的に「複数の信頼できるメディア」を信用しておけば良いと勘違いしている
遺伝的進化における誤謬に関しては 生物学界の大多数が間違った「説明」をしているのであって その多数決だけでは科学的根拠に基づいた事実の根拠にはならない
デマに洗脳されてエコーチェンバーに陥り 強迫観念でデマを信じ込む危険性も 結局は個人的主観や印象が作り出す錯覚によるものであり 自律的に論理検証して科学的に正しいかどうかを自分の頭で「考え」れば 「○○のために進化を選んだ」などというバカ生物学者共の「説明」が間違いであることは明らかであり 遠藤秀紀などの一部の生物学者はこれを「典型的な間違い」だと指摘しているのである
従来生物学では昆虫の擬態というものの説明において 「天敵からの捕食から免れるために自らの姿を生息環境に似せた」といった説明をしてきたが 後天的に自らの遺伝的性質を「選択」することなど論理的に不可能であり こうした説明の全ては科学的根拠がないのである
擬態というのは 先天的に生息環境に似ていた個体以外が全て淘汰され続けた結果として生息環境により似た変異個体への収斂の結果であって 先天的に生息環境に似ていない個体が全て天敵に喰われ続けた結果であり こうした収斂進化のプロセスのどこにも「自らの姿を選択」するメカニズムが入り込む余地はない
大衆観念的錯覚に基づいた「遺伝的進化万能性」妄想に都合の良い「説明」の方が多数人気や支持が得られやすいものだが 科学は多数決ではないのである
大脳容積が1400ccもありながら バカみたいに日大事業部などの組織腐敗に同調迎合服従忖度傍観放置することが繰り返されるのは ヒトが「自分達は知的生命体だ」などと勝手に勘違いしているのが原因である
遺伝的進化というものに後天的な意図目的戦略「考え」「思いつき」が影響を及ぼさないことは 決してそんなに難解な話ではなく ちょっと自分の頭で考えれば間違いであることは理解可能なものであるはずだが
衆愚マスコミの大多数は学術権威肩書の多数決だけが科学的に正しい話だという「印象」によって 自分の頭で考え判断することを全くしなくなるのである
医師免許を持った大手町の医師や 日医大の特任教授ですら遺伝的進化を万能だと錯覚したまま「ウイルスは弱毒化する」などと言い出すのは ヒトが先天的に「自分の頭で物事を論理検証しない」性質(認知的欠陥)が存在するからである
遺伝的進化というものは 変異によるバリエーション拡大の時点では生存にすら適さない「失敗」変異が必ず伴うものであって 決して全てが「成功」するようなものではなく むしろ常に先天性疾患などの「失敗」を伴うものであって 到底「進化は人間より賢い」などというトンチンカンな形容詞は科学的真理とは言えないのである
ヒトの変異による先天性疾患はそれほど多くはないが これは遺伝的進化の結果的な恒常性が組み込まれているからであり 過去の膨大な進化的「失敗」によって獲得した恒常性であって それでもなを先天性疾患変異は起きるのである
遺伝的進化の過程において不可避な「失敗」も 所詮は「結果」であって 「資源効率的に無駄」だと称して断種や殺害を正当化できるわけがないのである
生物やその遺伝的進化によってもたらされる「生存」や「繁殖の継続」も全ては自然現象という「結果」であって これは選択不可能である 過剰なまでに資源効率を追求するから弱者を差別排除する優生学が正当化されてしまうのであって むしろ弱者を守ってこその「人間」性や倫理なのである
「生産性」だの「資源効率」は 「生存」や「繁殖の継続」という生物的「正義」においては適していると言うことは可能だが そもそも生物も その遺伝的性質も 「生存」も「繁殖の継続」も全て結果であって どうしてただの自然現象の「結果」における効率だけを追求しなければならないのか わけがわからない
一面的合理性や効率性だけを「正義」として扱う短絡性こそが ヒトの頭の悪さの原因であ
「生きるため」と称して既存の体制に迎合同調服従忖度しても その「共生」性は何ら人間性の論拠にはならない
Ende;