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エラー

2021年04月28日 00時06分45秒 | 意識論関連

人間は「エラーをする生き物」

 授業や講演などでこの話をすると学生や聴講者から反発を受けることが多いので、この記事も炎上するかもしれないと思いつつ、あえて書きますが、「エラーを罰するべきではない」というのが、ヒューマンファクターズと呼ばれる、システム安全を扱う研究者の間での共通認識です。なぜなら、人間は本質的に「エラーをする生き物」だからです。

 私たちは生きている限り、他の生き物の命を奪って食べなければ生きていけません。それと同じように、私たちは何か行動をする限り、一定確率(それも比較的高い確率)でエラーをします。だから、「エラーは罪」としてしまうと、私たちは悪意を持たず善良に生きていたとしても、運が悪ければ罪人になってしまうのです。

 事故防止の観点から、エラーを断罪し過ぎてはいけない理由はまだあります。一般に、エラーは事故の「原因」だと思われがちですが、人間のエラー率は背後要因によって変わります。エラーをゼロにすることは困難ですが、エラー率に影響する背後要因の調整はできます。従って、ヒューマンファクターズではエラーを背後要因の「結果」と捉えて、原因となった背後要因を取り除こうとします。そうしなければ、エラーをした人を罰して他の人と入れ替えたとしても、また同じことが起きるからです。

 さらに、責任追及が厳しいほど、加害者は処罰を恐れて口を閉ざすため、真実が明らかになりづらく、背後要因が明らかにならないという問題もあります。  筆者は事故防止の研究者としての立場から、この考え方は正しいと思いますが、一方でここには、被害者の感情に対する配慮や救済方法などが含まれておらず、「ハラキリ」の時代から責任追及を重んじる日本社会では受け入れ難いだろうとも感じます。ですから、「加害者を無罪放免にせよ」などと言うつもりはありませんが、加害者を徹底的にバッシングし過ぎる風潮も問題かもしれないと考えるのです。

 被害者の悲しみは計り知れず、その気持ちに寄り添うことはもちろん大切です。同時に、第三者である私たちはただ加害者に矛先を向けるのではなく、どうしたら同じような悲しい事故をなくせるのかを考えるべきではないでしょうか。

 -名古屋大学未来社会創造機構特任准教授 島崎敢

 

とはいえ飯塚幸三は「アクセルとブレーキを踏み間違えた可能性もないと言うのですか」との問に対してまで頑固に「ない」と言い張っている

「自分は絶対に間違えない」という観念に囚われているからこそ踏み間違えても踏み替えようともしなくなるとも言える

自分が絶対に間違えない完璧な存在だとでも思っておけば主観的気分としては満足なのかもしれないが その主観や気分感情こそが無意識なバカになる大きな要因でもある

 

東池袋暴走事故以外でも踏み間違い事故というのは幾度も繰り返しており 飯塚幸三の懲罰判決が下っても決して「解決」にはならない

パトカーがビルに突っ込んだり 5歳児を轢き殺したりする事故も起きているのである これらの「間違い」の全てを懲罰による精神論的な抑止だけに頼るのは合理性を著しく欠いている

そもそも事故以外の犯罪においても 刑罰判決だけで「解決」にしても犯罪の根絶にはならない

芸人の中には元糞DQNだった奴がいるが 「昔俺ぁヤンチャしてた」の一言で「なぜ糞DQNになったのか」についての理由や原因について説明もせずに「更生した」などと称してはぐらかしているバカのなんと多いことか

あろうことか「元暴走族の総長だった」などと自慢していたのでは到底「更生」しているとは言えないのである

糞DQNであろうとテロリストであろうと通り魔であろうと 重要なのは「なぜ自律的な社会的責任を全うしなくなったのか」についての根源的原因究明と それに伴う再発防止策の策定こそが公金を使う公益性に適う合理的政策である

 

 

Ende;


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