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生物学上の正義

2021年08月23日 09時36分27秒 | 意識論関連

「危険を冒す、開拓を好む」という性質にも、遺伝的な個性が関係しているということが最近わかってきました。新しい可能性を模索する人と、逆に保守的で変化を嫌う人の2つのタイプが存在することによって、種全体の生存の可能性も上がると言われています。

 どちらかのタイプに偏っていたら、いずれ人類は絶滅するでしょう。同じ観点から述べると、ストレス耐性が強い人も弱い人もいますが、ストレス耐性が強いということが優れているとは限りません。危険に直面したときに不安に感じて逃げる人がいるから、人類は生き残ることができたのです。

高橋祥子(たかはし・しょうこ) 出典:https://diamond.jp/articles/-/278480

 

⇨ナチス政権の勃興において 「不安に感じて同調迎合した」方が生存には有利である

「種全体の生存可能性」だけを論じても 社会持続可能性に適するわけではなく むしろ身勝手で利己的な個体種への淘汰によって社会持続可能性を著しく損なう先天的「習性」を持ったヒトだけに収束(進化)する構造の方が強く働くことになる

生物学者というのは 結果と目的を完全に履き違えており 進化の先に絶滅破滅の可能性があるとしても結果こそが万能だと信じて疑わないのである

祖先がかつての自然環境下において生存にとって有利な行動が進化的に組み込まれたとしても それは全て「結果」であって その「結果」のせいで人間性や社会の持続可能性に対する重大な欠陥を持ってしまっているとしても無視するのである

それを誰も無責任だとは「思って」いない

生物学者にとっては 生存こそが絶対的正義であり「死ななければ正しい」のであって たとえ女房子供が殺されても 「生き残ってるんだから良いだろ」という論理を押し付けてくるのである

生物学者というのは 「種として保存されて」さえいれば「人類の存続」であって その内容が殺し合いだろうが騙し合いだろうが何でも構わないのである

生物学者にとっては倫理も人間性も社会持続可能性も どうでも良いのである

種として「生き残る」ことさえできれば良いのが生物学者の正義というものである

ナチスに反対して自決を余儀なくされようが 死んだ者には何の「評価」もしないのが生物学である

ただ「生き残る」だけならヒトである必要性はなく ゴキブリで充分である

無責任な誰かの引き起こした「人災」によって何人の人が死のうとも「生き残って」さえいれば「種の保存」で「正しい」という理屈にしかならないとしても それが生物学上の「正義」の正体である

 

こんな話を鵜呑みにしている竹内薫も相当イカれている

 

ヒトの多くは論理的根拠に基づいた客観的証拠なんぞどうでも良くて 既存の「常識」的な観念に則った雰囲気うや「印象」だけで物事を判断するのである

主観的に気分が良くなる「信じたい話」だけを信用し その話に客観的根拠が伴うかどうかは誰も検証しないし したがらない


かつて祖先が暴力的統率者に怖れ 同調迎合することで協調的に多民族を抹殺して「生き残った」としても それが「種の保存」にさえなれば生物学上は「生存」であり「正しい」こととして扱われるのである

「生物の行動は、個体として生き残って種として繁栄していくように遺伝子的に規定されています。」(高橋祥子)という話は嘘である

全ての生物が「種として繁栄」できたわけではなく 膨大な淘汰圧力の「結果」として特定の種の生物だけが「種として繁栄」できただけであって これからも永遠に「種として繁栄」できる保証はどこにもなく 今後絶滅しない保証は何もないのが遺伝的進化というものの実相である

たまたま今生き残っているからと言って これからも永久に生き残って繁栄できる科学的根拠なんぞどこにもないのであって 「遺伝子に規定されている」などという話には何ら科学的根拠はない

「生き残った」という結果だけを絶対的正義だとみなし 結果的に組み込まれた先天的性質の全てまでも正当化しているのは ただの「こじつけ」であって 科学でも何でもない

こうした科学的根拠のない話を鵜呑みにしているバカだけが評価を受けるのが生物学界の標準(常識)なのであり 「科学としての信頼度」は極めて低いと認識すべきである

 

生物学上では 多様性さえあれば「生き残れる個体」も出てくることで 「種の保存」などに適すると主張するのだが

多様性によってたまたま生存に適した個体が生き残ることだけを「種の保存」に適する可能性について述べているだけであって 「大部分が死滅しても偶発的に生き残りさえすれば良い」というのが生物学上の「正義」である

この話を鵜呑みにしていれば 「生存に適さない障害者などは死んでも構わない」という優生学のコンテキストを正当化することにもなるのである

人間社会の中で淘汰圧力を正当化することはできない

「誰も取り残さない」のが人道であり 人間性や倫理である

たとえ犯罪者であっても 死刑にしたりせず 更生治療や再発防止の研究材料として利用することも必要なのである

それがひいては被害者も減らし 安全性や持続可能性への貢献ともなるのである

もしも遺伝的進化を正当化するのであれば 感染症も治療などせずに 感染するがままに放置しておくことで
たまたま免疫力の強い個体だけが生き残ることで「進化」が促されることになる

そこに倫理や人間性なんぞあるわけがないだろ

バカか

 


Ende;


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