資本主義という制度手続き自体は所詮「道具」に過ぎない
道具ということは たとえば包丁を料理に使うか 通り魔に使うかで結果は大きく異なる
資本を何に どう用いるのかで結果は大きく異なる
利己的利益だけを追求し 社会安全性や持続可能性への配慮を怠れば 社会破綻への道に暴走することになるが
最初から社会安全性や持続可能性のために資本を用いれば 社会の破綻は避けることができる可能性も出てくる
道具を使う「ヒト」の問題 「ヒト」の人間性や倫理性いかんによって 結果は著しく異なるのであって
どの道具を選ぶのかを議論しても あまり意味はない
何の道具であっても危険性は存在するものであって 包丁が危険だから使用を全面的に禁止しておけば安全だという話にはならない
資本主義という道具の危険性を認識し 安全に運用するためには 運用する「ヒト」の人間性が最も根源的な問題なのである
「経済」とは 本来は「経世済民(世の中を通じて民衆を救済する)」の略であって 利己的金儲けのことではない
地球環境に適した人口を遥かに超えている現状からは 明らかに生産性の総量は減らさざるを得ない
地球環境を破壊してまで利益追求を続ければ 破綻は免れない以上 これからの時代は限られた生産量の中で いかに効率良く分配するのかを優先しなければならないのであって 「利己的利益さえ追求しとけば社会全体が潤う」などというアダム・スミスの「見えざる神の手」妄想を鵜呑みにしている場合ではない
「見えない何かに誘導されているから 自分は何も考えずに欲望のままに行動しておけば良いんだな」的に 都合の良い身勝手な解釈をすることによって ヒトはバカに陥り 暴走破綻への道を変えることが出来なくなるのである
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の人気も 悟性だの純粋統覚だの叡智界といった「絶対に知覚することができない」という実証不能の謎の観念を鵜呑みにしておけば 大衆や「哲学者」共は安心満足し その内容がただのファンタジーで 哲学でも何でもないことには誰も気づかなくなる
バカは 何が真実なのかが見えない
見ようともしない
「見たくない」のである
カルト宗教にのめり込んでいる信者に対して 「お前が信じている教祖はキチガイだぞ」と教えても拒絶反応しかしないのと同じ心理構造によって バカはバカが治らない
ヒトは 「信じたくない」話は理解したがらない
Ende;