地政学リスクとは、地政学におけるリスクを指し、地理的な位置関係によって、ある特定の地域が、政治的・社会的・軍事的な緊張が高まるリスクを指します。
一般的には戦争のリスクは地政学によって算出されるものだと解釈されているが
実際の戦争は為政者の主観によって引き起こされるものであり 軍事力のバランスなどはほとんど影響を及ぼさない
局所的な紛争においても その原因は民族間における差別がほとんどであり 軍事力が小さいからといって紛争を引き起こさないわけでもなく 軍事力のバランスは紛争が起きる原因とはほぼ無関係である
戦争という殺し合いは 要は大規模な殺人や領土の略奪であって 犯罪が大規模化したものに過ぎない
武力による暴力や懲罰によって物事が「解決」するという ヒトの先天的な認知上の欠陥(錯覚)が働くことによって ヒトは戦争をすれば何かが解決すると主観的に「思って」いるから戦争が引き起こされるのである
ヒトが文明を築く以前の期間よりも 弱肉強食の殺し合い喰い合いによる遺伝的進化の過程の方が圧倒的に長いのであって ヒトであっても本能習性は祖先の生息環境による影響を色濃く反映し 懲罰的暴力で物事を「解決」しようとする習性が強力に組み込まれているのである
数億年に渡る遺伝的進化によって組み込まれた先天的本能習性というものは たかだか数千年程度の文明によって大きな進化が促されるようなものではなく ヒトという種の生物は権威と見なした対象に疑いを持たずに 他人に危害を加えてしまうものなのである
「ヒトとは そういうものである」
だが これは「考え」ではない
養老孟司はこれを「私はそう考える」と言ったが これは単なる遺伝的進化という自然現象の事実「結果」を述べているに過ぎず 「考え」でも何でもない
先天的本能習性としては スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験でも立証されているように ヒトは権威の命令に服従し他人に危害を加えてしまうものであることが科学的に立証されているのである
権威と見なした者が「暴力で解決するぞ」と旗を振れば 同じ集団組織や民族に属する者の大半が暴力的解決に邁進するようになる
「ヒトとは そういうものである」とは言えるが これは「ヒトという種の生物」における本能習性の「結果」であって それ以外の一切の選択可能性が存在しないことの論証ではない
戦争とは 犯罪が大規模化したものに過ぎず 犯罪が小規模のうちに丹念な再発防止のための徹底した原因究明をしないことによって 戦争という重大犯罪にまで発展しているのである
ミャンマー政府軍が少数民族を攻撃するのは 少数民族の中の武装ゲリラによる暴力的犯行に対する対抗策としての武力攻撃である
パレスチナ武装勢力ハマスによるロケット弾攻撃があるからこそ イスラエル軍による報復攻撃の口実にされてしまうのであり
パレスチナの場合一方的にエルサレムから追い出された経緯があるとは言え 「暴力で解決」という手法は双方にとって何の紛争解決には結びつかないのである
小学校に乱入して銃を乱射している男に対し 警官が射殺しなければならない状況というものはあるものの
それはあくまで「現場の正義」でしかない
何人銃乱射事件の犯人を射殺しようと 死刑にしようと 銃乱射事件の根本的原因はわからず 論理客観的根拠を伴った実効性のある再発防止にはならないのであって 「現場の正義」というものは社会全体から見た場合には必ずしも安全性にとって合理性が伴わず 唯一絶対的な「正義」とは言えないのである
ウクライナ支援に関しても それは「現場の正義」であって プーチン政権の暴力に一定の歯止めをかける役割にはなるとしても そもそもプーチン政権のような透明性の欠けた腐敗組織による独裁体制が作られてしまった原因を究明しないことには 封建的独裁政権による暴力は一向になくなることはないのである
少数民族の武装勢力によるゲリラ戦やテロというものは 少数民族の中にいる暴力者の身勝手な正義に基づくものであり 武装の規模の大小で紛争やテロが実行されるわけではない
通り魔は自分が死刑になっても構わないと思っているから通り魔なのであって 方向性も合理性もない暴力で「主観」的に満足しようとしているから実行されるのであり 包丁一本であっても大量虐殺は引き起こされるものなのであり 軍事バランスなどの地政学は紛争が起こるかどうかとは関係がないのである
香港の民主化デモに便乗して暴動破壊に及んだ一部の学生や デマによる逆プロパガンダが横行したことによる「治安」の悪化が 香港警察による虐殺の口実に用いられてしまったのであり
一部の犯罪者の行動によって 民主化組織全体を標的とした攻撃への口実にされたのであり
民主化運動に便乗した暴動などの犯罪と 民主化運動組織そのものとは切り離して扱わなければならないのだが 為政者にとっては民主化組織全体を抑圧するのに都合の良い口実を作ってしまったのである
ウクライナにおいても 東部では親ロシア派とウクライナ側武装組織との間で以前から紛争が起きていたのであり ウクライナ側武装組織の行動の全てが犯罪的ではなかったとも言い切れないのである
香港の民主化運動ですら 便乗して暴動が引き起こされているのであるから 武装勢力の内部に親ロシア派住民に対する犯罪行為が皆無であったとは言い切れないのである
ウクライナ国内における親ロシア派住民に対する正当な扱いが必ずしも行われていなかったことが ロシア軍侵攻の口実に使われてしまったとも言えるのである
紛争が勃発する最初のきっかけは 主観的差別による一方的で違法な暴力によって引き起こされる
誰かが殺されたり危害を加えられたりすれば 報復的に暴力の応酬となり 紛争はどんどん過激化するようになる
本来ウクライナ人だろうがロシア人だろうが 民族的にはほぼ一緒であって 対立するような民族ではないはずであるにも関わらず 一部の暴力者間による暴力が それ以外の人達にまで被害を及ぼしてしまうことによって 紛争の拡大へと発展してしまうのである
ヒトは先天的に暴力で解決することが大好きである
「暴力はセクシー」とは 伊勢崎賢治の言葉である
相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件のような事が起きると 大衆の多くは梅沢富美男による「こんな奴は死刑にしちまぇ!」という合理性のない暴言に便乗し 同調し 満足する
主観的感情の吐露としては「言論の自由」の範疇ではあるものの 社会安全性の観点からは何の合理性も伴わぬ主張であり どんなに多数の「人気」を集めたとしても 社会安全性を蔑ろにした無責任な集団同調(エコーチェンバー)に過ぎない
ヒトは多数と同じであることに安心を感じてしまい 主観的に安心だと短絡的に「正しい」ことだと錯覚してしまうものである
論理客観的には無責任な便乗的共鳴や同調であるとしても 目先の多数によって責任が薄まるかのような感覚(錯覚)によって 安心して目先の多数派に同調することができるようになるのである
その原因は全て主観的気分や情動 「印象」や「直感」によって促される無意識なバイアス(偏り)によって 論理客観的根拠を伴った真理を見誤るようになるからである
Ende;