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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

迷言

2019年05月24日 14時25分11秒 | 意識論関連
答えに辿りつけるかどうかはわからなくても 「本当にそれで良いのかな?」っていう疑問は常に持ち続けなければならない

「名言」などと称して その場限りに何か真理を知覚したかのような錯覚に陥って満足することで 哲学からの逸脱が始まるのである

原田まりるが どんなにフリードリヒ:ニーチェを読んで「カッコいい」だの「センター性がある」だの述べたところで これらは全て原田の個人的感想であり 主観的観念でしかなく

論理客観的な根拠に基づいた真理とは無関係であり 哲学ではない

亀山郁夫がフョードル:ミハイロヴィチ:ドストエフスキーを読んで 脂汗をタラタラ流しながら興奮して主観的感想をいくら述べても 社会的には糞の役にも立たないのと同じことである



ヒトという種の生物は どうしても論理客観的論証よりも その場限りに気分が良くなる話を信じ込んでしまうという先天的習性(欠陥)があり 糞の役にも立たない「名言」の類いで脳が酔いしれ 虜になり それを論理客観的根拠のある真理だと錯覚する傾向が激しい

マイケル:サンデルは やたらとトロッコ問題を取り上げたがるが トロッコ問題というのはそもそも答えが出せないよう制限拘束をされた問題であって どんなにトロッコ問題を「考えた」つもりになっても それは「出口のない迷路の中を堂々巡りしている」だけに過ぎないのである

厄介なのは こうした無意味な思考であっても 頭を使って何かを考えたような錯覚に陥り そもそも出口がないことには誰も気づかなくなるという頭の悪さを認識出来なくなることが問題なのである

トロッコ問題というのは 問題自体が制限だらけで その答えが限られている だからサンデルの想定した範囲内での答えしか出てくることはない

出口の存在しない迷路の中を歩かされて 出口が存在しない制限だらけの問題だということには バカ学生の誰も気づくことはない

これは思考実験にすらなっていないのである

哲学というのは そもそもあらゆる制限を取っ払って土台を初めから疑うことから始めることを指すのであって サンデルの講義は最初から哲学から逸脱しているのである

建築を建てる時には基礎の地盤から調査して建てるように 根本的な部分からしっかり厳密に確認することが重要である

自動車事故で子供がすり潰されないようにするためには 糞の役にも立たないトロッコ問題で脳がバカになっていてはダメなのである

「名言」などという表面的な装飾だけで満足していれば 社会的応用性もなく 必然的に安全性も置き去りにされるのである

そういうのをバカという



Ende;

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