ヒトという種の生物は「自分が先天的に優秀で何も考えなくとも自動的に倫理や人間性が発揮されるはずだ」という感覚が促す錯覚に溺れていた方が「幸福」なんですね
ヒトが洗脳されて盲目になるメカニズム構造の最も基本的な部分がこれです
松沢哲郎が言い出した「先天的本能習性から人間としての社会性が立証できるかもしれない」などという 論理的に立証不可能な話を大衆マスコミが鵜呑みにしたのも 正常性バイアスが促す錯覚を正当化出来るからです
養老孟司による「身体性万能論」も 松沢同様に「先天的に倫理が組み込まれている」という妄想錯覚に基づいた話であり 到底科学的客観性を伴う話ではありません
ヒトは何も考えずにバカでいた方が「幸福」なんです
カルト宗教に心酔してしまえば 地下鉄に毒ガスを散布してくることの方が安心で幸福になる
振り込め詐欺に焦らされれば 金を振り込むことこそが安心で幸福になる
「自分だけは絶対に大丈夫だ」というのは理性ではなく それこそが「感覚」が促す錯覚でしょ
ところが どんなに論理的に説明しても 多くの大衆は感覚的に拒絶し 理解しようとしないんですね
「自分だけは絶対に大丈夫だ」と盲目的に信じ込んで 安心して満足して幸福でいられる
養老による「身体万能論」というのは こうした正常性バイアスを利用した詐欺でしかありません
理性や主体性や意識というものを無効だと言い張り 身体性が促す「感覚」の方にこそ倫理や人間性が存在するとでも「思って」いた方が脳が楽なんでしょうな
振り込め詐欺に騙されて 銀行で振り込もうとしている人に対して「それは詐欺ではないんですか?」と忠告すると 感情的になって反射的に否定するそうです
主観的「感覚」が促す行動こそが正しいと「思って」いるからでしょう
主観的な「感覚」というのは 動物的なバイアスですから 進化の過程で非常時には優先される個体が結果的に生き残ったと言えます
恐怖心を煽られることで 論理的客観性を一時停止させ とにかく「これさえやれば解決だ」という短絡安易な解決策だけに意識を奪われることで 詐欺に騙されるようにもなる
「主観的感覚には先天的に欠陥がある」と言われると おそらくヒトの多くは恐怖心を抱いて観念的拒絶反応を示すことになるのでしょう
それは詐欺に騙されている最中の人が「それは詐欺ではないんですか?」と言われた時の拒絶反応と構造的に同じものです
洗脳というのは 洗脳されていない他人から見れば恐怖を感じるものですが 洗脳されている当人的にはむしろ安心であり幸福なんですね
よくよく冷静に「考え」れば 論理的に何が正しいのかは理解可能なはずなんですが
ヒトという種の生物は どうしても「思い」という感覚的な強度程度こそが意識の本質だと錯覚する
一つ前の記事でも言いましたけど 錯覚って感覚が促すものであって 錯覚を錯覚だと認識するのは理性です
脳には様々な錯覚があることが知られています
脳も含めて遺伝的進化の過程で 過酷な自然環境下では錯覚があった方が生存に有利だったため残されたものだと言えます
AI界隈で言う「蒸留」という概念があり 回路を単純化することで高速効率化が図れることを指すそうです
脳内で特定可能な領野としてマッピングされている機能は 非常に高速で効率的に働きます
歩行機能や発話言語機能といったものは 「どの筋肉をどのくらい動かせば良いのか」をいちいち意識的に考えなくても自動的無意識に出来るようにしているのです
歩行機能が無意識に出来るので「歩きスマホ」も出来るんですね
脚をどのように動かせば歩けるのかなんて一切考えずに 無意識条件反射的に歩くことが出来るので 歩きながらスマホに熱中することも出来る
そして 歩きスマホは感覚的に「怖くない」からみんなやらかす
かく言う私だって 「スマホ操作しながら歩いてはいけない」と意識的に考えなければ「うっかり」とか「無意識に」スマホ歩きをしてしまうことはあります
「お前スマホ持ってねぇじゃねぇか」というツッコミがありそうですが 逆に持ってないが故に慣れてなくて 他人から借りたりするとウッカリそのまま歩き出してしまって叱られたりする
ヒトって意識的に考えながら行動選択しないと 危険なことも平気でウッカリ無意識にやらかしてしまう
感覚的に怖くないからといっても 実際に事故が多数報告されていて危険だと「理解」していながら 寝起きでボーッとしていたりすると「ウッカリ」「無意識に」間違った行動をしてしまう
それがヒトなんですよ
ヒトの多くが無意識条件反射的 「感覚」的に行動している事実を多数抽出してきても それが短絡的に「正しい行動」であることの論証になんかなりません
そのための「意識」なんですよ
感覚的な無意識条件反射行動は「結果」です スマホ歩きで視覚障害者を駅のプラットホームから突き落としてしまうのは 意識的な「目的」ではないでしょ
「結果」を多数抽出したからといって それがどうして短絡的に「目的」であるかのように解釈するんですか?
おかしいでしょ
自覚ないですか?
もうちょっと深く「考え」て下さいよ
論理的に「考え」ていないから養老だの松沢だの西部だのといった奴らに丸め込まれて騙されてしまうんですから
Ende;
ヒトが洗脳されて盲目になるメカニズム構造の最も基本的な部分がこれです
松沢哲郎が言い出した「先天的本能習性から人間としての社会性が立証できるかもしれない」などという 論理的に立証不可能な話を大衆マスコミが鵜呑みにしたのも 正常性バイアスが促す錯覚を正当化出来るからです
養老孟司による「身体性万能論」も 松沢同様に「先天的に倫理が組み込まれている」という妄想錯覚に基づいた話であり 到底科学的客観性を伴う話ではありません
ヒトは何も考えずにバカでいた方が「幸福」なんです
カルト宗教に心酔してしまえば 地下鉄に毒ガスを散布してくることの方が安心で幸福になる
振り込め詐欺に焦らされれば 金を振り込むことこそが安心で幸福になる
「自分だけは絶対に大丈夫だ」というのは理性ではなく それこそが「感覚」が促す錯覚でしょ
ところが どんなに論理的に説明しても 多くの大衆は感覚的に拒絶し 理解しようとしないんですね
「自分だけは絶対に大丈夫だ」と盲目的に信じ込んで 安心して満足して幸福でいられる
養老による「身体万能論」というのは こうした正常性バイアスを利用した詐欺でしかありません
理性や主体性や意識というものを無効だと言い張り 身体性が促す「感覚」の方にこそ倫理や人間性が存在するとでも「思って」いた方が脳が楽なんでしょうな
振り込め詐欺に騙されて 銀行で振り込もうとしている人に対して「それは詐欺ではないんですか?」と忠告すると 感情的になって反射的に否定するそうです
主観的「感覚」が促す行動こそが正しいと「思って」いるからでしょう
主観的な「感覚」というのは 動物的なバイアスですから 進化の過程で非常時には優先される個体が結果的に生き残ったと言えます
恐怖心を煽られることで 論理的客観性を一時停止させ とにかく「これさえやれば解決だ」という短絡安易な解決策だけに意識を奪われることで 詐欺に騙されるようにもなる
「主観的感覚には先天的に欠陥がある」と言われると おそらくヒトの多くは恐怖心を抱いて観念的拒絶反応を示すことになるのでしょう
それは詐欺に騙されている最中の人が「それは詐欺ではないんですか?」と言われた時の拒絶反応と構造的に同じものです
洗脳というのは 洗脳されていない他人から見れば恐怖を感じるものですが 洗脳されている当人的にはむしろ安心であり幸福なんですね
よくよく冷静に「考え」れば 論理的に何が正しいのかは理解可能なはずなんですが
ヒトという種の生物は どうしても「思い」という感覚的な強度程度こそが意識の本質だと錯覚する
一つ前の記事でも言いましたけど 錯覚って感覚が促すものであって 錯覚を錯覚だと認識するのは理性です
脳には様々な錯覚があることが知られています
脳も含めて遺伝的進化の過程で 過酷な自然環境下では錯覚があった方が生存に有利だったため残されたものだと言えます
AI界隈で言う「蒸留」という概念があり 回路を単純化することで高速効率化が図れることを指すそうです
脳内で特定可能な領野としてマッピングされている機能は 非常に高速で効率的に働きます
歩行機能や発話言語機能といったものは 「どの筋肉をどのくらい動かせば良いのか」をいちいち意識的に考えなくても自動的無意識に出来るようにしているのです
歩行機能が無意識に出来るので「歩きスマホ」も出来るんですね
脚をどのように動かせば歩けるのかなんて一切考えずに 無意識条件反射的に歩くことが出来るので 歩きながらスマホに熱中することも出来る
そして 歩きスマホは感覚的に「怖くない」からみんなやらかす
かく言う私だって 「スマホ操作しながら歩いてはいけない」と意識的に考えなければ「うっかり」とか「無意識に」スマホ歩きをしてしまうことはあります
「お前スマホ持ってねぇじゃねぇか」というツッコミがありそうですが 逆に持ってないが故に慣れてなくて 他人から借りたりするとウッカリそのまま歩き出してしまって叱られたりする
ヒトって意識的に考えながら行動選択しないと 危険なことも平気でウッカリ無意識にやらかしてしまう
感覚的に怖くないからといっても 実際に事故が多数報告されていて危険だと「理解」していながら 寝起きでボーッとしていたりすると「ウッカリ」「無意識に」間違った行動をしてしまう
それがヒトなんですよ
ヒトの多くが無意識条件反射的 「感覚」的に行動している事実を多数抽出してきても それが短絡的に「正しい行動」であることの論証になんかなりません
そのための「意識」なんですよ
感覚的な無意識条件反射行動は「結果」です スマホ歩きで視覚障害者を駅のプラットホームから突き落としてしまうのは 意識的な「目的」ではないでしょ
「結果」を多数抽出したからといって それがどうして短絡的に「目的」であるかのように解釈するんですか?
おかしいでしょ
自覚ないですか?
もうちょっと深く「考え」て下さいよ
論理的に「考え」ていないから養老だの松沢だの西部だのといった奴らに丸め込まれて騙されてしまうんですから
Ende;