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忘れてはならないもの

2021年09月15日 10時54分09秒 | 意識論関連

ギュスターヴ:ル:ボンは「群衆は理性では動かない」と説いたが

「理性では動かない」のは群衆に限ったことではなく そもそもヒトという種の生物は「理性では動かない」のである

ヒトは基本 動物である

動物の行動というのは先天的本能習性による無意識な行動バイアスであり 「生存」だの「種の保存」といった結果に対する必然性は存在していても それが社会安全性や持続可能性や公平や平等に合理的に適する理屈はない

先天的本能習性というものは 祖先の生息環境の影響を色濃く反映し 数十万年以上の年月と大きな淘汰圧力(大半の死滅)の結果であって

「結果に対する必然性」はあるものの これは「目的のための合理性」ではない

更科功はダーウィンの「種の起源」を多くの生物学者が曲解していると論じたが その説明は論理整合性のない「はぐらかし」に終始しており 科学者として無能で社会的にも無責任である

「生物には目的はない」のである

風呂場に生えるカビには目的はない

ウイルスにも目的はない

ただ 結果的に絶滅せず 結果的に環境との調和に適した結果 種として残っただけである

現状残った種だけを根拠にしても「結果的必然性」が「合理的目的選択」の論証には一切ならない

遺伝的進化というものは 自然界における自然現象(必然的結果)であって 目的などない

 

ウイルスによる猛威は かつての進化の過程で幾度も生じ 膨大な死滅をもたらすことによって 現存する動物の免疫機能の進化をもたらした

遺伝的に免疫機能を持っていなかったあらゆる生物種が大量に死滅したことによる「結果」であって 偶発的に免疫機能を獲得した個体だけが生き残っただけであって 遺伝子というものは自ら書き換えることができない以上「ウイルスや菌から身を守るため」といった目的に合わせる形で「進化する」ことは構造原理的に不可能である

現状のヒトの免疫機能を更に進化させるためには 免疫機能の低い個体の大量死滅を放置し 免疫機能の高い数%の個体種だけによる配偶交配によって より高い免疫機能を持った個体の出現を必要とするのであり それでも進化に成功する保証はどこにもなく 決して「誰もが進化できる」ような都合の良い話では断じてない

草食動物の逃げ足が速く進化するためには 天敵に襲われた時に我先に逃げ出す反射的行動が必要であり 仲間を統率協調的に守るとか 予め予防対策をしておくといった合理的行動を採らなかったからこそ 逃げ足が速い個体への収束進化が起こったのである

 

ヒトは脳が肥大する進化が起きたが 大半は論理客観的思考判断のできないバカである

だから何度説明しても誰も論理的理解が全く進まない

 

プラトンだのニーチェだの養老孟司だのリチャード:ドーキンスは大衆からの人気だけはあるが 実際には中身がないので応用性が何もない

本当に社会安全性にとって重要な話というのは 気分が悪くなるので大衆人気は得られない

国会原発事故調査委員会報告書は 社会安全にとって非常に重要な知見であるが ほとんどだれも読まず 誰も理解などしていない

ヒトは先天的には理性で動こうとはしないものなのである

ナチスやミャンマーやイスラエルの兵隊や 群衆では 集団心理によって理性がさらに欠落した行動が 極めて統率協調的に行われるが 

群衆ではない単独犯の通り魔もまた理性など働いてはいない

論理客観的に何が真実であるのかを「考え」ないからバカなのであって バカがやらかす行動はバカげた結果にしか至らない

バカには理屈や道理は通らないので どんなに説明を尽くしても理解することはない

脳の容積にさしたる違いがなくとも バカは難治性が酷いのである

バカは自らの頭の悪さを改善しようとは一切しない

「自分はバカだ」と気分的に落ち込むか 「どうせ自分はバカだから」と称して頭の悪さを正当化するか それこそが「絶望」という罪であることを認識することはない

「絶望して自己自身であろうと欲さない絶望」か「絶望して自己自身であろうと欲する絶望」しかせず 絶望そのものが真理から遠のく罪であることは無視するのである

頭が悪かったことを自覚認識したのであれば どうやったらバカげた間違いに陥らないようにできるのかを自分の頭で「考え」て 初めてバカが治るのである

 

ヒトは 先天的には人間ではない

それは 不条理性ではある

自らの遺伝子も本能習性も 生育環境から刷り込まれた「常識」や価値観も 自分では主体的には選択しておらず 既存の自己自体は選択不可能であり 「自由」ではない

だが それらが本質的な自己でも自由でもないことを理解認識することができれば 常識や因習に囚われることなく現時点での選択可能性の存在を自覚することが可能となる

それはヒトという種の生物ならではの「自由」が存在するのである

その「自由」は論理客観性によってもたらされるものであって 「自分で見つけるもの」であり 神や科学から「与えられる」ものではない

 

 

Ende;


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