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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

体育会系幻想。

2011年04月02日 20時26分30秒 | 意識論関連
 野球部だとかサッカー部のガキが集団で道路を占拠して歩いていることがある。

 体育会系というと、厳格で規律正しい集団みたいな感覚があるようだが。実際には生物学的な社会形成習性によって、特定の人間に服従しているだけなので。その特定の人間がいなくなると途端にだらしなくなって、チンピラの集団みたいになる。

 どっかの一流大学で、麻薬だとか、集団レイプだのを、学生寮でやってたバカがいたな。

 元日本ハムの選手の新庄とかも、学生時代に先輩から虐待されたって言ってた。

 体育会系というのは、特定の人間による統率がなければ、ただのケダモノ集団に成り下がることが少なくない。

 部活をやっていることに対する学校からの評価欲しさに漫然とやっているバカガキには、自律的に自分達の行動を統制する意識は全くない。「悪いのは、みんな。」なのである。

 本当に野球をやりたいのであれば、道路を占拠しながらダラダラ横に拡がって歩いて他の通行者の迷惑になるようなことはしない。チンピラみたいな体育会系というのは、実はそのスポーツ自体には興味なんぞなくて、単に大人の顔色をうかがってウケ狙いでやっているだけである。こういうガキは大人になってもロクな人間にはならない。

 統率している大人の方も、従順であることに満足して、社会的な迷惑になっていることには意識が働いていないのである。

 自分勝手な奴が多すぎる。

 純粋行為として、本当に好きなことに熱中しているなら、他人の迷惑にも意識が向くものである。自分のやっていることに誇りを持っているし、また、持続可能性を望むからである。

 バカガキの「自分勝手。」というのは、やっていることがバカな大人の顔色うかがいが目的であるため。バカな大人の顔色以外に意識が働かない。

 バカな統率者というのは、自分自身も「そういう育て方。」しかされていないので、「虐待の連鎖。」よろしく、漫然と封建的な教育しかしない。

 元読売の江川卓は、従来の虐待じみた体育会系鍛練に異議を唱える。努力辛抱根性を要求する精神論的な鍛練は、将来選手としての自己管理に欠けるとして、学生時代に無理をさせることをやめるように言っている。

 戸塚ヨットスクールのような、封建的精神論教育というものを振り回せば、自発的に何をしていれば楽しいのかがわからなくて荒れているようなバカガキであれば、短絡的には統率することが可能である。

 自律がないなら、他律強制性によって従順なヒトにすることは簡単である。しかし、それはインスタントな教育法であり、それこそ一生服従させるための他人からの強制性を必要とするものであり。一向に自律は育たないのである。

 お前らは、過去の偉人の格言風味な話を引用すると、知的風味が漂って脳ミソが酔うらしいから、ここでアインシュタインでも引用してやる。(そーゆー言い方どうにかならんか。)

 「私にとって、最悪だと思われるのは学校が主として恐怖、力、人工的な権威という方法を用いることです。そのような扱いは、生徒の健全な情緒、誠実さ、自信を破壊します。それが作り出すのは従順な臣民です。」

 お前らは、自分達の固定観念に関わる話になると、急にノーベル賞受賞者の話を特殊扱いして意識から外そうとする。

 島田紳助と一緒だな。元チンピラ芸人の言っていることにどれだけの価値があるんだ。島田紳助がどれだけ深く考えていると思っているんだ。その場限りの世間ウケ狙いしかしないバカ芸人など、ただのペテン師であることくらい気付け。

 気付きたくないというのなら、読むんじゃねぇ。アクセスIPなんぞ糞喰らえだ。本当に理解できない読者なら淘汰の対象である。勝手にブックマークとか付けてんじゃねぇぞ。(怒りすぎだよ、落ち着けよ。)




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