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腐敗。

2013年08月08日 15時13分47秒 | 意識論関連
○腐敗。

 ヒトの集団による組織腐敗というのは珍しいものではない。

 大王製紙の御曹子による使い込みや、西武グループ元会長によるインサイダー取引、東電による原発の危険性放置など。挙げればキリががないが、組織腐敗というものは組織を構成する個人には腐敗の意識が全くないことによって、組織腐敗というものは進行する。

 子供や企業でのイジメというものも、ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた組織腐敗性によって作り出されるものであり。組織腐敗というものは極めて普遍的なヒトの先天的習性によって促される日常的なものである。

 オウム真理教の幹部達が、自分達のテロ行為を本気で「人類の救済」だと信じ込んでいるように。大王製紙の経理担当者は取締役幹部の使い込みを隠蔽することが仕事だと思い込み、西武グループの社員達は会長の権限は絶対だと思い込み、東電原発安全担当者達は津波の影響を考慮に入れないことが仕事だと信じ込んでいたのである。

 かつてナチス政権下のドイツでは、国民の大半がナチズムを信奉したが。これはヒトラー個人による洗脳能力によって作り出されたものではなく、ヒトラーを信じ込んだ多数派が作り出した雰囲気、空気によって洗脳というものは進行するのである。

 イジメというものも、個人が個人を攻撃しているだけならイジメにはならない。イジメがイジメとなるのは多数派同調バイアスが作り出す気分的安心満足という先天的行動バイアスによって集団組織的な排除差別の結果であり、「ヒトという種の生物でありさえすれば人間性が先天的に宿っているものである。」という文科系大衆観念的妄想こそが、イジメ差別というものを正当化してしまう大きな要因でもある。

 「自分だけは絶対に大丈夫。」とは、振り込め詐欺被害者の多くが信じ込んでいた勝手な妄想である。これと同様、組織腐敗に加担しているヒトの多くも、自分だけは異常ではないと勝手に妄想しているからこそ、組織腐敗は進行するのである。

 生物学者達の多くも、よもや自分が組織腐敗に加担しているとは夢にも思っていないかも知れないが。「生存戦略」などという論理的根拠を全く伴わない妄想観念を、観念かどうかを全く論理検証しない無意識性こそが腐敗を招いているのである。

 あらゆる遺伝要素は自然淘汰の「結果」であり、何ら個体の「目的」意識が介在する余地は論理構造原理的にない。従って、生物の先天的機能の全ては個体の選択が介在する余地はない。

 生物の行動の全てが、常に個体や種の保存に適した行動しかしない論証など存在せず。全ては「結果」論以外の何物でもない。

 生物学者の多くは、特定能力だけを取り上げることで、あたかも知能の全てを説明したかのような妄想に取り憑かれているが。自律的な社会的責任判断が伴わないあらゆる特定能力の全てには、本質的な人間としての知能の証明には全くならない。




 ヒトの先天的な社会形成習性が、常に社会全体の安全性や持続可能性に基づいた結果しかもたらさない証明などなく。むしろ集団組織的な暴力をもたらすことの方が普遍的で圧倒的に多く。実証の必要性もない現象的事実である。

 組織腐敗というものは、現在の生物学上では何ら「悪い。」ことではなく。むしろ断片的に生存に適する結果をもたらしさえすれば、生物の行動としては「正しい。」と定義されているのである。

 こうした生物学界の異常性を、生物学に分類される認知神経脳科学者の誰も言及していない。

 「これさえやっときゃ脳の良い。」などという大嘘で大衆人気を得て世間的には金儲けに成功した茂木健一郎などというのは、いうなれば振り込め詐欺の要領手口を応用した脱法詐欺に他ならない。

 茂木健一郎を全く批判せず、あわよくば自分達も脳ブームに便乗して脱法詐欺に加担しようとしている現在の認知神経脳科学者達のほとんど全員も、生物学界の組織腐敗に加担しているのである。

 彼等はこう取り繕うであろう、「世間のニーズである。」と。だが、これは大衆迎合ではあっても科学としての社会的要求に応えたことには全くならない。

 たとえどんなにマスコミ文科系高学歴エリートの多くが現在の生物学界の組織腐敗を認識出来ないとしても、認識出来ない時点で組織腐敗に加担していることになるのである。




 あらゆる企業は組織の利益を追求することが目的ではなく、あくまで企業活動によって社会貢献することが目的でなくてはならない。企業存続のための利益というのは社会貢献の結果でなければならないのである。

 こういった「理想」を述べると、無意識なヒトの多くは「それは理想だ。」などと称して、あたかも実現不可能なお伽話であるかのように言い張るが。理想を持たずに一体どこへ向かおうとしているのであろうか。一体何を基準に行動選択を行うつもりなのであろうか。

 単に現状世間に迎合し、何の理想も持たずに漫然と目先の利益を追求していれば、気分的には安心で満足を得ることは簡単であろう。

 事故さえ起きなければ原発の危険性を放置することは、東電にとって組織的利益となっていたであろう。しかし、事故が起きる前に危険性を訴え続ければ、東電をクビになるのは当たり前である。

 現状世間構造に迎合し、漫然と無意識に流されるままでいることは、組織腐敗に加担していることと等価である。

 すなはち、「それは理想だ。」と称して実現不可能性の証明であることのように言い張ることは、現状世間の腐敗性や問題点の全てを放置することを意味するのである。

 人間としての社会的責任判断というものは、本来全てのヒトに課された義務である。特定の技術者や天才だけにお任せしておけば社会安全性や持続可能性が確立されるような短絡的で安易なものではない。

 社会全体の安全性や持続可能性を考慮の全てに入れて行動することは簡単ではない。見落とすことも少なからずあるはずであり、これは「ヒト」である以上不可避ではあるが。可能な範囲ですら考慮に入れないための言い逃れとして理想を放棄することは、社会的には合法犯罪に他ならない。

 こうした合法犯罪というものは、司法手続き上は罪を問われることはないが。社会の破綻を放置し、暴走を促すことで社会全体が被害を被るのである。

 ヒトの多くは多数派に迎合しておけば、社会が破綻しても責任は多数派にあって自分にはないと勝手に妄想するであろう。こういった無意識な無責任さこそが、組織腐敗を招き、社会を破綻暴走へと導くのである。




Ende;

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