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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○松尾豊。

2018年10月26日 00時25分11秒 | 意識論関連
工学者の松尾豊はトロッコ問題を「倫理だ」と言っていたが トロッコ問題には倫理の本質は含まれてなどいない



片山右京はトロッコ問題的な命題に対して

「目の前の歩行者の命を助けてから その後対向車とどのように衝突すれば双方のダメージを最小限に抑えられるのかを考える。 目の前の歩行者を轢くという選択肢は絶対にない」と答えた

自動車が衝突する際に自動車の挙動、構造や強度に熟知している運転の達人とそうでない凡人では判断が異なることは想像に難しくはない

さらに言えば 将棋AIのポナンザのように ヒトでは考えもつかないような最良の一手を打ってくる可能もある

回避困難な状況下に陥った場合にプロセッサのクロックパルスを極端に上げて計算することも機械であるAIなら可能である

機械なら危機回避に必要な時間いっぱいまでにCPUが焼き切れるくらいの高速処理を行わせることも出来るだろう

しかし このようにAIが最良の解を算出することというのは 判定可能である以上 答えの出しようのないトロッコ問題とは全く別の話である

何度も繰り返すがトロッコ問題の中には倫理の本質は含まれてなどおらず どんなに「悩ん」でも判定不能な条件だらけのトロッコ問題では倫理の話にはならない

トロッコ問題で「悩ん」だことを あたかも「考え」たかのように錯覚していることの方がむしろ無責任な頭の悪さ(先天的欠陥)なのであって 実際のアクシデントにおいて無数の判定条件から導き出す最適解に「悩み」など介在する余地はない

あれこれ制限だらけで判定不可能な命題でどんなに「悩ん」でも それは「考え」ではなく その区別が出来ないことこそがヒトの脳の欠陥なのである

もしAIによって無数の判断条件に基づいて最適解が導き出せないとしても それは倫理の問題ではない

倫理というものは危機回避可能性が予測出来たにも関わらず傍観放置したかどうかに存在するのであって 予測不能な上に最適解も導き出せない事象に倫理や人間性が介在する余地など存在しないのである

原発事故では「放射能では誰も死んでいない」などと称して これを倫理だと言うことなど出来ないのである

工学系研究者もバカが多くてウンザリするわ



Ende;

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