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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○中毒制御。

2018年10月26日 12時47分18秒 | 意識論関連
ヒトという種の生物は 先天的に気分的安心と論理的安全性の区別が出来なくなる習性がある

カルト宗教の信者だけが特異に盲目性を発揮するわけではなく 盲目性というのはヒト全般に見られる普遍的習性であると考えるべきであり それはスタンレー:ミルグラムによる服従心理実験でも明らかになっている

ヒトは権威としての肩書さえあれば 言っている内容がオカルトでも簡単に信じ込む習性がある その典型例は養老孟司であろう

ヒトの多く 大衆マスコミの多くは 主観的に気分が良くなる話を信じ込もうとする習性があり そこに自律的な論理検証性が働くことが非常に稀である

これは おそらく 自分の主観的な気分感情というものが意識の本質だと錯覚しており なをかつ主観的事実に過ぎない個人的好き嫌いと客観的事実の区別がついていないことから生ずると考えられる

主観的に好きな相手の言っていることを鵜呑みにする これはありていに言って考えが浅はかで幼稚なのだが ヒトの多くは社会的に自立さえしていれば自分は幼稚ではないと勘違いしている場合が非常に多い

権威の言っている内容は信じたいが 権威ではない相手の言っている内容は信じたくないというのは 要するに権威というものが「安心して信じることが出来る相手」を意味しているに過ぎないのである

安心という主観的気分感情が基準になっている時点で 科学的には立証不能であり たとえ「科学的権威」などと言っても立証不能の観念に過ぎないのである

京都大学学長だとか 東京大学名誉教授などという肩書さえあれば 言っている内容が非科学的オカルトであろうと信じたいのがヒトという種の生物の普遍的習性であり 盲目性の原因でもある

誰を権威と見なして信じ込みたいのか その違いだけではオカルトかどうかの判断にはならない

権威かどうかよりも 言っている内容が論理的に正しいのかどうかを自律的に検証して初めて科学や哲学として成立するのである



 ○「何を信じたら良いのかわからない」

なぜ 信じなければならないのかと言えば 誰かを盲目的に信じ込んでいれば気分的に安心出来るからに過ぎず これは気分という個人の主観の問題でしかなく 主観的感情論と客観的事実認識の区別がついていないから無用な不安が先に立ってしまうのである

個人的に不安かどうかは科学や哲学とは無関係な話であり 論理的に正しいかどうかを自律的に判断してこその科学や哲学であって そこに個人の主観的「安心」を混入させることの方が間違いなのである

宗教というものは盲目的に信じ込むことで気分的に安心するためのものであって これは科学でも哲学でもないし 論理的には根拠がなく あくまで主観的な気分を満たすだけのものであり 客観的には意味がない

宗教でお祈りをしていれば原発が安全に運転出来るわけもなく 航空機が宗教的呪術で空を飛んでいるわけでもない

宗教というのはあくまで主観的な気分を満足させるためのものであって 論理的安全性が担保されているわけではないのである だからといって いきなり宗教を禁止したり特定宗派の人達を弾圧したりするのは これもまた一種の宗教的拒絶反応にしかなっていない

「これさえやっときゃ 全ては解決」という短絡的最終解答を提示するのが最も危険なのである これは宗教かどうかの問題ではなく イデオロギーや医学的処置においても言えることである

「これさえやっときゃ」的な最終解決策を提示した方が 大衆からの人気は得やすいのだが これこそがヒトの最も悪い面なのである

「共産主義さえ導入すれば民衆は救われる」と称して連合赤軍が虐殺をしたのも 「これさえやっときゃ」的な盲目性が引き起こした暴走である

つまり 宗教かどうかというよりも 危険なのはヒト全般に見られる盲目的暴走性であって これは宗派とか民族とか国籍イデオロギーに依らず起きうるものである

決して特定の民族宗派イデオロギーだけが優秀といった特別性など存在しないという論理的客観性がヒトには必要なのである



ヒトという種の生物は 盲目的に暴走していた方が気分的には安心である

しかし これは単なる中毒であって 安心とはそもそも脳内においてドーパミンの中毒性が作り出しているものなのである

自分自身で中毒性を認識していれば 個人的に好きなものを純粋単純に楽しむだけにすることが出来るようになり 主観的好き嫌いを他人に強要せずに済むようにもなる

例えば 個人的に好きな写真や絵画に気持ちを癒されるのであれば それはイスラム教の戒律で気持ちが安らぐことも共感することが出来る それなら宗教を頭ごなしに弾圧したりするのは心が狭いと気付くはずである

「宗教さえ無くしてしまえば 全ては解決する」わけではないことくらいは 余程何も考えないバカでなければ気付くであろう

「宗教はアヘンである」と宣言した共産主義者達による暴走が 一体どれだけ迷惑だったことか



Ende;

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